Memome

「不完全書庫」を見返していて、自分の好きなものを言語化することはとても大切だ……と思い至るなど。
改めて、最適なタイミングで「X(当時はTwitter)」を辞めることができたのはとても幸運なことだと思います。
たまに思い悩んだりして、「Xfolio」以外の投稿サイトに作品を公開することも考えたりしますが、それでもサイトを優先する自分の判断は私にとって有益でした。
これからも、サイトが一番、たまに「Xfolio」でがんばりたいです。
自身の芯を揺らがせない。そうしたら、生まれるものはきっとある。
SNSも個人サイトも等しくインターネットの上にあるのは変わりないのですが、見る際に「自分の意思によるクリックをする前提があるかどうか」は大きいのではないかと思います。
こちら、SNSではすでに言ってはいけないことになっていますが。

背景や物を描くと、やっぱり「まだまだ私は絵が下手だなあ」と自分の絵を観てしみじみ思うのですよね。下手だとわかっていても、他人から「下手ですね」と言われたら絶対にむっとするのですけれども。さて、話の本題。
隣の席にいる友人と比べられながらも描き続ける、学び続ける方たちの執念や凄まじさを、自分の絵が「下手」なことを実感するたびに染み入るように感じます。私は自分の創作を「趣味」と位置付けていますけれども、本当はその地点で終わらせたくないのに、いまのところ心を守るために「趣味」としている。
本当は違うのに。その事実が、とても悔しくて、虚しくなります。
だけれども続けていられるのは、やっぱり「好き」があるからなのでしょうなあという、損も益体もない話。
畳む
格好つけなくてどうするんだ!
という信念で大分がんばっています。いまはへたれていますが。
真面目にアプリやサービスのパスワード管理を始めているのですが、こちらは本当に前々からしておいた方が良いです。
いつ何時、何が起きても良いように今まとめていますが、作業が多くて大変です。
「blue sky」さんにいらっしゃる方は反応が優しいですね……。
こちらの方が私には合っていたのだとしみじみ。
正直、男の浪漫よりも女性のリアリズムが勝利する瞬間を書きたくて仕方ないのですよね!
イベントに出たい気持ちに駆られますが、出す本がまだありません。
哀しい。
自分にとっての正義など、胸に抱いている正義感などでは何も救えないのだと虚しくなりますね。
石を投げる人を止めることなどできはしない。できるのは、石を投げられた人に水を与えることだけだということが、悔しい。
それすらもできない時も沢山あります。
SNSで発信する際に同情を買いたい時や同じ意見をもらいたい時には黙っていた方が良いです。
反対意見や反感を買うのも、その意見ですので。
魂を削らないと、楽しいことや快楽を得ることを目的とするだけでは私は創作できないなあとしょんもりします。
自分で自分を追い込んできっついきつい。
創作していない友人を相手にしている時の方が、創作論を語れるのですよね。
いまはあまり語られないですよね。創作論。
最近、自分は小説を書くことが一番向いていると気付くことが多くてほんのり辛いです。
凡事徹底。
当たり前のことを一つひとつ丁寧にこなしていくことが一番大切なのだと、身を引き締めます。