第一章 協和音を奏でる前に 一括掲載版

 カクヤがセイジュリオに到着したのは午前九時になる。門をくぐり、案内された試験会場である第一教室に入ると、五人の少年少女がいた。
 第一教室では机と椅子が等間隔に並べられていて、目の前には教卓がある。教卓の左右には長方形の布が鏡にかけられるように浮かんでいた。
 白板に指示された通り、前方から三列目、右から二列目にカクヤは座る。窓から見える風景は、相変わらず、春だ。少し先に森が見える。
 しばらく、結構、ぼんやりとしてから二人の試験官が入室した。教室にはひりつく静けさがある。緊張の気配が多方から感じられた。
 赤い髪をした詰め襟の試験官は教卓の上に箱を置くと傍らに立ち、説明を始める。
「これから本日の試験を開始します。今回は実技試験です。試験の内容は、会場に移動してから最初に集合した三人で一つのチャプターを作ります。それからこちらが指示するものを時間内に入手し、教室へ帰還します。試験時間は一時間です」
 一度、途切れる。
「質問は」
 なかった。
 説明はそれ以上付け加えられないようで、青い髪の試験官が手にしているリボンを受検する学生へと配っていく。リボンの色は統一されていて、赤だ。手首か二の腕、服に巻くように指示される。カクヤは服の左側にある穴に差し入れて、蝶結びをした。
「全員、装着を終えましたら空板の作動確認をしてください。空板を使うのが初めての方は申し出てください」
 戸惑うものはいなかった。またたきするだけで空中に目に痛くない程度に赤い空板が現れる。配られたリボンにより、普段使用している空板は制限がかけられているのか、起動できない。公平性を考えるならば当然の措置だった。
 もう一度、またたきをして空板を閉じてから、受験生は整列させられる。椅子から立ち上がって二列に並び、教卓の左右に用意されていた布の前に並ばされた。
 左側に赤髪の試験官、右側に青髪の試験官が立って布を開く。その先には半透明の空間が広がっていた。
 瞬移の門だ。位置情報を結んだ場所へと瞬時に移動することを可能とする。トラストテイルでは一般的な移動手段だ。
 カクヤの前に並んでいた少女が腕を伸ばすとその先が消えた。少女は気にしていない様子で飛び込んでいく。
 その後に続くカクヤも刀を提げながら、瞬移の門の前に立ち、許可が出てから足を踏み入れた。
 さてこれからどこに行くのだろう。
 などと呑気に思いながらも、見当はついていた。目を閉じる。
 開く。
 カクヤの視界に広がるのは、森だ。常緑樹が適当な距離を保って広がり、太陽の光を浴びている。葉を透かして見える空からは白い光の雨が降り注いでいた。
 自分がどこにいるのかはわかっていても、どの辺りにいるのかは不明だ。空板を出しても地図には接触できない。自分の足で仲間と、指定されたものを見つけなくてはならないのだだろう。
 カクヤは息を吸う。
「だーれかー、いるかー」
 返事はなかった。
 そんなもんだよなあと、カクヤは歩き出す。置かれた場所に近い樹に目印を残すことも考えたがやめておいた。時間は限られている。
 道に迷っても、前進するしかない。
 とはいえ木々が密集しているところで走るのは危険だ。気配を探りながらも早足で進む。歩きながらもカクヤは思考を止めなかった。まずは、誰かに会って班を組まなくてはならない。その相手も選べるわけではない。最初に出会った二人でなくてはならないあたりが、試されている。
 個々人の運命の天秤を。
 トラストテイルに生まれ落ちた存在には例外なく運命が刻まれている。魚が微生物を食べるように。そして獣に喰われる魚のように。さらに、人に解体される獣のように。
 人は神にさばかれる。
 だから、いまもカクヤは自らの運命を試されているのだろう。それが今回の試験で良い目を出すか、悪い目を出すのかと、神と試験官という手の平の上で賽を転がされている。
 地に足をつけているというのに左右に揺らされている心持ちになりながら、カクヤは開けた場所を見つけ、その先には影があった。
 木々を抜けていく。
 いたのは。
「サレトナ?」
 振り向く。
「カクヤ?」
