ばたばたと冬館に少年が駆け込んでいく。
金の髪を揺らしながら手には青い猫の描かれたエコバッグを持って、自動扉に招かれるままに飛び込んだ。次元を越えて望むがままに移動させる扉は、エントランスなどすっ飛ばしてパーティ会場の控え室へ少年―――由為を誘いこんだ。
「遅れましたぁ!」
反響する程度ではないが大きな声を上げてから、肩で息をする由為にすっと手を差し出したのは黒紫が印象的な、これもまたいとけなさを残した少年だ。
名を御城蓮夜という。穏やかな現世に属していたというのに怪異に招かれた曰くつきだ。
「大丈夫だよ、由為。無音の楽団の先輩たちが場をつないでくれるから」
水でも飲みなよ、とまず言われたのだから駆け込んだ由為の疲弊具合は相当なものだった。さっと、小さな手が透明なグラスに入れられたレモン水を差し出してくる。
「そんなに急ぐんだったら、私と来れば良かったのに」
灰色の吊り目と揺れる水色の髪が印象的な七日が呆れ顔で言う。由為の相棒である少女は先に行けと言われたことをいまだ気にしていた。由為を守るのは七日の役目だと、誰よりも自認している。
これで『花園の墓守』を舞台とする由為、七日、そして『水に誘われし異邦人』こと蓮夜という年少組が顔を合わせた。目線の高さが近いのもあって、三人はこれからについての話に花を咲かせる。いまは祭の時間でもあるが、それが終わって一息を着いたらけじめと切り替えの時間だ。新たな時間が訪れる。
控え室に他にいるのは、由為たちと同じく『花園の墓守』に名を連ねている衛、きさらだった。最後に出て行こうと決めている責任感の強い二人は本編では見ることの叶わなかった、七日が同世代の相手と交流している様子を微笑して眺めている。
「きさらさんは、彼らの演奏を聴かなくていいの?」
深緑の青年である衛が尋ねたら赤紅の女性、きさらは首を緩やかに横に振った。
「いまは七日さんの笑顔を見ていたいの。彼女は私のことを快く思っていなかったでしょうけど、私はいつも気にかけていたから」
「それに、無音の楽団なら頼めばいつだって演奏してくれるさ!」
瞬きの後に会話に加わったのは、快活な黒髪に一見すると派手だが違和感のない赤いジャケットの青年だった。その隣にはクリーム色の青年が、さらに後ろには黄昏と夜が交わる時間の青い少年がいる。
「おや、千晶推参」
真道至、古仲鳴、利原公約の三人が揃い踏みだ。
「いまはメインも休憩に入ったから。俺たちも少し抜けてきたよ。次は銀鈴檻の面々によるフリートークみたいだけれど、さて、一体何を話すというのやら」
鳴がくすりと笑って肩をすくめる。言うとおりにあの癖のある一行が一年を振り返るとどうなるというのだろう。
興味が湧いた。
「あの、そろそろ皆さん。ホールに行きませんか?」
公約の足下には二足歩行をする、足が大きい青くて丸い球体型のロボットがいる。申し訳程度に三角の耳がついているのが少しおかしかった。くちばしがある点もユーモラスと言える。
そうして、控え室にいた由為、七日、蓮夜、衛、きさら、そして千晶推参の三人が揃って今回の主要会場であるホールに移動した。とはいっても、招く存在が願いさえすればチェスの駒を動かすように足を使わずに場を移せる。
ここは特殊な法則が適用される空間だ。
目を開けばそこは祭の舞台だ。
赤い絨毯の敷かれたホールには十二角を描くように白くて細長い、動物が刻印された柱が並んでいる。どれだけの人数が並んで手を伸ばせば壁に届くのか不明な広さの会場で、あちらこちらに料理の積まれたテーブルと白いテーブルクロス、疲れた者のための椅子が並んでいる。
北側の最奥には長方形の床に比べて三段ほど高い舞台があって、置かれた楽器が先ほどまでの熱狂の残滓を流していた。
いまは、南側の黒い舞台に品の良い喫茶店が即席で作られていて、六人用のテーブルにハシン、カズタカ、アルトー、リブラス、ネイションにリンカーがそれぞれ座っていた。おしゃまに愛らしく、投げやりだが品良く、ぼうっとしているが隙は無く、大胆に前のめり、慎ましく上品に、両腕をテーブルに添える程度といったように。
「で、私たちもようやく動き出したわけだけれど。最初の非道も行える無音の楽団の先輩たちといったコンセプトが大分薄れているように思えてならいんだよ」
『悪かったなハシンリーダー。俺が正直者かつ臆病な善人で」
「カズタカは……いいひと」
「そんで僕は悪い奴!」
「自覚があるならもう少し懲りてくれないかしら」
「無理ですよ、ネイション。リブラスは悪意ではなく悪気がないんですから」
そういった一見すると放課後の生徒や学生が延々と繰り返すモラトリアムが繰り広げられていた。盛り上がりもなくただこの一年にあったことを振り返っているだけなのだろうが、話を遮る気も水を差す気も起こさせなかった。
