友人に誕生日を祝ってもらうことは絢都アルスに来る前にも何度かあったが、友人と誕生日を過ごすのは初めてだ。
朝、起床してから机上のカレンダーをめくり、陽月一日という暦を見てから「そういえば今日は俺の誕生日か」とぼんやり思いはしたけれどその後に友人たちからの強襲を受けるとは思いもしなかった。
これもまた学生生活というものなのだろう。
赤髪を長く伸ばして一つにくくっている大柄の少年、ソレシカ・シトヤはそういったことをぼんやり考えていた。隣には二人の友人が並んでいる。
一人はカクヤ・アラタメという同級生で青色の髪と赤い目をした快活な印象を与える少年だ。ソレシカたちの属するクラス「無音の楽団」のリーダーでもある。
もう一人はタトエ・エルダーといって、下級生であるがカクヤと同じく「無音の楽団」の仲間だ。
その二人と共に学生生活を営む間の住まいである「沈黙の楽器亭」を出て、絢都アルスの中心を通る皇帝通りをいまは歩いていた。
「レストランは予約しているからねー」
「あんがとさん」
どこに行くかは聞いていないが気負いのないタトエの口振りからすると雰囲気の良い店なのだろう。タトエの店や物を選ぶセンスは優れている。
朝の時刻はとうに過ぎてもう昼前に差し掛かる頃、空腹の度合いは腹二分目といったところだ。選ばれしレストランの料理を存分に堪能できるだろう。
レストランへ行く前に雑貨屋などを覗いて、並ぶ商品の中からどれが好みかと聞かれたりする。好きな色はどうしても赤や緑を選んでしまう癖があった。最近は琥珀も気に入っている。愛しい人の瞳は長年の間眠り続けている樹液によく似ているためだ。
それを伝えると、今日のお膳立てをしてくれた少年はにっこりと笑って「そうなんだ」とだけ言った。
全くつれないことだ。
そうして店を冷やかしていると、カクヤが急に足を止めた。のれんのように入り口に布がかけられた薄暗い店内を指さす。
「入っていいか?」
「別にいいけど」
この店に何があるのだろうかとソレシカはいぶかしみながら、日除けのためにかけられた青い布をくぐって店内に入る。会計所は最奥にあり、そこに行き着くまでには長身のソレシカですら顔を上げるほど高く積まれた棚の中心にある細い通路を通らなくてはならない。店内は昼だというのに薄暗く、どこからか旋律が流れてくる。高い音だ。水が慎ましやかに河を下りていく音に似ている。
カクヤは迷いなく進んでいき、中心の棚の前で立ち止まった。タトエは他の商品を見ている。ソレシカはタトエの隣に並んだ。どういったものを扱っているのかと眺めれば、宝石が小さくあしらわれた雑貨が並んでいる。目にサファイアが埋め込まれている兎や林檎の形をしたメモ立てなどもあった。
少女が見たら夢を見ることだろう。狭い室内に詰め込まれた宝物を一つひとつ取り出しては甘い息を吐きそうだ。
ソレシカはあまり興味は湧かなかったが。
カクヤにまた視線を戻すと、すでに会計を済ませていた。店主らしき深いローブを被った存在と軽く話をしている。店主は人なのか、他種族なのかも分からない。
「タトエは何も買わないのか?」
「うん」
「俺への愛を込めたプレゼントとか」
真面目な顔で言うといつもの愛らしい笑顔と共に辛辣な言葉が返ってきた。
「ここにソレシカの欲しいものがあるならしなくもないけど、そうじゃないでしょ?」
「はい」
全くもってその通りだ。
カクヤが買ったものも自分宛のものではなくて同級生のサレトナへのプレゼントなのだろう。友人の誕生日であっても想い人へのプレゼントを優先させるとは全く。
そこまで考えて、ふと疑問が浮かんだ。
「なあ、カクヤってサレトナのことが好きだよな」
「当然」
そこでどうしてかタトエが胸を張る。日頃から二人の関係を応援していると公言してはばからないにしても、根拠の不明な自信に溢れていた。
気を取り直してソレシカは続ける。
「だけどカクヤの想い人はサレトナっていう表現は似合うのか?」
