鳴り響け青き春の旋律よ 第十四話

 扉を開けた先には楽譜で作られた壁が広がっていて、左手には楽器を扱うエリアが大きく陣取っている。右手には楽譜や書籍を扱うエリアと店は二分されていた。
「おや。いらっしゃい」
 豊かな白髭を蓄えた、精霊族とも人とも見分けの付かない、恰幅の良い男性に歓迎される。サレトナは頭を軽く下げた。
 軽やかに弾む音楽を耳にしながら、楽譜を揃えている棚まで歩くサレトナについていく。
「サレトナも楽器を演奏するのか?」
「ピアノは家でも弾いていたから。それよりも、カクヤ。なにか知っている曲はある?」
 カクヤは背表紙に曲名が並んでいる楽譜たちを見上げた。視線を上下左右に動かしていく。既知か未知かで答えるのならば、知らない曲が多かった。ルリセイで手に入る楽譜もあるにはあったので、それらをいくつか答えとして挙げる。
「あんまり流行とか追わないのね」
「口ずさむ程度なら知っているのもあるよ。これとか」
 手に取った楽譜を開く。
 最初に「あなたと別れてから」という文字が歌詞として書かれているのに気付く。勝手に気まずくなってしまった。
 デートで失恋の歌を選ぶことはないだろう。
「あら。こういうのが好きなの?」
「メロディは結構好きだな。でも、いまはこれは止めよう。他にもっと」
 カクヤは棚に差し込むようにして楽譜を戻す。明るい歌を探そうとするが、そもそも自分は落ち着いたメロディラインが好みだということを思い出した。
 思い出して、違う。否定する。
 派手に彩られず、静かに紡がれる曲を好む人がいた。だから、自然と自分の好みよりもあの人に好まれる曲を聴いて、歌を覚えるようになった。
 過去の自分が好きだった曲を、見つけた。手に取る。
「レジスタンス・グローリー」
 サレトナが曲名を読み上げた。その顔が、一気に明るくなる。
「いいわね! 私も聴いたことはあるわ。これを買いましょう」
「え。あ」
 戸惑っている間に、サレトナは楽譜を二冊持って会計へ向かっていく。カクヤは慌ててついていった。
 楽譜を差し出された店主は髭を震わせながら、細い目をさらに細める。
「懐かしい曲を買うの」
「はい。彼が、好きなんですって」
「彼女からのプレゼントか。いいのう、ロマンじゃのう」
 また、サレトナからは「彼女ではありません」という強気な言葉が返ってくるかと身構える。だが、それはなかった。
 サレトナは微笑するだけで、財布を取り出して会計を済ませていく。楽譜は紙の袋に入れられた。サレトナが手に持っている鞄にしまう。
「あとで、一冊渡すから」
「払うよ」
「いいの。私からの、プレゼント」
 はっきりと言い切られてしまったら、サレトナの好意を否定するのも気が咎めた。代わりに、昼食にデザートを一つ付けることによって、貸し借りの比重を軽くした。
 イノコードを出るが、まだ昼食には早い。籠水晶といった馴染みの店から、あまり近寄ったことのない店まで、開店しているところを見て回る。
「カクヤはどこかのアクトコンに入らないの?」
 冷やかしている途中で、サレトナから言われた。
 そういえば一度も、どこにも見学に行けていない。特に忙しかったわけではないが、見にいく機会を逃していた。
「うーん。まだ保留だな」
「そう。あのね、フィリッシュとロリカと一緒にアクトコンを見て回っていた時に、楽器を扱っているところがあったの。それで、またピアノを弾きたくなったから。だから、今日はお願いしたの」
「そうなのか」
 タトエだけではなく、サレトナもまた音楽に携わっている。あとはソレシカも何か覚え込めば、セッションなども夢ではないだろう。
 そういった話を繰り返しながら、カクヤは思ってしまう。
 もう少しだけ、日常と離れた心ときめく話もできないものか。だが、デートではないとも言われている。いまここで、あからさまに誘いをかけるのも不自然だ。
 カクヤはサレトナのセイジュリオやアクトコンでの話を聴く側に立つことを選んだ。たまに、サレトナに話題を振られた時だけ自分のことも話す。
 退屈を覚えないのは、話をするサレトナの表情を見ているだけで落ち着いた気持ちになれるためだろう。サレトナは感情豊かに話をする。しかし、優美さを忘れることもない。大きく口を開けたり派手な身振り手振りを使うことなどはせずに、指先や瞳によって自身の色を示していた。
 自分だけが隣に立って、ずっとサレトナを眺めていたい。
 そう思わせるほどにサレトナの話を聞いているのは楽しくて、また心が安らいだ。
 鐘が鳴る。
 顔を上げると、レストランやカフェの開店を知らせる鐘が、ロウエン広場から鳴り響いていた。

>第四章第十



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