出逢った音は千変万化の色を鳴らして 第一話

 入学式から一週間も経つと、新しい生活といったものにも慣れてくる。
 史月の十五日のことだ。
 カクヤはペンをノートに滑らせていたが、鐘が鳴ると同時に教師の声が一旦止まる。合わせてノートにペンを走らせていた手も静止した。
 こおん、こおーんと短長を使い分けて鳴る鐘はセイジュリオの中央塔にある。学生は立ち入り禁止の場所だ。
 月の曜日の最後の授業である歴史の科目を担当している教師、ヤスズ・レイオンは青のペンで最後の行に線を引き終える。そうして、生徒たちに向き直った。
「今日の授業はこちらで終わりです。最初の試験はもう来月ですからね。お気を付けて」
 ヤスズは癖のある亜麻色の髪を長く伸ばしているのと、いとけない顔立ちの組み合わせによって、当初は最も温和な教師という印象を新たな学生たちに与えていた。しかし、セイジュリオにおいて一番手厳しい教師であるということは、これまでの授業でよく知られることになった。面倒見の良い教師は年の功もあってか、ヤサギドリ・シェクターという評価がされていて、ローエンカ・タオレンは快活で人当たりが良いと人気が高い。
 ロリカに終わりの挨拶をするように命じて、全員が礼をしたのを見届けてからヤスズは教室から立ち去った。
「あ。またローエンカ先生が絡んでいる」
 入り口側に座っていた清風が中々大きな声で言った。
 ローエンカは一学年ニクラスを担当しているが、ヤスズを見かけると大抵は隣にいる。二人の関係は転入学したばかりの学生たちが注目するところだった。
 仲の良い同僚なのか、それともローエンカが一方的に想いを寄せているのか。賭けをする学生もいたにはいたらしいが、ヤスズにこっぴどく叱られて以来その姿を見かけない、という噂も流れている。いまは表だって話題になることはなかった。
 藪から蛇を出さないために、カクヤは帰宅の準備を進める。
 その途中でサレトナに声をかけられた。
「あのね、今日はフィリッシュと命唱さんがアクトコンを見にいくらしいの。私も一緒に行くから、先に帰ってもらってもいい?」
「わかった。サレトナもアクトコンに興味あるのか?」
 照れと一緒に微笑まれた。
 アクトコンというのはセイジュリオにおける課外活動のことだ。授業が終わった後に有志が集って、趣味であったり、鍛錬であったり、各自が己の道を究めようとしている。
 カクヤもどこかのアクトコンへ見学にいきたいとは考えていたため、ついていこうかと一瞬だけ思った。だが、サレトナが二人の友人と一緒に行くというのならば交友を深めさせるべきだろう。サレトナのチャプターには男性しかいない。別のところで友人ができるのならば喜ばしい。
「どこかおすすめがあったら、教えてくれな」
 それだけを言い残して、席を立った。サレトナはロリカに呼ばれ、教室を出ていく。フィリッシュはすでに動き出しているようだ。
 最初に出会った頃の危うい少女ではなくなってきたサレトナに安堵しながら、カクヤを待っていたソレシカと並んで昇降口まで向かう。廊下を歩く間は、今日の夕食はなにかという話をした。
 靴を履き替えたところで、ソレシカが一学年の昇降口に向かう。タトエを待つ気なのだろう。
 もしかすると、タトエもアクトコンの見学にいくなどして遅くなる可能性はあるが、ソレシカにとっては気にならないことらしい。
 カクヤも少しだけ付き合うことにした。ソレシカの隣に立つ。
 他の学生はぽつぽつと陰りある昇降口から緑溢れる庭へ歩いていき、校門まで出ていく。その背中を見送っていた。
「カクヤってさ」
「ん?」
「将来なりたいものとかあるのか?」
 曖昧で夢見がちな質問をされた。
 だが、つい真面目に答えを考えてしまう。ソレシカがたまたま場を埋めるためにしただけの質問だったとしても、簡単に流すことはできなかった。
「昔は、歌夜になりたかったな」
「うたや?」
「ああ。歌に夜と書いて、歌夜。いろんなところを旅してさ、歌を集めていくんだ。それを夜空に浮かぶ星のようにつないでいく人たちのこと」
 いまでも思い出せる。
 ルリセイという小さな街にも幾人の歌夜が寄ってくれた。カクヤはその中の、赤い髪の青年の歌をとても気に入った。青年は気恥ずかしそうにしながらも、いくつもの聖歌を教授してくれた。
いまのカクヤの源泉だ。
『言葉を扱いたいのならば、全ての瞬間で編まなくてはいけないよ。喜びも、悲しみも。そして、絶望を養分にして咲く花すらも見つけなくてはいけない』
 忘れていない。
 苦難の最中にあってさえ、歌を唄えるように。悲哀の友のために言葉を紡げるように。最善をなすことが、カクヤの生き方だ。
「だったら、どうして刀も選んだんだ?」
 また何気ない質問をされて、ひゅっと、おかしな息の吸い方をしてしまった。いぶかしげに見下ろされる。
 どうして、苦難に抗う歌を選ぶと同時に、悲嘆を呼び寄せる刀を手にすることを選んだのか。返答までに要する一瞬だけの沈黙は見せたくない過去の片鱗を覗かせてしまっただろう。
 隠すために、カクヤは笑った。
「刀士の歌がかっこよかったからだな」
「そりゃ斧士の歌に比べたら、決まる曲が多いだろうな」
「ソレシカは、格好いいよ」
 素直に言うことができた。
 一度だけしか手合わせはしていないが、勝利に向かって真っ直ぐに戦えるソレシカは、清々しかった。戦う者はかくあるべし、というほどに。
「あれ? 二人ともまだいたの?」
 タトエに声をかけられた。後ろには同級生らしき少年がいる。


第三章第二話



    • URLをコピーしました!

    この記事を書いた人

    不完全書庫というサイトを運営しています。
    オリジナル小説・イラスト・レビューなどなど積み立て中。

    目次