協和音を奏でる前に 第六話

 にこりと笑うタトエもまた、ロストウェルスという名詞に思うことはあるだろうが、口には出さないでいた。いまはその話題をすべき時ではなかった。試験を終えることが先決だ。
「さて。これで最初の課題である、チャプターはこの三人で揃ったわけだけど。あとは持ち帰るものの指示だね」
「そ」
 カクヤが相槌を打ち終える前に、サレトナの目の前に青の空板が現れる。タトエと揃ってのけぞった。動揺していないサレトナは空板の内容を読み上げていく。
「いまもらった指示は……北西を目指すこと、とまず書いてあるわ。あと持ち帰るものは『いま、一番失ってはならないもの』とだけ」
「指示というわりには抽象的だな」
「そうかな? すごくわかりやすいじゃない」
 タトエは馬鹿にしても軽んじてもいない調子で「答えは出ている」と言う。その答えを聞くのはずるい気がしたため、尋ねなかった。
 ただ、即座に答えに気付いたタトエの勘の良さに感心する。
 指示されたので向かう方向は決まった。カクヤを先頭にしながらサレトナを間に挟み、タトエが殿となって進んでいく。木々もすでに妨げる気はないようで、森を歩く不自由さはなかった。敵の気配もしない。
 カクヤは先ほどサレトナが明かした自傷魔術のように、タトエの扱う技法に驚かされることがないことを祈りながら、どういった術や法を扱うのかを尋ねた。
「僕は聖法。その中でも星の法と書く、星法を使うよ。いまは武器を持ってきていないから、できることは援護か弱い中距離攻撃だね。前衛は任せるよ」
「それなら、戦闘だとカクヤ頼みになるわね」
「うん、わかった」
 振り向いて、サレトナとタトエを少し見つめた。
「守るよ」
 その言葉が自身にはそこまで強く向けられていないことを自覚しているだろうに、タトエは楽しそうに微笑む。いまだ芽吹きもしていない淡い種の気配を察していた。カクヤは慌てて前を向いた。
 北西に進んでいき、途中でまた開けた場所に出る。今度は警告音が鳴らない。それでも警戒のためにカクヤが刀に手をかけると、タトエが詠唱を始めた。
「彼の者らに星の祝福を」
 一時的な身体能力の向上は戦端が開かれた時に戦うカクヤのみならず、サレトナが逃走するのにも役立つ。
 祝福を受けたサレトナはタトエに尋ねた。
「タトエは聖法だけなの?」
「うん。これでも信仰者の家系だから、魔に関する術法は扱えないよ。サレトナは?」
「私は」
 サレトナは答える前に一度、カクヤに目を向けた。その視線に対して厳しい色を込めずにはいられなかった。タトエが理解の鋭い少年だとしても、誤解を招くやりとりをするのは危うい。
カクヤがそういった事情を判断する、義務も権利も責任もないというのに、要求だけはしてしまった。
 言いたいだろうことを呑み込み、サレトナは指先に氷片を数粒だけ散らした。
「私は氷魔術と回復魔術を得意としているの」
「それは珍しいね」
「ありがとう」
 そつなく話をするタトエに助けられている。先ほどまでの、二人きりが続いていたらいまも辛い状況だっただろう。また、タトエよりも愛想や遠慮のない存在が第三の仲間だったら、さらに険悪になっていたはずだ。
 カクヤは背後の会話を聞きながら、開けた場所に足を踏み入れた。何も出てこない。北西に向かって真っ直ぐに道は拓けていて、遠くからうっすらと魔法の気配がする
「カクヤは、刀が得物?」
「ああ。それともう一つ」
 立ち止まり、カクヤは顔を上げた。
 下を向いていたら歌は唄えない。すうっと深く呼吸をして口を開けた。
「蒼穹を駆ける白弓よ。届くは雲の彼方からにありて」
