星が流れて月は満ちる。
日は落ちては昇り日常を繰り返す。
そうして今日は晴月十七日となった。誰にとっても意味のない日常であり良いことも悪いことも、場合によっては猫が歩くなど目を剥くような出来事も起こりうる。そして一部の人間にとってはかけがえのない日ともなる。
絢都アルスに位置する、旅人の一時の宿木であり観光客にとっては仮の住まいとなる宿「沈黙の楽器亭」。そこを拠点とする「無音の楽団」のリーダーであるカクヤの誕生日は、今日だ。
いまは空に貴婦人の黒いドレスがかかる夕闇の頃、食事を終えたカクヤは腕を組んでいた。ここは自室で、目の前には柔らかかったり固かったりする大小さまざまな包装をされたプレゼントがある。今日は大掛かりな祝いはをすることはなかったが、誰かしら沈黙の楽器亭に立ち寄ってはプレゼントを置いていってくれた。当然、カクヤ宛のものだ。
絢都アルスで過ごすようになってそれなりの日数が経っているが、ここまで誕生日を知られていると思うと少し気恥ずかしかった。タトエにそう伝えると「公表しているのだから当たり前じゃない」という言が返ってきた。いつの間にそんなことをしていたのだろう。
とりあえずは期限のある食物とそれ以外にでも分けようと、プレゼントの仕分けに取り掛かる。床にあぐらをかいて、中身を確かめていった。食べられるものは無音の楽団全員で食そうと右へ、それ以外のものは左に分ける。
淡々とそれを繰り返していると、扉が叩かれた。
「はいよー」
「入っていい?」
控えめに声をかけてきたのは、カクヤにとって一番愛おしい存在だった。口元を緩める。
「いいよ」
ゆっくりと扉が開いて、中に入ってきたのはミントグリーンのドレスを揺らすサレトナだ。服はいつものものだが、髪がわずかに湿っていて入浴を済ませていることがわかる。ふんわりと漂う甘い金木犀の香りに一瞬くらりときた。
カクヤの酩酊には気づかずに、サレトナは斜め後ろに立ち、膝に手を当てながら感心している。
「結構もらったのね」
「サレトナほどじゃないけどな」
「そういうの、いいから。一番人気なのはタトエだけれど、カクヤも結構なのよ」
タトエが無音の楽団で一番人気なのは納得できるが、サレトナが自分よりも祝われないというのは不公平に感じられた。
サレトナは可愛い。つんと澄まして素直ではないところも、反対に服を掴むなどして控えめに甘えてくれるところも、全てが可愛い。自分では「わるいこ」などと振る舞っているが、道に迷えば一緒に迷い、誰かが転べば手当てしてくれる。
ただ、素直になれないだけだ。
カクヤはそのようなサレトナという少女が愛おしくて、守りたくてしかたない。
いまカクヤが一番にやるべきことはサレトナを守ることだ。仕事は別として。
サレトナに見守られながら誕生日プレゼントを仕分け終える。食べ物は下に持っていき、食堂に置いて、冷やしておくものは冷蔵庫にしまう。
それらを済ませてから自室に戻った。サレトナはいまも所在なさげに部屋の隅に立っている。
「で、サレトナ。用事は?」
「あ、えっと」
普段は言いたいことをばしりと言うのに珍しく口ごもる。ゆっくりと待とうと、カクヤは自分のベッドに座ってサレトナの言葉を聞く姿勢を取った。
遠くで鈴が鳴りそうな沈黙が満ちる。
「カクヤ」
「ん?」
「誕生日、おめでとう……」
そういえば今日はまだ聞いていなかった。一番、聞きたい人からの言葉を。
「ああ。ありがとう。で?」
しかし、サレトナがただ誕生日の言葉を伝えたくて夜のこの時間まで引っ張ったのではないことを、それなりの付き合いでカクヤはもうわかっている。
何か、しようと考えていたのだろう。もし何も考えていなかったのなら、それはそれでやりたいことがある。
「で、ってなによ。まだあるの?」
「うん。サレトナ、おいで」
両手を広げて招く姿勢を取る。不意打ちの行動に、サレトナは動揺するが、覚悟を決めたのかゆっくりと近づいてくる。進む先に罠がないか気にはしているがそれを確かめる術は持っていない。だから信用するしかない。
三歩、二歩、一歩。
射程距離内に入った時点で、カクヤはサレトナの腰に腕を回した。頭を腹に当て、強く抱きしめる。
びくりと驚いた感触がするが、立ったままのサレトナはただカクヤの頭を撫でるだけだった。その指先の冷たさが心地よい。
癒される。
それほど長くはない、呼吸を十回ほど繰り返す時間、ゆりかごの部屋を満たす静寂に身を預けていたが、カクヤは顔を上げる。
「わがまま、一つ言っていいか?」
「うん」
その間もカクヤの髪を撫でるサレトナの手は止まらない。
囁く声で伝えると、一瞬のためらいの後に小さく頷いてくれた。
たった一つのわがまま
