変奏曲より紡がれし明日への希望 第十五話

 クレズニの反応にルーレスは痛ましそうな表情を浮かべる。カクヤにも、清風にも見せない心配をあらわにした。
「クレズニさん。あなたも、あなたという人生を生きるべきではないですか? もっと、ご自身を大切にしてください」
「いけませんね。年下の方に心配させるなんて。ですが、思い違いをしないでください。私はいまの人生を進むと決めて生きています。安心して」
「ロストウェルスは、サレトナ・ロストウェルスさんに継神の儀をさせようとしています。そうして、成功したら弟さんが当主になる。だったら、クレズニさんの立場はどうなるというのですか?」
 それは、悪手だった。
 普段のルーレスならば切ることのない、危険な手を開示してしまった。そのことに気付いたのか、ルーレスはクレズニを見上げる。クレズニはルーレスの手をつかんでいた。
「……どちらで、その噂を」
「こちらです」
 ルーレスは空板を起動させる。本来ならば他人に見せることのない伏せられた宿り木の内容を、ルーレスはクレズニの前にかざした。
 交わされている言葉に目を走らせる。内容は世間で噂されているロストウェルスの内情について、多少誇張させられている程度だ。どれも、当主代行である者があえて流している話と大差ない。
 だからこそ、その些細な部分がクレズニには気にかかった。
 クレズニがルーレスに視線を向けると、説明される。
「こちらの宿り木は、以前友人と一緒に入りました。ですが……段々、政治的と言うべきか。思想的な話に移っていっています。僕はほとんど発言をしないで、たまに見ているだけです。正直、クレズニさんの存在もこちらで知りました」
「そうだったのですね。でしたら、コトアさん。お願いがあります」
「僕の空板におかしな情報が出たら、クレズニさんに教えたらいいですか?」
 ルーレスの物わかりがよくて助かった。
「はい。ロストウェルスに関係なくとも構いません。違和感を感じたものは全て私に直接教えてください」
「わかりました」
 空板が消える。
 クレズニとしてはルーレスに間諜まがいのことをさせるのは気が引けるが、学生を巻き込んで思想の話題をするというのには危機感を覚えた。ルーレスがあの宿り木から抜けられないというのならば、事態を把握しておくのが一番適切だろう。
 今度こそ、別れようとしたところでルーレスに言われる。
「あの、クレズニさん。一つだけ、最後にお願いがあります」
「何でしょう」
「……よければ、僕のことも名前で呼んでください」
 今日一番の勇気を出した顔で言われたら、クレズニに否応はなかった。
「はい。ルーレスさん」
 満足したルーレスは今度こそ帰るべき場所へ向かって歩いていく。クレズニは遠ざかる背中が完全に見えなくなったのを確かめて、レクィエの家に向かっていった。
 四つの部屋がある二階建ての共用賃貸物件の扉を開けて、二階への階段を上がり、左側の扉を開ける。
 レクィエの住まいに入っていった。
 贅沢をする趣味がないのか、それとも単に物が多いことを好まないのかは不明だが、レクィエの部屋は簡素だ。東側にある窓の下には小さな洋服箪笥が置かれていて、右側には身支度を整えるための鏡がある。カーテンで仕切られた先には寝台がしつらえられている程度の物しかない。あえて言うのならば、猫の餌が置かれていることは愛嬌だ。
 そうして、出かけていると思っていた家主がベッドで一人くつろいでいる姿を見て、つい本音が漏れ出てしまった。
「まだいたのですか」
「家主だよ? いくらいてもいいだろ」
 そうとしか返せない言葉であったので、クレズニは黙って首を左に傾けた。
 出立の挨拶をするために探す手間が省けたことを喜べばよいのだろう。
「それにしても、随分と好かれていたじゃないか。セイジュリオ、下手したらアルスきっての核心論提唱者。ルーレス・コトアに」
「気が合うだけでしょう」
 クレズニの素っ気ないともいえる言葉にレクィエはうっそりと笑った。
「瞬移の門はどこの宿のを借りるんだ?」
「パラディクスメートルですが」
「さすが、金と地位はあるな」
「それだけしかありませんけどね。貴方、随分と機嫌が悪くありませんか?」
 ここまでレクィエが絡んできたのは初めてだ。誰に対しても放任主義であり、その結果の失敗を見て微笑む余裕を常に保っているというのに、今日は言葉の端に棘がある。クレズニが一時とはいえいなくなることを寂しがっているわけでもないだろう。
 レクィエは視線をクレズニへ向ける。
「確かに、いまの状況は面白くない」
「誰にとって?」
「決まっているだろ?」
 レクィエは自分を中心にしながら、周囲を一回転すると、最後は斜め上空を指さした。
「神様にとってさ」
 意味深長な言葉を投げかけられたクレズニはつい考えてしまう。
 先ほどから、レクィエは何かしらの助言をしてくれているのではないか。いまの状況がそもそも、どういった状況なのかを指しているのかも不明だが、上位存在はさらなる意外性のある出来事を期待している。もしくは、特定の人物の失敗を望んでいる。だけれど、その対象が特定できない。かといって、レクィエに直接尋ねてもはぐらかされるなどして答えは帰ってこないだろう。出会ったときからレクィエにはそういったところがある。もったいぶると表現するのが正しいのか、それとも何かを知っていて純粋に言えないのか。
 クレズニとしては、レクィエを一人にして大丈夫だろうかと心配してしまう。心配には主に二つの理由があった。
 レクィエはソファから立ち上がるとクレズニに背を向けて言う。
「クレズニ。無事に帰ってこいよ」
 いま口にされた言葉だけは誠実だから。
「はい」
 嘘を吐くことはできない。
 クレズニはレクィエの部屋から去っていく。
 階段を降りる足音は聞こえているだろう。

>第八章第十六話



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