 二日前に初めて出会った少女は、いまは白銀の杖を地面に立てながら押さえているところだった。
「なにしてるんだ」
「この杖が倒れた方向に行こうと思って」
「それは面白いな」
 言いながらもサレトナは杖を倒そうとはしなかった。カクヤをじっと見上げている。
「あなたが私のチャプターの相手、ということかしら」
「だろうな。で、あと一人捜さないといけないわけだ。そうじゃないと、指示される内容がわからない」
「そうね」
 とりあえず進んでみようという結論を出した。
 カクヤもサレトナも進んでいない、南の方向を歩いていく。そのあいだに持ち帰るものの指示は一つもくだされることはなかった。
 残り時間は気になるが、空板の時刻は隠されている。腕時計も道具の一つとして数えられるため持ち込んでいない。過ぎた時間は体感で把握するしかなかった。
 カクヤは前へ進みながら、横を歩くサレトナに尋ねる。
「多分さ、今回の試験は臨時の相手との連携ができるかとかも試されていると思うんだけど」
「あらかじめチャプターを分けて決めていない、ということはそういう可能性もあるわね」
「ああ。だから、サレトナはどういった魔術や聖法を得意としてるんだ?」
「私は」
 答えは警告音に埋め尽くされた。
 三回ほど甲高く鳥の歌が鳴り響く。空板を起動すると西端の開けた場所に赤い印が現れていた。地図のその他の部分は表示されていない。
 前後左右を振り向くと、西方以外は木々が寄り添うようにして歩行を困難にしている。
「これは行けってことだな」
「ええ、行きましょう。それとこの杖を見てわかるように、私は魔術士だから。前衛は頼むわね」
「了解。使うのは?」
「氷魔術と回復魔術。もう一つは秘密」
 人差し指を立てながら口元に添えて言われるとそれ以上の追求はできなかった。サレトナは念を押すように言う。
「大丈夫。サポートは得意だから」
「期待しているよ」
 カクヤはサレトナの前に立つと、西方に向かって歩き出す。近づいても敵意を感じることはない。ただ、かといって敵がいないことにはならない。
 先にいる存在を推定するならば野生の動物の可能性は低い。そういった生物は試験前にあらかじめ避難させられているか、保護されているはずだ。そのため、考えつくのはセイジュリオの飼育下にある敵性存在だ。例えば、魔獣といったものになる。
 あと少しで会敵だ。
 狩りの経験はある。戦いになっても大丈夫だと自分に言い聞かせながら、森の開かれた場所に出た。
 目の前には何もいない。目に見える存在はいなかった。
 カクヤは眉をひそめる。背後から赤い蝶が姿を現して、慎ましく羽ばたきを繰り返していった。サレトナが放った蝶かと視線を送る。
 蝶は、空間の真ん中で散じた。
「シャアッ!」
 威嚇と悲鳴の間の声を響かせながら、鎖に巻かれた四つ足の魔獣が木々の間から飛び出してくる。
 距離を保ちながらカクヤは刀を抜いた。青眼の構えを取りながら短く声を上げた。
「瞬空」
 正しくは歌にもならない一節だが、体から余計な力が抜ける。緊張がほどけて四肢が軽くなるのを感じた。
「サレトナ、相手の足止めを頼む」
 こくりと頷かれる気配がした。
 対峙した魔獣はまだ動かない。体を左右に振っている。どちらが先に動くかという緊張がこの場を染めていた。木々も風に揺らされるのをこらえていると錯覚しそうなほど、息苦しい静寂が肺を満たす。
 カクヤは服の裾を引かれた。つい振り向きそうになるのをこらえる。
 サレトナが取った行動は戦闘開始の合図だった。
「氷の華は塵すら彩る。氷華彩塵!」
 言葉が消える一瞬前に、獣の周囲に氷の華が咲きほこんでいく。それらは一瞬にして散開すると花弁が互いを映すように見つめ合い、冷気を伴った光線を放っていった。光線が乱反射していくと、獣は危機感を覚えたのか、包囲網を突破するために突進してくる。
 カクヤは一足飛びで獣と距離を詰めていき、飛びかかってくる相手を横薙ぎに斬り伏せた。獣は地面に転がり、さらなる氷の追撃を受けると塵になって還っていく。その光景を見届ける途中で、頬にぬめりを覚えた。拭う。手の甲には褪せた赤が付着していた。
 先ほど舞っていた蝶の、残骸だ。
「これは」
「それが私のもう一つの魔術」
