2.雪合戦

 降る雪の冷たさから朧げな記憶を呼び起こすためにその魔法へ手を出してしまったのだろう。
 赤から青に始まって黄色から緑、時に紫と多彩に飾られた街、爛市メロリアに存在する宿「調律の弦亭」。その外庭で、一人の青年が雪を降らせていた。
 いまの季節は夏であるが、雪は確かに薄曇りの空から降って地面に積もっていく。白が地面を覆い尽くす範囲は広くない。青年から三メートル半四方といったところだ。
 細い黒縁の眼鏡が印象に残る、どことなく苦労している雰囲気を感じさせる青年はカズタカという。記憶はない。覚えているのは自分の名前だけだ。それなのに雪は見ていると遠いところにある自分がいた場所をよぎらせる。懐かしくて、寂しい。
 カズタカが淡々と雪を降らせていると、その光景を庭の片隅で眺めている青年が尋ねてくる。
「どうやって降らせているんだ?」
 雪と同じ白銀の輝きの髪を背中に流し、赤い目に宿る表情が薄い青年はアルトーという。カズタカの属する特客、「銀鈴檻」の仲間だ。
 いまは人の姿を取っているが、竜属のアルトーは興味深そうに雪を眺め、触れようと手を伸ばしては引っ込めている。体に安全なものかの判断のため気を張っているのだろう。
 アルトーの疑問に、カズタカは答える。
「季節という世界の法則を強引に一部塗り替えてる。空とか、気候に働きかける類の魔法じゃない」
 魔法と魔術は混同されがちだが、各々の使い手にとっては明確な違いがある。カズタカは魔法を扱う魔法士だ。そして、魔法とは世界を流れる自明の法則へ魔と呼ばれる力を行使して干渉することにより、一部の法を自らにとって有利な方向に働かせる行為となる。一時的とはいえ法を強引に変えるのだから世界に対して影響が出やすいのと、自律の力を強く求められる。法を書き換えることを傲慢な行為だと断じて、魔法士を疎む魔術士も存在している。この辺りの対立は根深い。
 それでもカズタカには魔術よりも魔法に適性があったのだから、身勝手だと言われても魔法士となるしかなかった。
 カズタカの説明を聞いていたアルトーは「なるほど、わからない」といった顔をしていたが、雪が安全なものだとは理解したのか、カズタカの降らせ続ける白い粉に手を伸ばす。
 その背後では庭の椅子に座っていたり、立ったまま先ほどのアルトーと同様にカズタカを眺めている仲間たちがいた。
 椅子に座っている桃色の髪を二つ高く結わいた少女はハシン。銀鈴檻のリーダーだ。その向かいの椅子に腰掛けている妙齢だが清廉さを感じさせる女性はネイション。後ろに立っている神服を着た青年がリンカーで、雪に近づいているの橙の髪の青年がリブラスになる。リブラスはカズタカとは違い、魔術士だ。しかし、あまり魔法士と魔術士の諍いは気にしていない。呑気に迷惑をかけてくる。
 この場に銀鈴檻の全員が揃っているためか、アルトーは一度頷くと力強い声で言う。
「雪合戦やりたい」
「いいね」
 間髪なくハシンが相槌を打つが、いまは夏だ。雪を降らせる魔法の練習をしているとはいえ、そこまで降らせることは難しい。
「どうして、今やりたいの?」
 ネイションがカズタカの疑問を代弁してくれた。爛市メロリアは冬に雪が降るので相応の季節に雪合戦をしても良いだろう。
 だが、アルトーは首を横に振る。
「冬は、寒くてできないけれど。いまはあったかいのに雪がある。だから、俺もいまなら雪合戦ができるかなって」
「さすが爬虫類!」
「竜」
 アルトーはリブラスにじっとりとした怒りの目を向ける。竜と爬虫類は一緒にされたくないもののようだが、鳥類はどうなのだろうかと考えた時点で話が逸れていることに気付く。
 カズタカは仲間の意思を尊重することにした。自分が少しがんばればいいことならば、仲間の願いを叶えることも大事だろう。
