花園の墓守 貴海編第六章『手を振り払い、つかんで放さないで』

 滅びた彼岸の書館の前には、影生と弦がいた。
「他の人は」
「すでに中にいるぜ。七日がやかましかったが、由為がいまここにいるなら」
「ああ。あとは彼を書館に入れたら最後の変革だ。弦。一緒に、入ってくれ」
 指名された弦はやりたくない気持ちと頼まれたことを果たしたい感情が拮抗しているようだった。口を引き結んでいる。
「弦は、中から書棺を書館に変える。俺と影生で彼岸に変革する」
「僕は生きるよりも貴海さんに滅び去られたいです」
 そういうところが弦を完全に好ましく思えない理由だった。
「つーるー。貴海さんとファレンさんがようやく二人きりになれるんだ。思いやってやれよ」
「僕はそれを見たいんです!」
 こんなところも弦をあんまり信頼できない原因だった。
 下手に横恋慕をされた場合のがはっきり断ることができて良かっただろうに、と思うくらいに弦は貴海とファレンの恋が成就し、さらなる発展をすることを期待している。だがそのようなところを見せたいわけではない。
「弦。頼むよ」
 下手に言葉を重ねるよりも、交渉の余地はないと教えるために少し困ったように微笑んで頼んだ。いまだ葛藤を続けているようだったが最後には折れ、唇を尖らせる。由為を受け取ると、書館の中に入っていく。その、直前で振り向いた。
 弦は初めて見る表情を浮かべていた。どうしようもないことがひっくり返るのを願う賭け師らしくのない顔だ。
「貴海さん。ファレンさん。僕は、ここであきらめさせられるんです。責任を持って満足のいく行動をしてくださいね」
「それは約束する」
 背中を向けて弦は書館の中に入った。貴海は扉を閉める。影生と目を合わせ、軽く笑った。「長かったな。ここまで」
「ああ。長かった」
「もとの彼岸に戻ったら、貴海さんたちはどうするんだ」
 すでに、彼岸に戻ることはできない。かといって、此岸で終わりを待つことも無理なのは分かっていた。すべきことは、滅びをもたらすことだと割り当てられた滅びの権能が叫んでいる。此岸の人は彼岸に全てを託した。応えるために、此岸の字を滅ぼさなくてはならない。 影生が聞いているのはその先で、分かっているからこそ貴海は微笑することしかできなかった。肩をすくめられる。
「影生はどうするんだ?」
 ファレンの問いに軽快な笑みが返された。
「俺が知っている全てのことを、彼岸に伝えて。悠々自適に残りますよ。いろいろ退屈しない人たちもいるからな」
「そうか。じゃあ、さよならだな」
「はい。さよならです」
 影生は貴海とファレンと握手を交わす。手が離れ、貴海と影生は揃って立つと書館に手を添えた。
 滅びた彼岸では書の棺であるものが、いまに還ると書の館にまた形を戻す。その流れを汲み取って、影生も貴海も、ファレンを連れて彼岸へと変革した。
 空は昏く、花園は赤白青が揺れている。
 ここが彼岸だ。
 慣れ親しんだ場所の空気は思考を明瞭にさせてくれる。貴海は深く吸って、ファレンに手を差し出した。影生とはすでに別れを済ませていたから、河に向かって歩いていく。手は、つなぐ。歩幅は彼女に合わせてゆっくりと。
「ファレン」
 歩きながら呼び掛けると同じのんきさで「なんだ」と返ってくる。見上げてくる細い緑の瞳孔と、金の瞳は変わらず愛らしかった。
「君だけは生きていて欲しいからと裏切ったら、一生許さないか」
「うん。貴海にそうした俺を一生許さない」
「そうか。なら、いいな」
「そうだよ。いいんだよ」
 河の前に着く。灰色の水はうねり流れ彼岸と此岸を遮り、泳げそうにもない。いま河を渡る舟もない。
 貴海は、階段を下りるように、少しばかりの段差に弾みをつけてから足をつけるように。 自然な動きで河に身を投げ出した。ファレンと手をつないでいる。途中で放す考えも浮かばずに、ファレンも落ちてくるのを見上げる。体が触れてからは強く強く抱きしめた。
 河はとうてい人の身では処理できないほどの古字に至る現字と、古字と、壊れた字で満たされている。これらは彼岸へ流れつくのだろう。貴海はそちらに繋がるのではなく、此岸へと意識を向けた。河は想定以上に清らかで、まとわりつく感覚もない。だから此岸にすぐに接触できた。
 いまだ現字として存在しているものを、一つ一つ解いていく。それは建物であったり、机であったり、地面であったり、枯れた花であったり、人であったりした。
 深い深い河の底にはまだつかないまま、貴海はゆっくりと此岸を滅ぼしていく。目を閉じて、ファレンの温もりだけを明確に感じ取ったまま、丁寧に字を一つずつ分解していった。

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