カクヤは歌を唄っていた。
絢都アルスの北東にある宿街のさらに東側にある沈黙の楽器亭、二階の中央の自室にて声をひそめながら、唄っていた。すでに癖となっていて、勝手に口から音楽が零れ出てしまう。実家にいた頃は弟に真似をされてからかわれる度に止めていた。しかし、いまは同様の幼い行為をする住人はいない。
「揺れる緒の先に結ばれた 手紙は貴方に捧げましょう」
唄いながら、昨日までに配布された教科書をカクヤは棚にしまっていく。同じ時期に渡された時間割通りに並べると、どうしてもでこぼことしてしまう。いかに見栄えを整えられるかと、カクヤは二度目の整列に挑戦することにした。
こん、と音がする。
自室の扉が叩かれた。カクヤは手にしていた教科書を棚に横置きにして、扉を開ける。
外開きの扉の前に立っていたのは橙色の髪の少女だった。
「サレトナ」
「いま、手は空いてる?」
カクヤは黙ってサレトナを室内へ入るように促した。そうして、扉にはドアストッパーを挟んでおく。
サレトナはカクヤの部屋に入るとくるりと視線を一周させた。目にされてはいけないものはなかった。ないはずだ、と自身に言い聞かせておく。
「扉」
「ん?」
「扉、閉じないの?」
「ナイテンさんが、サレトナと二人きりになるなら、開けておけと命じてきた」
ありのままの事実を口にする。同様のことはタトエとソレシカも言われていたので、特に疑問に思うことはなかった。
だけれど、サレトナは斜め下を見て気まずげにしている。
「どうかしたか?」
「なんでも、ない!」
強気に言い切り、サレトナはカクヤの部屋の窓に背中を預けて寄りかかる。
一体何事だという戸惑いは表に出さずに、カクヤは寝台に腰掛けた。
「座るなら、あの椅子に座っていいから。で? どうしたんだよ」
「明日だけど、どれくらいにセイジュリオに行くのかを聞きたくて」
セイジュリオの座席は自由席となっているため、早く行くほど選択肢は増える。けれど、カクヤは遅刻しない程度にやや遅い時間に出るつもりであった。
それを伝えると、サレトナはまた悩ましい表情になった。
「早くセイジュリオに行きたいなら、先に出れば良いだろ」
「そうなんだけれど……」
サレトナの歯切れが悪い。右手を胸に当てて、また顔をうつむかせている。
カクヤは考える。
サレトナは早く出る予定を立てていた。カクヤはゆっくりと登校しようとしている。齟齬によって都合の悪いことがあり、その件について言いたいことがあるようだ。
「あの金髪の幼馴染みと待ち合わせをしているとか?」
「それでも、ないの」
「ん? なら、どうしたんだ?」
はっきりと言ってもらわないとわからない。
「カクヤは」
「はい」
「学校に行くときとかに、誰かと一緒に行っていた?」
「時と場合に応じて」
「ふざけないで!」
正直に答えたというのに怒られた。カクヤは理不尽よりも疑問を強く抱き、両足の間に手を置いて寝台の端をつかみながら言う。
「サレトナは、誰かとセイジュリオに登校してみたい」
ぴたりとサレトナが口を閉ざす。
「で、その誰かが俺ってことか?」
「だったら、悪いの」
「いや。嬉しい」
立ち上がり、サレトナの隣に並んだ。
勝手に浮かんでしまう笑みはふやけたものだろうが、笑わずにはいられなかった。
「サレトナに一緒にいたいと思われて、嬉しいよ」
「……タトエとソレシカも一緒だから」
「承知の上だ」
杏色の瞳に映る自身の笑う姿は、やっぱり情けなかった。
それでもよい。
サレトナに求められたという事実だけで、よかった。
初々しいときめきと
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