 とっさのことで編めるかは心配ではあった。それでも上天の意思に意味は通ったらしく、一筋の細い矢が真っ直ぐ北西に跳んでいく。その矢に反応はなかったため、害敵はいなさそうだ。
 安全を確かめたら、あとは時間との勝負になる。
「そろそろ走るか。多分、北西にある魔法の気配がゴールだ」
「うん。それにしても、カクヤは聖歌も使えるんだ。目の前で使う人は初めて見たよ」
「俺の街ではそんな珍しくないけどな」
 聖法に魔術も魔法も使用するにはそれぞれ癖がある。個々人の発想と学習によって得手となる技法、術法の選択肢は多岐に渡るが、習得できる技術は一人でも二つか三つ、多くて五つくらいだ。
 いまはタトエの星法で身体能力の強化を行い、カクヤの聖歌で索敵を済ませた。あとは時間切れを起こす前に試験会場へ戻ることが優先させる。
「だけど、本当に何も指示された物を手に入れてなくていいのか?」
「そこは大丈夫だよ。僕を信じて」
 タトエが素直で聡明な少年であることは短い間で感じられた。それでも、今回は試験だ。これで不合格になったら全員にとって哀れが過ぎる。
「行きましょう。もう、探す時間もないもの」
 カクヤの悩みをサレトナが滑らかに断裁した。言われるとおり、あてもなく指示されたものを探す時間はないだろう。
「わかった、行こう」
 そうして三人は走り出した。
 幼い頃の無邪気さはないまま、ただ目標に向かって足と手を動かしていく。負荷が普段よりもかからずに前へと進んでいくのは、タトエの祝福が効いているためだろう。遠いと思っていたゴールも想定していたよりも早く近づいてきている。
 舌を噛まないように気をつけながら、カクヤはサレトナに問いかけた。
「サレトナはわかったのか? 『いま、一番失ってはならないもの』の答えが」
「うん。だけど、タトエがはっきりと言わないとおり、それが何かを教えるのは多分。だめなことだから」
「みんな迷いないなあ」
 カクヤも答えの見当はつき始めた。だとしても、即座に気付くタトエや想像以上に腹の据わっているサレトナと違って、自分の半端さが目についてしまう。
 走る。先に進む。
 先ほども効いた鳥の鳴く警告音が響いた。身を固くする三人だが、前方に敵はいない。だとしたら、後方かと思い至る前に規則正しい足音が届く。まだ距離はあった。会敵する前に、あと百メートル先にある瞬移の門に辿り着ける可能性も高い。
 カクヤは速度を落として、サレトナとタトエを前に行かせた。
「先に行ってくれ!」
「一人で戦うことはしないでよ!」
「ああ! 念のためだ!」
 走ることは続ける。振り向きたくなるのを必死になってこらえた。いまはその暇はない。一歩でも先に進み、瞬移の門をくぐることが先だ。それでも、サレトナを先に行かせたかったためにカクヤはタトエと殿を後退した。
 背後からは敵意はない。淡々と、近づいてくる。中々に心臓に悪い足音が、と、て、た、た、と響く。一歩ずつ大きくなっていることが、怖い。
 と、て、た、た、と、て、た、た。と、て。
「氷華彩塵!」
 二度目の澄んだ詠唱が届く。正確性を欠く、ただし牽制には役立つ氷の線がカクヤの背後で狂乱した。
 それに背を押されるようにして、カクヤは足を速める。サレトナとタトエはすでに試験会場と同じ瞬移の門の直前にいた。
 カクヤを待っている。自分たちだけでも進めばよいというのに、待つ。
 ようやく、答えに確信を持てたカクヤは、サレトナとタトエの腕をつかんで瞬移の門に飛び込んでいった。
 門が、閉じられる前に見えた。一瞬だけ見えた。
 振り向いた先にいたのは、あれは。
 なんだったのだろう。
 銀の敵意だけが目に焼き付いた。


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