「そこはまた違うんじゃないの? 好きであるのと恋人であるの、もしくは慕っているとか
、恋に関する言葉の意味は全部違うよ」
どれもまとめると同じ意味合いになるが個別にするとニュアンスが変わる。そのことに納得した。
「タトエの俺への感情は?」
「これからもいいお友達でいてください」
あっさりと断られる。
「負けないぞ!」
「はいはい」
そういった会話を小声で繰り返していると、カクヤが戻ってきた。
「悪かったな、お待たせ」
「いーやー別にー」
ソレシカの言葉にカクヤは首を傾げる。今までのタトエとの会話を知らないのだから、当たり前の反応だった。
一列に並んで、店から外に出る。時計を見るともう正午の手前だったので、レストランへ向かって行った。
「あ、ここだよ」
タトエが脇の道に入って数歩程度のところにある店を示す。
店名は「肉から肉へ」。
立派な赤い太字で茶色い木の看板に書かれていた。見上げながら呟く。
「どういう意味なんだ?」
「女の子泣かせなのは間違いないね」
タトエが扉を揺らす。からんころんと入店を示す鐘が鳴り響いた。中は外観よりも広く、床や壁には木の板が敷き詰められていて店の中心にサラダバーやスープバー、パンなどを取る場所が設置されていた。その周囲を埋めるように席が用意されている。調理場の側にはカウンターもあった。
店員らしきエプロンをつけた女性が案内のために近づいてくる。
「いらっしゃいませ」
「予約を入れていたエルダーです」
「はい、三名様ですね。こちらに席をご用意いたしました」
流れる様子で女性は店内を歩き、ソレシカたちを案内していく。店内のテーブルはいくつか埋まっていて、どこも楽しそうな様子で歓談している。印象の良い店だ。
奥の四人がけのテーブルに案内されて、奥の座席にソレシカ、タトエ、手前の椅子にカクヤが座る。メニューが置かれた。
「当店はお好みの炎による味付けが選べます。こちらの赤いメニュー表に説明が載っていますので、お読みの上お選び下さい。また後ほど、伺いに参ります」
店員はそのまま去っていった。三人は揃ってメニュー表を開く。
メニュー表には言われた通り六つの色の炎が掲載されていて、それぞれ味付けや焼き具合が異なるという説明が書かれていた。
「どういう仕組みなんだ」
「ソースみたいなものだと思えばいいんだろ」
カクヤはざっくりとまとめる。その通りなので反論する気は起きなかった。
「俺は赤。少し辛めのしっかり焼きで」
「僕は緑かな。ハーブが香るってときめくよね」
「じゃあ、オリエンタルな紫で」
どういう肉が来るのかは全く不明だが、それぞれ選択を終えた。
メニュー表を閉じながら、ソレシカは肉料理を楽しみにしているカクヤを横目で見る。
以前からこういうことはあったが、カクヤの適応力の高さには毎度驚かされる。本心では納得していないこともあるのかもしれないが、それでも一旦は現状を受け入れて、思考や行動に移れるのは、リーダーとして必要な素質なのだろう。
再び店員が席に来た。それぞれ食事とドリンクの注文を終えるとサラダバーとスープバー、パンは好きに食べていいと説明される。
タトエがこの店を選んだ理由が一つ分かった。
食べ盛りにはありがたい。
主食になる肉が来る前に、タトエを席に残してソレシカとカクヤはサラダなどを取りに向かった。
サラダを皿に盛りながら、カクヤが言う。
「こうして三人で出かけるのは初めてだよな」
言われてみればそうだった。
無音の楽団で同年代の男三人、加えて友人だというのに、遊びに出るというのは今までしたことも提案されたこともない。それほど学園の勉強や課外活動が忙しいというのもあるが、どうしてか「三人で遊ぶ」という雰囲気になったことがなかった。
だから、今日は良いきっかけであり記念なのだろう。
カクヤとタトエによる朝の襲撃は驚いたが、いまはそうされてよかった。とは思うが、直接言うのは恥ずかしいので「そうだな」と返すに留めた。
