2.何故、そんなにも君は

 美味しいものを食べてほしかっただけなのに。
 まだ二十にも届かない成長途中の調理人であるコルトナはボウルを前にして途方にくれていた。
 半年前から仕えているロストウェルス家から今日の昼食は、長姉の誕生日パーティーの翌日だからと軽い料理を出すように命じられている。それらのメニューは主に二人の先輩料理人が担当していて、コルトナは指示された工程をなぞるだけだ。
 ただ、決まりきったメニューの中に、コルトナが作るように指名された皿が一枚だけある。それはロストウェルス家の四人の子供達が大好きなデザートだ。
 作るだけならば問題はない。むしろ、誇らしかった。まだメインディッシュを任されるほどではないが、子供たちが一番楽しみにしているだろうデザートに創意工夫を凝らして喜ばせられるのは、見習いであるとしても調理人としてやり甲斐がある。
 清潔な調理場の隅にある丸椅子に座りながら、コルトナが頭を抱えて一人きりで悩む原因は、夫人の姉から渡された小瓶だ。中身は多少のスパイスなどと言われたが、この鼻と舌は誤魔化せない。
 この可愛らしい桃色の粉の正体はアンネルだ。
 ロストウェルスの地では採集できないはずの、異国の魔法の粉で、確かに風味づけや甘味を出すのに使う地域もある。
 だが、コルトナはアンネルを使うのを控えたかった。
 特に、あの少女には。
 しかし夫人の姉の命に逆らうのは得策ではない。あの女性はロストウェルス家の実権こそ握ってはいないが、いまも強い影響力がある。生意気な料理人の首くらい簡単にすげ替えられるだろう。
 材料を揃えて、あとは切って煮込むだけといったところで、扉が叩かれた。
 兄弟子たちにアンネルが見られるのはまずいと、慌てて棚の中に隠しながら返事をする。
 入ってきたのは、ロストウェルス家の次男であるクレズニだった。聡明かつ勤勉だと誉高い子で、後のロストウェルスの領主にとって良い補佐役になってくれる存在だと期待されている。
「どうしましたでしょうか」
「いえ。今日のデザートの皿なのですが」
 ぎくりとする。その動揺を表に出さないように堪えながら、クレズニの言葉の続きを待った。
 クレズニはにこりと美点しかない笑顔を浮かべながら、言う。
「いつものサレトナの皿は緑だと思うのですが、今日は青でよろしくお願いしますと。叔母上から」
「青で」
 その色はクレズニの色のはずだ。
 夫人の姉がアンネルを盛るように告げた皿は緑だから、給仕の者を巻き込んで取り違えさせようとする。そこまでするならば、棚の中にしまった粉の正体にも勘づいているはずだ。
 アンネルを盛られると知って、それでもなお妹の代わりに口にしようとしているのか。聞きたいが聞けなかった。クレズニがどこまで夫人の姉の企みを、また夫人の妹の考えを知っているのか理解するのは危険な気しかしない。
 ただの調理人でいたいのならば、いまは三方向から言われたことを全てこなす愚者でいるべきだ。言われたことに従う。結果にも、理由にも疑問を持たない。言われるままに動く人形は処分されることはない。
 コルトナがぼうっとしているとクレズニは頭を下げて退室していった。
 一人、残される。
 机の上に転がっている桃と砂糖の袋を眺めながら息を吐いた。
 ここまできたらやるしかなかった。


 夜に、またクレズニは調理場を訪れた。
 手には本がある。コルトナも欲しかったが値段の高さゆえに諦めた、ロストウェルスの蔵書にある薬草の本だ。
 それを、差し出される。
「こんな高級な本などいただけません」
「いえ。いまのあなたこそ、受け取ってください。アンネルをどの皿にも入れないでいてくれてありがとうございます。おかげで私もサレトナも無事でした」
 この少年は、やはりあの瓶の整列の中から悪意を見つけ出していたらしい。その情報網に驚嘆する。
 そしてクレズニの言う通り、結局コルトナはアンネルを桃のポタージュに混ぜることはしなかった。入れるとしたら煮込む段階で混ぜないとアンネルの粉は残ってしまい、そうなると全ての皿に行き渡ることになってしまう。特定のスープ皿に粉を混ぜても、口にした人物が独特の舌を刺す甘さを敏感に感じ取るだろう。もし別の人間に皿が行き渡り、糾弾されたら、本当にコルトナの首が飛んでしまう。物理的な意味で。
 それを止めてくれた、最後の石であるクレズニに感謝していた。同時に人として、調理人としての矜持を守れなかった己に一抹の情けなさを覚える。
「一回は、迷いましたよ」
「それでも入れないでいてくれた。その結果に感謝しています」
 クレズニは本を差し出す手を引っ込めようとしない。そんな資格はないと知りながらも、コルトナはクレズニの小さな手から本を受け取った。
「一つだけ教えてください、何故、そんなにもあなたは。杏の姫君を守ろうとするのです?」
「それは、サレトナを生かすのも殺すのも、今はまだ私ではないといけないからです」
 静かな気迫に、コルトナは何も言えなかった。




    小説
    良い! と思いましたらシェアをお願いします。
    フォローして最新情報の入手や交流を!
    不完全書庫
    error: 当サイトは右クリックによる操作ができません。申し訳ありません。
    タイトルとURLをコピーしました