 サレトナが杖を背にしながら近づいてくる。自分の成果を認めてもらえると信じ切った誇らしげな様子で、サレトナは言った。
「自傷魔術。ロストウェルスでも使える人は滅多にいないんだから」
 その言葉には、一つの到達点に立てた者特有の傲慢さがあった。
 サレトナの口にした内容が事実ならば、自傷魔術は使える存在が限られている、希少な魔術の一つだ。そしてからくりを知らされることのない魔術ほど奇跡に近い価値を持つ。魔術に長けた者ならば賞賛しただろう。何も知らないカクヤであっても、サレトナの魔術の力量は純粋に認められた。氷の華から放たれる一撃はカクヤをかすめもしなかった。
 それなのに、カクヤの胸に湧き上がる感情は肯定ではなかった。
 嫌悪だ。
 カクヤはサレトナを見つめる。サレトナは、出会った時よりも強気な様子で背筋を伸ばしている。出会ったときのおとなしさよりもいまの快活な姿が本来の気性なのだろう。
 その様子が腹立たしかった。
「やめろ」
 断じる声を聞いたサレトナは目を丸くして、驚く。初めて怒られる子どもが、怒られるという行為の意味を全く理解していない表情だった。もしくは、自分がいま怒られていることは理解していてもどうして怒られているのかは届いていない。
 本当にやめてくれ。
 カクヤは拳を握りしめる。
 女の血だけは、見たくない。
 カクヤは刀をしまい、ゆっくりとサレトナに近づいていく。サレトナが怒気をぶつけられて怯えているのはわかっていた。それでも、いま逃がすわけにはいかない。後退していくサレトナの肩を、カクヤは両手でつかんだ。
 出会って三日も経っていない相手に取っていいはずがない、乱暴な態度だ。
「サレトナ。そんなものは使わなくていいんだよ。自分を傷つけることなんて、しなくていいんだ」
 懇願が口からこぼれる。
 目の前のサレトナは唖然としていた。どうしてそんなことを言われるのかがわからない。自身の手足が異形であると言われるのと同意義なほど、自身にとって使うことが当然なものを否定されている。信じられない、と杏色の目がカクヤに疑問を投げかける。
 カクヤはその瞳の色に心臓がきりきりと締め上げられる痛みを覚えた。
 誰かに愛されると同時に誰かを愛している少女が自分を傷つける術を誇らしく扱えるものか。それなのに、サレトナが自傷魔術を躊躇なく使える理由に気付くだけで、頭が締め付けられる。
 サレトナに自傷魔術を教えた存在も、それを使うことに疑いを持っていないサレトナも、いまは苦い。その苦さを強引に呑み込んだ。腹の奥が焦げても知ったことか。
 カクヤは真っ直ぐにサレトナを見つめた。
「自傷魔術なんて使わなくていい。そんなものがなくてもサレトナが大丈夫なように、俺がなんとかするから」
「あ、え、はい……?」
 戸惑いながらも頷くサレトナの肩をつかむ手に、過剰な力を込めていたと気付く。放して、だけれど目は合わせたまま言う。
「ごめん。進もう」
「うん」
 周囲の閉ざされていた木々は開かれた。方向も何も考えずに歩き出す。頭が回ったまま進むカクヤと沈黙するサレトナの間に会話は生まれなかった。相談もできなかった。
 カクヤはサレトナの生き方を否定した。相手の自由など省みずに自身の感情に従って、否定した。申し訳なく思う気持ちはない。だけれどサレトナに他の生き方がないとしたら、カクヤのしたことは自己満足に他ならない。
 そのことに気付いている。
 だから、何も言えない。
 いまだって頭の中で混乱は続いていた。試験など半ば吹き飛んでいる。
 森を進み、進み、曲がり、進んでいく。空板で周囲を探ろうと開くのだが、狭い範囲しか表示されなかった。
 これからどうしたらよいのだろう。
 冷静になるために、一度息を吐く。その呼吸を聞いたのかサレトナが口を開いた。
「あの、ね」
「ん?」
 振り向こうとした。だが首は動かない。
 目の前に、第三の存在が現れたためだ。
 その少年は栗色の髪をしていた。頭の両端に猫に似た三角の尖りが覗いている。だが、人だ。琥珀色の瞳はカクヤと同じ造りをしている。背丈はサレトナくらいで、白のシャツに黒のズボン、何より紫のマントが印象的だった。手首に巻いているリボンは黄色だ。