「まあ、俺はいいけどな」
 その了承の一言で選手分けが始まった。
 ハシンが東軍の大将を務めるのは当然の流れとして決定し、その相手として雪合戦をしたいと言い出したアルトーが選ばれる。ハシンとアルトーは拳で賭けをして、勝利したアルトーから仲間に引き入れることになった。アルトーは残りの四人を時間をかけて見ていたが、一度頷くと一人に手をのばす。
「リンカー。お願い」
「わかりました」
 力で勝負をするためか、アルトーが選んだのはリンカーだった。残っている面々は魔法や魔術を主に扱っているため物理での戦いという点では圧倒的に不利だ。とはいえ、これは遊びなのだからそこまで勝利に執着することもない。カズタカが余裕を持って待っていると、ハシンに名前を呼ばれた。
 この主人に使われるのはいつものことだ。特に考えず、ハシンの手勢に加わる。
 あとに残ったのは、ネイションとリブラスだ。
 今度はハシンが先に選ぶ番になる。どちらも体力勝負には向かないが、誠実と狡猾という大きな性質の差が二人にはある。カズタカとしてはネイションを選んで欲しいと、切実に願ってしまう。リブラスは面白ければ仲間に雪をぶつけてくるような人間だ。
「リブラスにしようか」
「待て」
 カズタカは早口でハシンを止めた。
「なんでわざわざ爆弾を選ぶ」
「そちらの方が何があるのかわからなくて面白いじゃないか」
 ハシンは全く揺らがずに答える。ただの雪合戦にも刺激的な遊戯性を求めているらしい。
 そうだ。こういう人だった。遊びであれど手を抜かずに楽しむのが、自分の主だ。
 目眩を覚えているとリンカーがネイションを自分の陣営に連れていこうと手を差し出している。カズタカは大股で歩くと、リンカーの腕を押さえて言う。
「俺もネイションがいい」
「決定権を持っているのはハシンでしょう」
 いつもの通り、カズタカとリンカーの視線がぶつかり合い、火花を散らす。リンカーはネイションに好意を寄せていて、カズタカは安心感を抱いている。そして互いにリブラスは来て欲しくないので、リブラスかネイションかの選択になると、いつも血を見ない争いが始まることになる。
 そのことを知っているハシンは冷淡に裁定を下した。
「なら二人で戦いなよ」
「合戦……」
 全員で戦いたかったアルトーが悲しい響きの言葉を洩らす。しかし、誰にも届かない。
「がんばれー!」
 リブラスの何も気にしていない呑気な声援が響くだけだった。
 そうして、カズタカとリンカーの雪の対戦が始まる。お互いに東西に分かれて、向かい合った。
「二人ともどう戦うの?」
「俺はいつもの通り。雪は俺が作っているしな」
「では、私は得物を用意させてもらいましょう」
 カズタカが魔法を中心に攻めていくと答えると、リンカーは細長い雪の塊を作り出した。当たるとすぐに砕けるだろうが痛そうだ。そこまで本気なのかと、ここまでくると呆れてしまう。
 それぞれの準備が終わると、雪の広場の中心に立ったハシンが右手を下ろす。緊迫感が漂う中で、リブラスだけが呑気にどこからか取り出した干しりんごをかじっていた。
「バトルスタート!」
 明瞭な声が響く。その後に、カズタカとリンカーを除く全員が場外へ移動した。二人の戦いの火蓋が切って落とされる。それは、あまりにも意味のない争いではあったが、互いに真剣ではあった。横暴を許さないために、願望を届かせるために雪を振るう。
 戦いの鐘が鳴って即座に、リンカーは雪合戦だというのに、距離を詰めていく。手にしている雪の杭を当てるつもりなのだろうが、カズタカは雪の嵐で前進を遮る。そして、そのあいだに地面に罠を仕掛けていった。踏んでも怪我はしないが多少のうっとうしさを覚える程度の嫌がらせだ。