この場に揃っている面々は同じ紡ぎ手によって語られてきた物語の駒だが、重なるところはあれど同様に描写されるところはなく、動く駒によって盤面の描かれ方は変わっている。だから紡ぎ手も飽きることなく、些細で多少で単調な物語を記すことを続けていった。
その結果が、いまだ。
「先輩一同はそれなりに盛り上がっていますね」
「あちらさんもマイペースだからな」
泡の立つシャンパングラスを片手にしているのはクレズニで、その隣で皿に乗せたオペラを食んでいるのはレクィエだ。演奏を終えて、休憩に入っている。
「ああ! 君たちが無音の楽団か!」
近づいていったのは至だった。にこにこと、かつて歌と踊りを志した者がそれを稼業としている相手に眩しく近づいている。話しかけられてクレズニは穏やかに対応した。ファンとアイドルというよりも立場は対等だ。それは、千晶推参もこれから語られる輝きを宿しているためだった。輝きと影という立ち位置ではない。互いに、異なる光を抱えている。
歓談しているあいだに姿を現したのはソレシカとタトエだった。
姿のあるもの、姿はあれど影だけのもの、朧な形という未だ語られざる多くの物語の駒たちに敬意を払いながら、二人はいまだのんたりと話を続けている銀鈴檻を見上げている。
「来年は、もっと僕たちもあの人たちと話せる機会が欲しいよね。折角の先輩と後輩で……まあ、僕たちにも後輩はできるみたいだけれど」
「俺はタトエがいれば」
「嘘つきなよ。僕だけになったら、物足りなくなるでしょう。それくらいはもうわかっているんだよ」
「うう。あ、カクヤとサレトナは」
ソレシカのこの場にいないリーダーと参謀を捜す視線を遮ってから、タトエは皿の上に飾られているシンデレラを一口飲んだ。
冬館はサレトナの中心概念である。
だからここは、サレトナが支配する劇場だ。最上階の誰も踏み入ることのできない部屋で、一人、楽しそうに歓談する物語の駒たちを眺めている。
「はずなのに」
「ん?」
「どうしてカクヤはここに来られるのよ!?」
意外だ、心外だ、想定外だと言わんばかりに。青と黒の柔らかな背もたれによりかかって座っているサレトナは、後ろから抱きしめてくるカクヤを品を失わずに怒鳴りつけた。そのため狼に威嚇する子猫という有様になっている。
カクヤは答えない。サレトナの橙の髪を指で梳いて持ち上げるので、それに合わせてサレトナの体がびくりと震えた。赤い頬は緊張か、怒りか、恥じらいによるものかはそれぞれ見た相手が答えを出す。
「俺はずっとサレトナを守るから。そばにいるから、どこでだって一緒にいたい」
大声ではなくて囁きかけてくるからたまらない。
悔しいことにカクヤは二枚目や秀麗といった類いの面立ちではないが、造作は整っていて活力に溢れた魅力がある。つまるところ「いけている」というものだ。サレトナも相手に高い品性を要求するがカクヤはその条件を十二分に満たしている。
だから、これほどめろめろになってしまう。
触れられている箇所が熱い。布越しに感じられる熱は全身を包んで、泣き出したい気持ちにも、全てを預けたくもさせるから厄介だ。
「ねえ。カクヤ」
「んー」
頬を寄せないで欲しい。ときめきでやられるから。
「あなたは、来年はどうするの」
「サレトナといられるなら一緒にいるし、いないなら捜しに行くな。まあ大丈夫だよ」
「何が大丈夫なのよ」
今度は手を取られる。はめていた黒いレースの手袋を外されていき、柔らかな薄い皮膚に炎を抱いた手が重ねられて絡められる。
「俺の一生はサレトナだ」
運命でもなく。
日常でもなく。
全てが自分と共にあるなどと、早すぎる結論を迷いなく告げてくる。恐怖も後悔もなく当然のことだと断言する。
カクヤが私を選んでくれたということが、まだ始まってもいない物語に対する答えだということが申し訳なくて、嬉しい。
それを言葉にできないサレトナは口を閉ざしたままカクヤの指先に自分の指を添えた。
その辺りまで読み終えたファレンは静かにページをめくる手を止めた。
「まあ、随分と無茶をしたものだ」
語り終えた物語とまだ語られていない物語たち、それに出てくる駒たちの交流といった、本来交わることのない祭がこの薄い冊子には込められている。
中途半端で、だけれど愛おしい物語の欠片たち。
すでに語り終えられたはずの自分たちもまだ引っ張りだしたいという欲深い紡ぎ手は、この先に、これから先の時間に一体何の物語を記すのだろうか。
わからないまま、ファレンはソファに腰掛けている貴海によりかかった。
「のわ」
「ふふ。とりあえずは、めりくりま! かな」
「めりくりま?」
何を意味するか分からないといった様子で眉を寄せる貴海に対してできることは一つだけだと、ファレンは何も言わずに微笑んだ。