花園の墓守 由為編 第二章 『花園のために』

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 彼岸に来て二日目の朝だ。
 由為は持ちこんだ服に着替えて、顔を洗い、貴海と七日が作った食事をすましていく。食事中に彼岸の管理者になる二人が今日の午前中に河を渡ると聞いて、楽しみになった。
 六人が集まり、これから本格的に彼岸の花の管理者として働くことができる。自分は何をするのか、何をできるかを考えるのも胸が弾むことだった。
 食事が終わると、由為はファレンと食器を洗うように貴海から頼まれた。
「いくぞ」
 食堂に置かれていた紺色のワゴンの上に皿を乗せてファレンが出発する。由為はその後ろをついていった。

 七日は由為とファレンを先に行かせたのは貴海の配慮だと分かっていた。
「笑ってみましょう」
 食事の時の席に座ったままの貴海が穏やかに、自分も口元を持ち上げて言う。
「こう」
「上出来だ。あとはこれから来る、衛さんときさらさんにもできるように」
 笑顔を浮かべていた七日の顔から即座に表情が消える。
 七日の胸のうちは、どうしてそんなことをしなくてはならないのかと苛立っていた。これはいけない感情だ。悪い感情を溜めていくのは悪いことだ。
 だから此岸から見捨てられたのに、見捨てた側である此岸の人に親しみをもって媚びを売らなくてはならないのだとしたら。恥ずかしさが沸騰する。そんなことをしたくない。此岸を嫌いだと言い放って河を乾かしてやりたい。
 貴海は静かに尋ねた。
「誰かに優しくするのはいやか」
「ううん」
「ならば、由為や新たに此岸から来る二人が、嫌いだから関わるのがいやなのか」
 七日の心は頷く自分と、偽る己に冷たい目を向ける自分に分かれた。
 由為はいやな人じゃない。傷つけてくる人じゃない。これから来る二人はわからないけれど由為は優しかった。
 優しいけれど此岸の人だ。生まれてから七日しか経っていなかった七日を彼岸に任せたのは、此岸の人だ。感情は絡まって一本の糸に戻れない。由為に対する思いへまだ明確な結論を出せなかった。
 貴海が立ち上がる。椅子をしまい、七日の頭に手を添えた。
「七日がどうしてもしたくないと決めたならしなくていい。俺はそれだけだ。ただ、嫌いの振りをするのは苦しいから」
 落ちてきた貴海の言葉は棘が密集した感情に染み入るように優しかった。わがままを抑えて、少しだけなら此岸の人たちに丁寧に接するべきだと思うくらいには。
 七日がうつむいているあいだに、由為とファレンが戻ってきた。
 途方に暮れている表情を見られるわけにはいかない。七日は空っぽな強気を全身に張り付けた。その気に気を遣って、ファレンは貴海に話しかける。
「貴海、そろそろ此岸から人が訪れる頃だろう」
「そうだな。行こう。由為さんと七日も」
 貴海に促されて食堂、廊下、エントランスホールと辿って屋敷を出ていく。途中で歩きながら由為が言った。
「貴海さん。俺のことも呼びすてでいいですよ」
「わかった。それで由為はなんて俺を呼ぶんだ」
「貴海先輩」
 決めていたといわんばかりに楽しそうに宣言した。貴海も微笑する。顔を見合せて、屈託なくじゃれあう男性たちに呆れるようなうらやましいような気分になった。由為の素直さは驚くけれど憎らしい。
「男の子たちはすぐ仲良くなるな」
「まったくだよ」
「俺たちも仲良くするか?」
「けっこうです」
 先を進む七日の背中をファレンは大切そうに眺める。七日は後ろを振り向かなくても、見守ってくれる視線が優しいことを知っていた。
 少しだけ強がりが抜けるほどに。


 青から白、赤へと移り変わる花園を抜けて、由為たちは彼岸の舟着き場に到着する。河の上でのんびりと遠ざかっていく舟を背にしながら、一組の男女がすでに石畳の上で待っていた。
 男性は穏やかな雰囲気をまとっていて、黒に近い深緑の髪を中心で分けながらも、長くみっともなくならないように切りそろえている。緑の瞳は理性的で濃い灰色の制服を着用している体は均整がとれていた。荷物は四角い動かせる鞄に入れているようだ。
 女性も落ち着いて利発そうな人だった。紅色の髪を上でまとめ、男性よりも明るい緑色の目をしている。此岸では多い瞳の色だ。髪よりも薄く、上品な薄い赤色の制服は女性によく似合っている。
 由為たちに気付いた男性と女性は頭を下げた。貴海は最初に声をかける。
「ようこそ、彼岸へ。俺が現在の管理者統括を務めている貴海だ。これからよろしく頼む」
 貴海が差し出した手を先につかんだのは男性だった。
「俺は衛といいます。これからご指導お願いします」
「いい声をした人だな」
 ぽそりとファレンが漏らした言葉に苦笑する。七日は咎めるようにファレンの背中をつついていた。
 衛の後に女性が両手を使って貴海と握手する。
「きさらです。今回は彼岸に来られて本当に嬉しい。よろしくお願いしますね」
「ああ。こちらこそ」
 そのあとは、ファレン、七日、由為と挨拶が続いた。向けられる言葉と笑顔は素直で裏が無く、この人たちとならうまくやれるという印象を由為は抱く。
 心配なのは七日だったが、昨日、由為に向けたほどの警戒心はなく淡々と挨拶をしていた。もう少し愛想がよくても、と思わなくはないがそれは七日の自由だろう。
 貴海は軽く衛ときさらを案内すると屋敷に戻っていった。その後は花園に全員集まるように言われる。
 遠ざかる三人の背中を見送りながら由為は言った。
「いい人たちでよかったですね」
「そうか?」
 ファレンの返しに由為が驚き、顔を見ると目を細めて笑っていた。その表情に心あたりはなく、戸惑ってしまう。
 ファレン先輩は何を読み取ったのだろうか。
「由為さん。ファレンお姉ちゃんの引っかけに引っ張られてたらやっていけないよ」
「ふふふふふ。つれなく言うな」
「はあ……おねえちゃん」
 由為の反復を聞いて七日の表情が「しまった」というものに変わる。ファレンはというと「俺は七日のおねえちゃん」とくすくすうたっていた。
 睨む七日とかわすファレン、二人のやりとりを見ていると感心してしまう。丈の長いワンピースを着ていても軽やかにふるまうファレンと短いスカートでも活発に動く七日は、とても仲の良い姉妹のように見えた。花園で舞うのにふさわしい平和がある。
 衛さんやきさらさんが来る前は、貴海さんとファレンさんとだけ過ごす時間が七日さんにはあって。そのあいだの七日さんは二人に慈しまれながら暮らしていたのだろう。甘いだけではなく、からかわれたりしつつも、愛されていた。
 由為は少しだけ、七日が此岸に敵意を持ち、彼岸に愛着を抱く理由がわかる気がした。いつか、その気になるだけではなく、七日の思いを理解したい。
 まだ見ぬ空を知るために。

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