嵐は凪の中にある

 新刀凪の目覚めは家族で一番早い。朝の五時三十分には目を覚ます。
 耳を隠す両端だけ長い白緑の髪をがりがりとかいてから、愛嬌のある青い目は右側にある窓の外を見る。昇り始めた太陽が薄く空を照らしているので、今日は晴天になりそうだ。凪は十七という年齢にしては大人びた顔立ちをしているが、それは仕上げられる前のメスに似ていた。人を癒やすために、人を安全に切る。だけれどまだその必要性はない。
 凪はベッドを出てからストレッチをして、リビングのある一階に向かうのだが、その前にいつもの手順を踏もうとしたがいきなりずっこけた。
 ないのだ。
 机の上に、あるはずのものがない。
 凪はしばし考えて机上の緑のチェストや引き出しをあげるが、ない。こうなってくると考えられることは一つしかなかった。
「嵐」
「はーい」
 凪の自室にいるのは凪だけだというのに、凪自身から声が聞こえてくる。しかし口から発声されたのではない。耳に馴染んだ声は北洋を照らす太陽の力強さに満ちているが、響きだけで構成されていた。
「お前、どこにやったんだ?」
「何事も私を疑うのは凪の習慣だね。二心同体なんだからもう少し信用してくれてもいいんじゃないかな」
「まあそうだけどさ」
 嵐と呼ばれた相手は凪の身体の中にいる。けれど、凪が嵐というもう一つの人格を抱えているわけではない。霊に取り憑かれているといった、神秘的体験でもなかった。
 これは凪が誰にも口外していないことだが、凪が物心ついた時からすでに嵐という存在はいた。一つの身体に、二つの魂が同居しているようなものだといまは考えている。それが一番合理的な二人の相談結果だった。
 新刀凪の身体に表出するのは、凪の時もあれば嵐の時もある。嵐は凪の記憶を引き継げるようだが、凪は嵐がこの身体を使っている時間、嵐が何をしているのか追想することができない。
 だから、嵐のいわゆる「探偵実験」を阻止することはできなかった。
 探偵実験とは嵐が考えついたという遊びで、凪の身体を使っているあいだに謎を生み、それを解決させるというものだ。
 凪は探偵になりたいわけでも、興味があるわけでもない。それなのに毎回、嵐の問いかけに付き合ってしまうのは結局甘いのか、人が好いのか。その評価は他の誰かに任せるとして、嵐と付き合う時に重要なのは諦めが肝心、ということだ。
 嵐は凪が乗ってくれることが嬉しい。だから、呼ばれてもいないのに喜々として話を進めてくれる。 
「それではヒントをあげよう。四角い門をくぐり、安置所の中にあるあってはいけないものを探しだそう!」
「ただの謎かけだろ」
 詩文の才能はあるのか、即興でこういう文を考えつくあたりは少し尊敬しないでもない。これで家の中に探し物があることを説明しているのだから。
 とはいえ、四角い出入り口など一般家庭にはありふれている。たまにアーチ形に作られるところもないではないが、大抵は長方形に作られるだろう。
 凪は階段を下りる。一階まで下りてから四角い門こと出入り口やドアを探した。廊下を足音を立てないように歩き、目につくのは両親の寝室だ。
 まだ眠っているか、微睡んでいる二人は嵐のことを知らない。
 凪らしくのない行動であっても、年頃の青年のすることだと流されている。それに、傷ついていないといったら嘘になった。
 だけれど嵐のことを話して精神性を誤解されたり、解決しようと慌てられるよりかは、こわごわとした無関心でいられた方がまだ楽だった。
 凪は寝室を通り過ぎて、脱衣所に入る。備え付けられてる洗面台で顔を洗った。タオルで水気を拭いてから、鏡を見るとそこには金色の髪と緑色の目をした、凪よりも明るい顔立ちの嵐がいる。にっこりと笑う姿は触れると心地よい織られた布を連想させた。
「ほらほら。凪のくぐるべき四角い門はそこじゃないよ」
「わかってる」
 また廊下に出てから、凪はリビングにある「安置所」を探した。だが、それらしきものははない。リモートコントローラなどを置く場所かとも考えたがニュアンス的にしっくりこなかった。
 安置所。それが、鍵だ。四角い入り口はいくらでもある。
 家の中にありそうな安置所といえば、神棚の類いだが、この家にはそういったものがない。母は宗教に関するものを一切遠ざけている。
 神、ではないとしたら仏。仏とは一般的には亡くなったものとされる。亡くなったものを一時的に保管するところ。つまりは。
「冷蔵庫か!」
「だいせいかーい!」
「趣味は悪いぞ」
 凪は四角い門こと、台所への出入り口を抜けて冷蔵庫を開けた。中には整頓されて食品が収められているが、ここにふさわしくのないものが一つだけある。凪は青い箱を手に取るとゆっくり開けていった。
 中には、探していた腕時計がぽかんと入っている。
「やったね凪! よく見つけたね!」
 中から聞こえてくる嵐の声はご機嫌だ。それは、落ち着かないまま一日を過ごすはずだった凪にとっては安堵の鐘でもあるのだが、一つだけ疑問がある。
「お前がここに入れたのか」
「違うよ」
「なら」
 言葉は続かない。嵐の気配が一瞬にしてかき消えてしまうのは、いつもある一つのことをきっかけにしている。
「あら、凪。おなかでも空いたの」
 母である新刀美咲が起きてきた。
「おはよう、母さん。まだ空いたわけじゃないけど……。これって」
「あら? それ、腕時計だったの。軽かったからキャラメルの箱とかかと思って」
 悪気のない様子から、母は本当に中身を確かめないまま冷蔵庫にしまったのだろう。確かにからからとしか音のしない、一見すると洒落ている外装だから、間違えてしまうこともある。
 だけれど、これを些細な勘違いだと笑い飛ばせないのが新刀家だな、と凪は朝から疲れた気持ちになった。
 時計の箱を持って凪は二階の自室に戻る。そうすると、また嵐の声が聞こえてきた。
「美咲さん。きっと、わざとじゃないからね」
「それはもういい。ただ、どうして時計の箱が一階にあったんだ? 俺は持ってきた覚えがない」
「うん。犯人は私。私のターンの時に、箱を持ってきて置き忘れていた時計を入れようとしたら、今度はそのまま箱を一階に置き忘れて」
 えへ、と嵐は笑う。凪は苦笑した。
 嵐の軽やかさは凪にとって好ましいものだから、責める気も起きない。
 凪は銀の時計を腕にはめる。
 ようやく、一日を始めることができそうだ。



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