平穏と罪業の変奏曲はいずれ 第九話

 土曜日の午後の沈黙の楽器亭は大抵忙しい。
 特に、星月最初の週の土曜日である今日は、ソレシカも初めて経験するめまぐるしさだった。客の回転が早い。注文も、別の件でも呼び止められる機会も多い。
 ソレシカは会計を担当していて、タトエは厨房で皿洗いを行い、サレトナは普段とは違う緊張感を漂わせて接客をしていた。
 だが、カクヤだけは以前から清風とルーレスと外出の用事があるために、短期就労をしていなかった。ソレシカは間の悪さに少々呆れている。とはいえど、沈黙の楽器亭の就労はできるときにできる下宿生が入る形であるために、文句はない。宿主であるナイテンも学生を主戦力とは見なしておらず、合間の補助に入ってくれるだけで十分だと言ってくれていた。
 それにしても、人の途切れることがない今日の忙しさは珍しい。たとえ自分たちがいなくても従業員だけで支障なく店を回すことはできるだろう。だが、一階に降りる度に食堂や受付を急ぎ足で歩く従業員を見ていると、自室で昼寝をするのも憚られて、つい「手伝います」と自分ですら言ってしまうくらいだ。
 ソレシカが四人の団体客の会計を済ませると、他の手伝いに入って欲しいとレングに言われる。厨房の様子を見てから、ソレシカはエプロンを取りに行き、ウェイターをすることにした。
 食堂に入ると、従業員はまだ優雅さを捨てずに注文を聞き取りして厨房に伝えたることや、空いた席の片付けを済ましている。その中で、一人だけ常の落ち着きを欠かしている人物がいた。
 サレトナだ。
 特に目立った失敗はしていない。それでも所作の端々から普段の冷静さが欠けていることはわかる。数ヶ月の付き合いだが、結構な時間を共にしているとわかるようになるものだ。
 ソレシカはサレトナに気を配りつつ、別の一人席に厨房からスープを運んでいく。
「お待たせいたしました。レグーのクリームスープです」
 鳥に近いがよりぷるぷるとした肉が主役となるクリームスープを置くと、盛大な笑い声が聞こえてきた。沈黙の楽器亭には似つかわしくのない、酒場で品のない興に乗るのと酷似した、大きな音だった。
 客は眉をひそめる。ソレシカも笑い声の大本に視線を向けた。
 二つのテーブル席を合わせた席に六人の男女が座っている。注文を取っているのは、まさかのサレトナだった。
「あの、ご注文をお願いいたします」
「だから、アイメン抜きのルルーソーに、のりなしのタコモドキのニギリ。他にはホットのアイスティーね」
「えっとー。俺はー。ノンカルビにバーゲットでー」
 客は早口で紛らわしい言葉をまくしたてるために、サレトナの注文を書く手が追いついていない。遊んでいるのは明らかだ。にやけた口元からは、慣れない少女をいたぶっている事に対する喜びが透けて見える。
 一旦、サレトナがかろうじてまとめ終えた注文の復唱を終えたかと思えば、また注文を細かく変えるといったことを始めたのでソレシカは動くことにした。
「失礼します」
 サレトナの前にソレシカは立ち塞がった。
「まともに食事をする気が無いのでしたら、ご退店願います」
「あります。そっちの子が、ちゃんと注文を取れないのが悪いんでしょ?」
 背後にいるサレトナの気配が弱まった。ソレシカはいま、カクヤが出かけていることを心底怒りそうになってしまう。
 その怒りを抑えて言う。
「あるのでしたら、こちらの店員を混乱させる真似はお控えください。ただいま当店は大変混雑しております。次のお客様を案内する方がこちらの利益にもなりますので、これ以上お戯れなさるのでしたら、どうぞお帰りくださいませ」
「へえ」
 髪を逆立てた一人の男が立ち上がる。ソレシカと向かい合うが、相手の背丈は七センチメートルほど低かった。体躯もソレシカの方がたくましい。
 これから先の展開をサレトナに見せるのは気が進まず、正規の従業員などを読んできてもらいたかったのだが、当人は視線を動かすことしかできていない。剣呑な雰囲気を前にすると、ぱくりと食べられて行動できなくなるのだろう。
 ソレシカと男はにらみ合う。同席している客は待っていましたと言わんばかりに、口元をやにさげていた。
 数秒の緊張の後、ソレシカが謝罪の意を見せないのを言い分に、男は拳を振りかざした。狭くはないが、広くもないテーブルの並べられた店内を暴力の嵐に巻き込むわけにはいかず、ソレシカは相手の腰を触れずに押さえて避けた。
 男はますます面白そうに、ソレシカに殴りかかってくる。
 ソレシカはある格闘技の要領で、足を動かさずに上半身のみを上下左右に振って避けていった。男はそういった遊びだと思っているのか、拳のみを振るってくる。
 聞こえてくるざわめきに、どのようにして場を収めるかソレシカは考えた。
 このままではまずい。
「お客様!」
 雷が鳴り轟いた。

第七章第十話



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