 突如現れた少年だったが、カクヤとサレトナを確認すると顔を一気に輝かせる。
「よかった! ここで、二人も同時に出会えた!」
 無邪気に喜ぶ姿は、夜空に浮かぶ星を連想させる。
 狐星薄夜ほころぶ西灯り。
 ふと、そんな調子の詩歌が浮かんだ。それらが考えつくということは多少ながら普段の落ち着きを取り戻せているらしい。
 カクヤは自身の調子を把握するために意識を巡らせていたが、少年は構わず手を差し伸べてきた。
「はじめまして。僕はタトエ・エルダーだよ。まだ一人でいたんだけれど、君たちは?」
「俺はカクヤ・アラタメ。いまは二人で行動している」
「サレトナ・ロストウェルスです」
 乗っかって一礼したサレトナにタトエは深く頷く。その手が下げられていないことに気付いたカクヤは手を握り返した。サレトナも控えめにつかむ。
「ありがとう。それで、試験全員合格のために力を合わせられないかな? 呼び方はお互いに、さんもくんもいらないから」
 願ったり叶ったりの提案だ。カクヤもサレトナも頷いた。
 にこりと笑うタトエもまた、ロストウェルスという名詞に思うことはあるだろうが、口には出さないでいた。いまはその話題をすべき時ではなかった。試験を終えることが先決だ。
「さて。これで最初の課題である、チャプターはこの三人で揃ったわけだけど。あとは持ち帰るものの指示だね」
「そ」
 カクヤが相槌を打ち終える前に、サレトナの目の前に青の空板が現れる。タトエと揃ってのけぞった。動揺していないサレトナは空板の内容を読み上げていく。
「いまもらった指示は……北西を目指すこと、とまず書いてあるわ。あと持ち帰るものは『いま、一番失ってはならないもの』とだけ」
「指示というわりには抽象的だな」
「そうかな? すごくわかりやすいじゃない」
 タトエは馬鹿にしても軽んじてもいない調子で「答えは出ている」と言う。その答えを聞くのはずるい気がしたため、尋ねなかった。
 ただ、即座に答えに気付いたタトエの勘の良さに感心する。
 指示されたので向かう方向は決まった。カクヤを先頭にしながらサレトナを間に挟み、タトエが殿となって進んでいく。木々もすでに妨げる気はないようで、森を歩く不自由さはなかった。敵の気配もしない。
 カクヤは先ほどサレトナが明かした自傷魔術のように、タトエの扱う技法に驚かされることがないことを祈りながら、どういった術や法を扱うのかを尋ねた。
「僕は聖法。その中でも星の法と書く、星法を使うよ。いまは武器を持ってきていないから、できることは援護か弱い中距離攻撃だね。前衛は任せるよ」
「それなら、戦闘だとカクヤ頼みになるわね」
「うん、わかった」
 振り向いて、サレトナとタトエを少し見つめた。
「守るよ」
 その言葉が自身にはそこまで強く向けられていないことを自覚しているだろうに、タトエは楽しそうに微笑む。いまだ芽吹きもしていない淡い種の気配を察していた。カクヤは慌てて前を向いた。
 北西に進んでいき、途中でまた開けた場所に出る。今度は警告音が鳴らない。それでも警戒のためにカクヤが刀に手をかけると、タトエが詠唱を始めた。
「彼の者らに星の祝福を」
 一時的な身体能力の向上は戦端が開かれた時に戦うカクヤのみならず、サレトナが逃走するのにも役立つ。
 祝福を受けたサレトナはタトエに尋ねた。
「タトエは聖法だけなの?」
「うん。これでも信仰者の家系だから、魔に関する術法は扱えないよ。サレトナは?」
「私は」
 サレトナは答える前に一度、カクヤに目を向けた。その視線に対して厳しい色を込めずにはいられなかった。タトエが理解の鋭い少年だとしても、誤解を招くやりとりをするのは危うい。
カクヤがそういった事情を判断する、義務も権利も責任もないというのに、要求だけはしてしまった。
 言いたいだろうことを呑み込み、サレトナは指先に氷片を数粒だけ散らした。
「私は氷魔術と回復魔術を得意としているの」
「それは珍しいね」
「ありがとう」
 そつなく話をするタトエに助けられている。先ほどまでの、二人きりが続いていたらいまも辛い状況だっただろう。また、タトエよりも愛想や遠慮のない存在が第三の仲間だったら、さらに険悪になっていたはずだ。
