平穏と罪業の変奏曲はいずれ 第十三話

 気を取り直すように、サレトナは頷いて言う。
「じゃあ、兄さんに連絡するわね」
 サレトナは空板を起動すると、クレズニと叔母と共有しているらしき三人の宿り木から伝言を送信する。
 返信を待つ。その途中で、サレトナは思い出したようにカクヤに切り出した。
「お願いは、もう一つあるの。私はカクヤの故郷に行ってみたい」
「え?」
 予想のできない要求だった。
「カクヤのお母様や、お父様にきちんとご挨拶してみたくて。弟さんもいるのでしょう?」
「う、うん。わかった。俺も聞いてみる」
 自身の空板を起動させて、カクヤは家族の宿り木にサレトナから言われた内容をそのまま打ち込む。いまは夕食の準備や弟を叱ることで、母は手一杯だと思っていたら、すぐに父母両方から「いいよ!」という軽快な返事がよこされた。
「いい、みたい」
 サレトナは嬉しそうに微笑する。その笑顔は愛らしいのだが、どうして挨拶に行きたいのかと考えると思考が桜色に染まりそうになる。タトエから向けられる視線の生温かさに身じろぐことしかできない。
 サレトナもクレズニや叔母から返信が来て、仮ではあるが予定が決まっていく。来月の天月の四日になってから、カクヤとサレトナとタトエは、共に帰郷することになった。最初にアルスに近いタトエの故郷であるヘキサに向かい、次にカクヤのルリセイ、そして最終地点がロストウェルスに決まった。
 話が進んでいく度に、サレトナの落ち込みは軽減されていったので、カクヤは安心する。今日は大変なことがあったみたいだが、立ち直れるとよい。
 そうして、落ち着いた頃にナイテンが食堂へ現れた。
「ロストウェルスさん」
「はい」
「すみません。これからいらっしゃるお客様への応接をお願いできますか」
 サレトナが息を吞む。二瞬ほどの間、戸惑いを見せていたが、カクヤ達が頷くのを見てから、立ち上がった。厨房へエプロンを取りに向かう。
 細い背中を三対の視線が見守っていた。
 場を去ったナイテンはラウンジに向かった。そうして、食堂へ一人の老人を案内する。老人はカクヤ達のいる席から二席ほど離れた二人用の席に腰を下ろした。
 その客には見覚えがあった。よく、沈黙の楽器亭を利用していて、サレトナも何回か接客したことがあるはずだ。
 厨房からサレトナが出ていき、老人の席まで歩く。メモ帳を手にしながら、いつもより硬い声で尋ねる。
「ご注文はお決まりですか」
「コーヒー。後は、パンケーキで」
「はい。コーヒー。それにパンケーキですね」
 サレトナが一礼して厨房へ注文を届けに行く間も、老人はサレトナのことを見つめていた。好奇の視線よりも、純粋な労りが感じられる。
「お嬢さん」
「はい」
 サレトナが再び、老人の席に戻ると、老人は頭を下げた。
「すまなかったね。今日の昼に、迷惑な客が来ただろう」
 質問に対してサレトナは答えない。曖昧な微笑を浮かべるだけだ。
 だが、それだけでも老人にとっては十分だったらしい。
「私も日和ってね。ついお嬢さんのことを話してしまった。変な興味を植え付けてしまったようで、大変申し訳ない」
「事情は承りました。説明のためにご足労くださったこと、感謝いたします」
 それだけで、話は終わった。老人はにこりと微笑みかけると鞄から本を取り出して、読み始める。
 サレトナも厨房へ向かう。
 次にカクヤ達の席に戻ってきたときは、随分とさっぱりとした表情だった。
「あの人、よく来ると思ったらサレトナのファンだったのか」
「違うでしょう」
「カクヤだって、前にいつも来ている人と言っていたよ」
 タトエも覚えていたらしい。カクヤは複雑な気分を抱えたまま、サレトナに声をかけた。
「ま、事の次第がわかってよかったな」
「ええ。また、がんばるわ」
 そう言って微笑むサレトナに、先ほどまでつきまとっていた陰りは綺麗に拭い去られている。
 これなら大丈夫だろう。
 カクヤもまた安心して、笑った。

>第七章第十四話



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