ノクシスは戸惑っていた。
此岸からやってきた働き者の女性である白姫に、昨日の昼にさらりと言われたのだ。
『ねえ。彼岸の管理者さん。あなたと私のあいだに花が咲いたらそれはとても素敵なものになると思うの』
いまだその言葉が頭から離れないまま、朝の仕事を終えたノクシスは食堂で白茶を口にしていた。
ノクシスは鈍くなどない。白姫の言葉が少し遠回りなプロポーズだということはとうに承知している。
戸惑うのは、いきなりの告白がまったく嫌ではなかった自分だ。
白姫はようやく彼岸に来て二年、欠員がいるのを微塵も感じさせないほどよく働いていてくれる。此岸でも人に好かれていただろう、高い能力と物事にこだわらないさっぱりとした性格にノクシスも好感を持っていた。
だから、あと一年もしたら此岸に帰ると思っていたというのに。白姫のプロポーズが本気ならばノクシスと共に滅びるまで彼岸に在留してくれるということだ。
そして、ノクシスと唇を重ねて子を咲かせてくれるということだ。
「うーーーーーーーん」
「なに悩んでるの」
「白さんにプロポーズされた」
食堂に入ってきた貴弓はひゅうと口笛を鳴らして、ノクシスの向かいに座る。
「いいじゃん。白姫は気持ち良い女だからお前にはぴったりだろ」
軽率に盛り上げる友人をノクシスはじっとりと睨んだ。
貴弓は分かっている。ノクシスが人ではなく物語だと知っている。それなのに人である白姫と結ばれることを簡単に楽しめる責任のなさはちょっと腹が立つ。まだ此岸にいるという彼の息子はこの父親を憎悪しているというが、一割ほどは仕方のないことだ。
「白さんはいい人だよ。だからこそ、彼岸で閉じ込めたくはないんだ。彼女はもっと自由に生きて欲しい」
「だからあなたを口説き続けたというのに、二年も気付かないでいたの?」
「何となく好かれているのは察していたみたいだぜ」
「ひどい物語ね」
「ひどいよな」
背後と目の前で交わされる会話を聞いていると、ずるずる机に沈み込みそうになるが、ノクシスは気合いを入れて振り向いた。
「あのね、白さん。物語との交配を甘く見ないでもらいたい。人と人が交わるよりも危険なことなんだよ」
ノクシスを困らせている張本人である白姫は、肩を少し越えるくらいの長さの髪を揺らしながら肩をすくめる。
「そこのろくでなしは、人と人の子であってもだいぶ大変な子を咲かせたわよ。まあ貴海くんには欠片も罪はなくて、そこのろくでなしとろくでなしに甘えたあいつが悪いけど。結局繋がりというものがどうなるか分からないなら、ノクシス。私は好きになったあなたと結ばれたいわ」
堂々と言われてしまえば何を言い返せばよいのか、言葉が出てこない。
ノクシスだって白姫が好きだ。消極的な意味ではなく惹かれている。それなのに手をつかむ勇気が出ないのは、生まれ咲く子供が原因ではなくて、白姫が手にするだろう輝かしい未来を台無しにしないか怖いのだ。
その迷いを読んだように白姫はノクシスを立ち上がらせる。実際は見上げているはずなのに対等な目線に立って堂々と言い放った。
間違いなく白姫しか持ちえない強さを。
「ねえ、ノクシス。あなたが私から素敵な未来を奪ったならそれはそれでもういいの。私はあなたとそれ以上に楽しく笑うことのできる未来を作る自信があるわ! ただ、それにはあなたがいなくちゃ話にならないから。私の好きな人になってほしいの」
もう、はあとしか言えなかった。
白姫は幸福というものを簡単に手に入れられるかどうかでは考えない。困難な道であろうとも欲しいものを選び取る。
その背中を支えて、手を繋いで歩けるのならばノクシスも同じ道を歩きたかった。
「うん。わかったから。改めて、僕からも言わせてください」
「どうぞ?」
息を吸い、ゆっくりと吐くとノクシスは白姫の手をとった。
「白姫さん。僕も貴方が好きだから、一緒に幸せになってください」
「よろしい」
ぱちぱちと聞こえる拍手の音は貴弓からだ。こそばゆい祝福の音を聞きながら、ノクシスは先ほどの白姫の言葉を噛みしめる。
幸せな未来なんていらない。それ以上に幸せな未来を作れるから。
なんて見惚れる強さを持っている人なんだろう。
いい夫婦になるまでに
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