 カクヤは背後の会話を聞きながら、開けた場所に足を踏み入れた。何も出てこない。北西に向かって真っ直ぐに道は拓けていて、遠くからうっすらと魔法の気配がする
「カクヤは、刀が得物?」
「ああ。それともう一つ」
 立ち止まり、カクヤは顔を上げた。
 下を向いていたら歌は唄えない。すうっと深く呼吸をして口を開けた。
「蒼穹を駆ける白弓よ。届くは雲の彼方からにありて」
 とっさのことで編めるかは心配ではあった。それでも上天の意思に意味は通ったらしく、一筋の細い矢が真っ直ぐ北西に跳んでいく。その矢に反応はなかったため、害敵はいなさそうだ。
 安全を確かめたら、あとは時間との勝負になる。
「そろそろ走るか。多分、北西にある魔法の気配がゴールだ」
「うん。それにしても、カクヤは聖歌も使えるんだ。目の前で使う人は初めて見たよ」
「俺の街ではそんな珍しくないけどな」
 聖法に魔術も魔法も使用するにはそれぞれ癖がある。個々人の発想と学習によって得手となる技法、術法の選択肢は多岐に渡るが、習得できる技術は一人でも二つか三つ、多くて五つくらいだ。
 いまはタトエの星法で身体能力の強化を行い、カクヤの聖歌で索敵を済ませた。あとは時間切れを起こす前に試験会場へ戻ることが優先させる。
「だけど、本当に何も指示された物を手に入れてなくていいのか?」
「そこは大丈夫だよ。僕を信じて」
 タトエが素直で聡明な少年であることは短い間で感じられた。それでも、今回は試験だ。これで不合格になったら全員にとって哀れが過ぎる。
「行きましょう。もう、探す時間もないもの」
 カクヤの悩みをサレトナが滑らかに断裁した。言われるとおり、あてもなく指示されたものを探す時間はないだろう。
「わかった、行こう」
 そうして三人は走り出した。
 幼い頃の無邪気さはないまま、ただ目標に向かって足と手を動かしていく。負荷が普段よりもかからずに前へと進んでいくのは、タトエの祝福が効いているためだろう。遠いと思っていたゴールも想定していたよりも早く近づいてきている。
 舌を噛まないように気をつけながら、カクヤはサレトナに問いかけた。
「サレトナはわかったのか? 『いま、一番失ってはならないもの』の答えが」
「うん。だけど、タトエがはっきりと言わないとおり、それが何かを教えるのは多分。だめなことだから」
「みんな迷いないなあ」
 カクヤも答えの見当はつき始めた。だとしても、即座に気付くタトエや想像以上に腹の据わっているサレトナと違って、自分の半端さが目についてしまう。
 走る。先に進む。
 先ほども効いた鳥の鳴く警告音が響いた。身を固くする三人だが、前方に敵はいない。だとしたら、後方かと思い至る前に規則正しい足音が届く。まだ距離はあった。会敵する前に、あと百メートル先にある瞬移の門に辿り着ける可能性も高い。
 カクヤは速度を落として、サレトナとタトエを前に行かせた。
「先に行ってくれ!」
「一人で戦うことはしないでよ!」
「ああ! 念のためだ!」
 走ることは続ける。振り向きたくなるのを必死になってこらえた。いまはその暇はない。一歩でも先に進み、瞬移の門をくぐることが先だ。それでも、サレトナを先に行かせたかったためにカクヤはタトエと殿を後退した。
 背後からは敵意はない。淡々と、近づいてくる。中々に心臓に悪い足音が、と、て、た、た、と響く。一歩ずつ大きくなっていることが、怖い。
 と、て、た、た、と、て、た、た。と、て。
「氷華彩塵!」
 二度目の澄んだ詠唱が届く。正確性を欠く、ただし牽制には役立つ氷の線がカクヤの背後で狂乱した。
 それに背を押されるようにして、カクヤは足を速める。サレトナとタトエはすでに試験会場と同じ瞬移の門の直前にいた。
 カクヤを待っている。自分たちだけでも進めばよいというのに、待つ。
 ようやく、答えに確信を持てたカクヤは、サレトナとタトエの腕をつかんで瞬移の門に飛び込んでいった。
 門が、閉じられる前に見えた。一瞬だけ見えた。
 振り向いた先にいたのは、あれは。
 なんだったのだろう。
 銀の敵意だけが目に焼き付いた。

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