鳴り響け青き春の旋律よ 第五話

 カクヤたちがセイジュリオへ転入学してから、一月が経った。
 いまはすでに流月となり、街の木々は緑に色づいている。英断商路の店頭に並ぶ商品の品目も変わってきた。
 そして、今日は春の雨だ。カクヤたちは自身の傘をそれぞれ持ちながら、沈黙の楽器亭を出てセイジュリオに向かう。その前に宿長のナイテンから、今日の昼食となる弁当を渡される。中には氷が入っていた。
「今日の弁当には抗菌のために、聖氷が入れられている。ロストウェルスさんに感謝するように。下宿の際に多めに分けてもらえたからな」
 カクヤとタトエ、ソレシカが礼を言うと、サレトナはつんと澄ました顔になる。
「私は何もしていませんから」
 照れ混じりの強気な謙遜をするのだが、聖氷を継ぐ義務は絢都アルスに訪れる前のサレトナもしていたことだ。改めて感謝を述べてから、カクヤたちは宿を出た。
 雨の街はいつもより薄暗く静かだった。雨は傘や地面に打ち付け、だだだっだだという音を立てるため、膜を隔てて周囲を見ている気分にさせられる。朝の会話もいつもより控えめだ。
 雨の音に意識を傾けている間にセイジュリオに着く。幸いにも道の水はけは良かったのか、歩いていて靴がひどく水に染みることはなかった。
 タトエとは昇降口で分かれて、東棟の三階にある教室へカクヤ、サレトナ、ソレシカは向かう。
 すでに開いている扉をくぐると、教室には別クラスの学生であるクロルがいた。清風と話をしている。
 清風はカクヤに気がつくと手招きをした。カクヤは濡れた鞄を背負いながら、二人のところへ歩いていった。
 クロルが用件を素早く切り出す。
「来月の戦闘実習の前に、明日の授業で君たちと手合わせをしたい。その相談に来た」
「べつにいいけど」
 カクヤがあっさりと答えると、清風が渋い顔をする。「もう少しだけ粘れ」と言いたげだった。クロルは反対に勝ち誇っている。
「と、いうことだ。清風もカクヤが了承するならいいと言っていただろう」
「いーけどさ。その提案は主にお前にしかメリット無いだろ。カクヤたちは講試について全然わかっていないし」
「こうし?」
「講評試合のこと」
 清風は正式名を言ってくれたが、カクヤには「講評試合」が何を指すのかは不明なままだった。
「だから実践で説明してやろうというのに。文句はないだろう」
 いまここで、講評試合について聞いても答えは返ってこないことは予想がついたので、カクヤは口を閉ざした。
 クロルは、用件は済ませたとばかりに早々に自身の教室へと戻っていく。その背中を見送りながら、カクヤは清風の後ろの席が空いていたので座る。
「特別なルールでもあるのか?」
 戦闘実習は実戦形式で争うとばかり考えていたのだが、それだけではなさそうだ。清風は椅子の背もたれによりかかりながら話す。
「そのあたりは、今度、ローエンカ先生が説明してくれるだろ。それよりも、昨日のロスウェルちゃんとの話はどうなったんだ?」
 清風は目を興味津々に輝かせながら顔を寄せてきた。カクヤはのけぞる。ロストウェルスをロスウェルちゃんなどと略せることに、何回だってびっくりする。仮にも、神職の家柄だというのに、随分と気安くなったものだ。
「まだ当日にもなっていないよ」
「宿に帰ってから、どこに行く、とか何をしよう、とかそういう話にはなったのか」
「なっていない」
 カクヤが断固として言い切ると、清風は呆れた息を深く吐いた。
「つまんねーの。アラタメの反応は面白かったけど」
 それからは、また別の話へと移っていった。清風は最近になって好んでいる雑誌や鍛冶の話をしてくれる。意外にも清風は将来の夢として鍛冶士を目指しているという。道程は狭く険しいが、就けたのならば重宝される職業だ。特に伝承武具や幻想武具を作成できるとなると箔が違う。鍛冶士の最奥を清風は目指していると告げた。
「で、アラタメは次の講試だけど、負けてもいいわけ? クロルに舐められっぱなしだろ」
「うーん」
 進んで「負けました」という道を選びたいわけではない。けれど、何をしてでも勝つことに執着してるいるわけでもなかった。他者を踏みにじってでも勝つことへの執着が未だに見出せない。
「誰かの譲れないものを壊すくらいなら、負けてもいいのかもな」
「優しいのか、半端なのか、セキヤ先輩の言う負け癖なのかわっかんねーな」
「優しかないよ」
 覚悟がないということだけは断言できた。
 カクヤは教室の白板を見る。今日の日直は命唱らしい。教室には学生たちが持ち込んでいる鞄だけではなく、アクトコンで使われるラケットや模擬剣などが増えている。入学当初よりも教室は雑然としてきた。
 その中で、カクヤは自身が定まっていないことをぼんやりと感じる。制服作成の時にミュイにも言われた、「気合いが足りない」や「なにができるようになりたいのか」という点が、まだはっきりとしていない。するべきことは完遂するけれども、自身の中で何をしたいのかは未だ像を結んでいなかった。
 ぼんやりとしているカクヤを眺めていた清風はきっぱりと言い放つ。
「ちなみに俺は絶対負けたくないタイプ」
「察していた」
「だって、リーダーだぜ? 俺のすることに仲間の評価もかかってくる。それなのに他の誰かを思いやって、手なんて抜けるかよ」
 当たり前のことを説明されて、リーダーであるというのにうだつの上がらない己をカクヤは反省する。
 カクヤだけならば好きなだけ負けても良いのだろう。しかし、その後ろにはサレトナやタトエ、ソレシカがいる。彼らや彼女らを巻き添えにしながら、中途半端な態度を取って良いわけはない。
 朝礼の開始を告げる鐘が鳴る。席を離れていた学生たちは慌てて自身の席へと戻っていった。
 少しの猶予を与えてからヤサギドリが入ってくる。出欠の確認を取ってから、今日の都内協力活動は中止だと説明された。
「雨の日ですと、することが増えて、学生に指示することも多くなります。授業にご協力くださる都民の方々に迷惑をかけないためにも、今日は言語の座学にします」
 カクヤはノートを開きながら、考えていた。
 リーダーがするべきことと、自身のしたいこを一致させられるのかどうか。

第四章第六話



    • URLをコピーしました!

    この記事を書いた人

    不完全書庫というサイトを運営しています。
    オリジナル小説・イラスト・レビューなどなど積み立て中。

    目次