トレイにサラダとスープ、パンを盛り付けた皿を乗せて席に戻りながらちくりと刺す。
「カクヤは気がつけばサレトナといるからな」
「いやあ」
「照れるな」
言ったこちらが恥ずかしくなる。
さらに、それほど時間を共有しているというのにカクヤとサレトナは恋人ではないのだから。不思議だ。
「なんの話をしているの?」
席に戻って、サラダに手をつける。その前に会話が少しだけ聞こえたらしいタトエが聞いてきた。
「俺たち三人で出かけるのは初めてだなって話。あとカクヤとサレトナがいつも一緒にいるなって」
「それがいいよね!」
タトエが前のめりになって同意を示す。怖いくらいの勢いだった。
以前に、タトエはサレトナの味方でカクヤとサレトナが二人でいるところを眺めていることが好きだとは聞いていたが、それにしてもいまの勢いは怖い。アイドルのファンと例えるにしても度を超えている熱狂を感じる。普段が理知的だから一層だ。
「まあ、僕はカクヤとサレトナの二人が好きだけれど、たまにはこうして三人で過ごす時間も大事にしたいよ」
「そうだなー」
その後は話をしながらひたすらスープとサラダを食べるので忙しかった。サラダのドレッシングがまた絶妙で塩辛いのとクリーミーなのが揃っている。
話題は次のテストや課題といったものから、初めての学園祭、学校から離れてそれぞれの境遇について僅かだが触れることもあった。
そうしている間に肉が届く。鉄板の上から香ばしい匂いと油の跳ねるぱちぱちといった音、じゅうっと肉の焼ける光景が勢いよく殴り込んできて、五感が刺激されてやまない。
これからが本番とばかりに、肉にナイフを立てる。思ったより柔らかくてこぎこぎと動かすとすぐに切れた。ソレシカは肉を口に運ぶ。
美味い。
甘い肉汁がじゅわりと口の中に広がり、噛むたびにソースの塩気と肉の豪快さが舌の上で舞踏を繰り返す。
「これは、美味い」
「うん。おいしいよね。僕のもハーブの爽快さが肉の強さを打ち消してくれてまろやかな味になっているよ」
「俺のはやっぱり辛いな。でも、この炭酸とすごく合う」
そういった食事の感想を言い合う。
肉だけではなく、合間にパンを挟んでバターの濃厚さまで味わうと頭が痺れるような旨みが広がっていった。
自然と口数は減っていく。肉も減っていき、サラダの山も崩れていった。後に残されるのはソースの残滓を残す空になった皿だけだ。
これで終わりかと少し寂しい気分になるが、また店員がテーブルを訪ねてくる。食後のデザートは、と問われてカクヤはチョコレートテリーヌ、タトエはカタラーナ、ソレシカはケーキを指名した。
デザートはすぐに運ばれてきて並べられる。
「誕生日はやっぱりケーキなんだな」
「やっぱりそうだろ。しかも、チーズケーキだ」
「よかったね」
肉の鉄板の半分ほどの皿に盛られた、デザートは三口くらいで食べ終えてしまった。
食後の紅茶を飲みながらこれから続く今日とこれまでの今日についてソレシカは考える。
初めての三人での外出が自分の誕生日をきっかけにしているというのは、なんだかしみじみとしてしまう。いつかは三人で出かけることもあっただろうけれど、自分の誕生日がきっかけになったというのは嬉しかった。また、出かけたいと思うくらいには。
「そういえば、はい」
カクヤが鞄から細長い包みを取り出して、机の上に置く。
「なんだ?」
「プレゼントだよ」
何を今更といった調子で言われたので、黙々と開ける。
包みから出てきたのは赤い宝石がキャップにあしらわれたペンだった。軸は黒くて少し太い。持ちやすそうだ。
「これってさっきのお店のか?」
「そうだけど」
「サレトナへのプレゼントだと思ってた」
ソレシカが笑いながら「ありがとう」と言うとカクヤも紅茶の入ったカップを手にしながら笑って頷いた。
「それも買ったけどな」
「おい!」
結局揺らぐことのない友人にソレシカもタトエも笑った。
いまはまだ午後の一時を過ぎたところで今日はまだ終わらない。
ソレシカの誕生日は続いていく。
君から俺へ
