戦歌を高らかに転調は平穏に 第二十話

 珍しく、寝坊した。
 カクヤが起きるとすでにサレトナとソレシカは外出していて、タトエが食堂で本を読んでいた。
 昨日のサレトナとのやりとりを思い出すと、恥ずかしさのあまりに顔を隠して「たはあ」と言い出してしまいそうになる。その羞恥と芽吹いた愛しさを押し隠しながら、カクヤは食堂で遅い朝食を兼ねる昼食を食べていた。
 タトエは向かいに座りながら、そこまで厚くのない本をめくっている。
 ソレシカとマルディという長身の美男美女に言い寄られているというのに、よくも平然としていられるものだと感心した。一種の尊敬さえ抱ける。
 カクヤは小さなカップに作られたミニラーメンを最後に食べ終えると、食器とトレイを片付けに行く。
 厨房に入ると、ラデマという風の精霊族の女性に声をかけられた。精霊族であるために、カクヤよりも背が高い。
「足りない材料があるの。賃金は払うから、買ってきてくれる?」
「いいですよ」
 普段から美味しい食事を用意してくれているのだ。否やがあるはずもない。
 カクヤは代金の入った財布とメモ書き、籠を受け取って、厨房から玄関まで向かい、外に出て行った。
 すでに日は高い。これからさらに厳しくなるはずの日差しを思いながら、渡されたメモを見ながら英断商路に向かって進んでいく。
 慣れた店でメモに書かれた通りの品物を購入し、籠に入れていく。ラデマからは、ルルが余ったら、菓子くらいは買ってもよいと言われていた。だが、それは幼い気がしたのでやめておく。
 英断商路を歩いていると、西から歩いてくるサレトナを見つけた。
 カクヤは立ち止まる。サレトナも数歩だけ距離を置いて、立ち止まる。
「買い物?」
「お使い」
 サレトナはカクヤの籠に目をやると、隣に並んだ。肩が触れ合わないように気をつけながら、ぎこちない距離を作って、歩いていく。そうでもしないと昨日のことを思い出して、また大変だ。「のぐわ」などとも言い出しかねない。
 微笑というポーカーフェイスを作り、柔らかな風に髪を揺らされながら、歩く。
「仲が良いのね」
 聞き覚えるよりも馴染んだ声に振り向いた。
 手を後ろに回しながら、にこりと微笑んでいるサフェリアがいる。
 カクヤはサレトナを背にして、サフェリアに向き直った。
「俺たちに用事か?」
「見かけたから声をかけただけよ。それもいけないの?」
「カクヤ」
 前にはサフェリア、後ろにサレトナと少女二人に挟まれるのだが、嬉しくもなんともなかった。複雑な気持ちにしかなれない。
 そして、サフェリアに対しては警戒が先に浮かんでいた。
「カクヤ?」
 サレトナだけではなく、サフェリアにも名前を呼ばれて、目の前の少女に敵意がないことを理解したカクヤは警戒を解く。
「悪かったよ。それで?」
「私は、いまでもあなたが大切よ」
「サフェリア」
 告白とも、縋りとも告げられる言葉だった。曖昧な感情を向けられたカクヤだが、その言葉に対して二度と肯定を返せない。
 背中に向かって、少しだけ振り向く。
 サレトナがいる。カクヤを見上げている、サレトナがいる。
 ああ、そうだ。
 俺は彼女を。
 サフェリアは何も言わない。待ちすらしない。
 カクヤに背を向けて、サフェリアは去っていく。カクヤはその背中を追いかけない。
 それが答えだった。
「帰ろう」
「うん」
 少しだけ重くなった籠を持ちながら、カクヤとサレトナは沈黙の楽器亭へ帰っていく。

第六章第二十一話



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