何かしらの破片を積み上げていきます。
いつか一つの大きな“何か”になることを祈って。
小説(文字事)みたいなもの
2024年4月3日(水曜日)
恋をした。
私だけがいたらそれでよいと思えるほどに愛して、恋して、慈しんで、満たしてあげたというのに。
貴方は一度も喜ばなかった。
世界の全てを満たした後にこれ以上与えられるものはあるものかと尋ねてみた。答えはたった一つで事足りた。
貴方が口にする。
「選択したい」
それだけ。
2024年4月13日(土曜日)
うっすらとわくわくした気持ちにさせる。
まだ明日がある。まだ、終わりではない。
縋る曜日が土曜日だ。
2024年4月24日(水曜日)
また言い出すな、とすぐにわかった。
古めかしい喫茶室内にある赤いソファに座り、至は紅茶を口に運ぶ。コーヒー派だと思われがちだが、至は紅茶を愛飲していた。
「たとえば、僕と至が出会わなかったらどうなっていただろうね」
「それは俺にとって大きな曲がり角だな。鳴がいないなんて、俺の人生の損失だ」
たったそれだけで向かい側に座る君は笑う。
嬉しいのはわかるが、大袈裟だろうに。
2024年4月25日(木曜日)
ハシンが急に言い出した。
「走り高跳びがしたい」
「勝手に跳んでくれ。そうして華麗に判を押してくれ」
書類が積まれているわけではないが、決済が必要な書類がある。しかしそれらはハシンの一存で承諾できることではないから、いまは待っている最中だ。
つまりは暇だからこその発言だ。理解しているカズタカの反応は素っ気ない。
「平和なのは良いことだけれど、たまに困難も欲しくなる」
「それをこっちに振るな」
後片付けに手を焼くのは、いつもカズタカになる。
2024年4月28日(日曜日)
春が来た、と貴方は微笑む。
吹き付ける暖かな風を頬に受けて、また、道端にほころび始めた花を見つけて、その一つ一つに尊さを見つけ出して芽生えの季節が訪れたことを喜ぶ。
リンカーが冬の終わりに気付くのは、ネイションが春と再会した瞬間だ。
あと十回は、そうなればよいと思うほどに。
2024年4月30日(火曜日)
啓訳とプロミスは仲が悪い。と、真月は感じている。
顔を合わせれば喧嘩をし、一冊の書物を巡っては激しい争いを繰り広げる。定が関わると争いは一層ひどくなり、プロミスの頭を啓訳がはたいて二人とも怒られるということはよくあることだ。
それなのに、このカルテットは解体されない。微笑ましいものと周囲の大人からは見られている。
真月はそのことが大変疑問だ。
イラストみたいなもの
2024年4月6日(土曜日)
何となく描きたくなった男の子。
最近の絵は少し、首が太くなってきています。もう少し細くしてもいいかしら。
2024年4月10日(水曜日)
最近、こちらみたいにとっさの時に使える素材作りが楽しいです。
感想みたいなもの
2024年4月7日(日曜日)
『アラガネの子』を読み終わりました。
報連相をされないと哀しくなるのですね。苦しみは、一人で背負うものではない。
苦難は全員で乗り越えていくもの。
2024年4月17日(水曜日)
Memomeにも書きましたが、『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』を読み終えました。
美しい物語を書きたいのだと、気付きました。私だって。
面白い作品も良いですが、酔いしれるほど美しい物語を知ってしまったら、心の繊細で柔らかなところが反応してしまうのです。
その他
2024年4月1日(月曜日)
破片は壊れてしまったもの
欠片はこれから繋ぎ合わされるもの
似ているようで違う。違うのに似ている
それはきっと 羨望とも呼べた
2024年4月20日(土曜日)
希望が光というのなら この身に巣食う焦燥を焼いてくれ
2024年4月22日(月曜日)
遠いところで泣いている
それはきっと小さな私
あなたがいたこと忘れない
小さな体で
どうしようもなさを背負ってくれた