 吹雪と言っていいほどの強さだというのにリンカーの歩みは止まらない。慎重に、確実に近づいてくる。それに対して守りだけにこだわるのは不利だ。自分も攻めなくてはならない。だが、相手は頭脳派の自分と違って武闘派だ。白兵戦では不利になる。対峙するとしても、一撃で仕留めなくてはならない。そのための武器は何か。
「リンカー選手、確実に前進していますが、ここからどのように攻めていくのでしょう」
「防衛王者のカズタカ選手だけれど、攻撃は最大の防御。彼の防御を上回る火力を出されたら、雪だけにひとたまりもないね」
 リブラスによる実況とハシンの解説が入ってくるが、どうしてこう何事も面白がってしまうのか。優雅に見守っているネイションと膝を抱えているアルトーはすでに見物の姿勢に入っているようだ。
 わいのわいのと盛り上がる見学席をあえて意識から外し、カズタカは罠の感触を確かめる。
 その直後、鋭い錐がカズタカを掠めた。
 杭の先端だろうが、直に肌へと刺された時を思うとぞっとする。もう少し手を抜けと怒鳴りたくなるくらいだ。それとも、ネイションを賭けの対象にされるとリンカーの中から遠慮というものは喪失されるのだろうか。
 かといって、ここでやられてばかりではいられない。カズタカはリンカーが踏んだ感触を確かめてから罠を起動させる。
 鋭い槍が、交差してリンカーの前に聳える。
「おーっと! カズタカ選手のトラップが炸裂だー!」
「聖槍ナイトフェルドの、まあレプリカだろうけれどリンカーにはなかなか相性の悪い相手だね。踏んだら現れるこの一撃、どこまで避けていけるかな?」
「ねえ、どうしてリンカーと聖なる槍の相性が悪いの?」
 突然だが当然の疑問に答えることができる銀鈴檻の仲間たちはいなかった。それは、リンカーの正体を明かすことに繋がる。皆が口を閉ざしていると、ネイションもそれ以上は追及しなかった。そういうものかと納得したらしい。
 見学側のやり取りに意識を割いて、リンカーにやられたら元も子もない。カズタカは連鎖式に槍を起動させて、柵となるようにリンカーを覆っていく。そのあいだにいま降らせている雪を利用して、体力を即時に全て奪う法式を編み出していく。即興ではあるが、できないという自信は欠片もなかった。
 あと一手。法式を起動させるための扉に手を掛ける。
 きん、きんかんきんかんかんかんきん、と高い音があられのように鳴り響いた。その音に意識を向けてしまう。
 扉はすでに目の前にある。
 だというのに。
 リンカーの周囲を覆っていた聖槍の柵は全て叩き折られていて、雪が舞い踊り吹き付ける中にいながらも、折った当人は優雅に髪をなびかせている。ただ、碧眼だけが煌々と輝いている。
 そこからは一瞬だった。
 カズタカがつかみかけた法則をリンカーは手にしていた武器で食い破っていく。綻ぶ雪は勢いを弱めていき、リンカーの杭は座り込んだカズタカの目の前で止まった。
 ああ、悔しい。
 負けたことが、ではなくこの相手に負けてしまったことを、ひっくり返らない事実に歯噛みをしながら、カズタカは両手を挙げて降参の姿勢を示す。
 リンカーは流れる動作で雪の杭をそこらに投げ捨てた。勝ち誇った様子もないのは、勝利することに慣れているためだろうか。それもまた、苦い味を口の中に残していった。
 リンカーの勝利を拍手するアルトーの傍を抜けて、ハシンが手を差し出してくる。
「友情は芽生えた?」
「「そんなものは存在しない」」
「あら、息ぴったり」
 同時に言ったカズタカとリンカーにネイションがぽつりと言った。
「じゃあ、私たちの側にリブラスね」
「いやだー」
「敗者がごねないでよ」
 リブラスに真っ当なことを言われると腹立たしいを越えて惨めになるのはどうしてだろうか。
 そうして、ハシン、カズタカ、リブラスとアルトー、リンカー、ネイションに分かれて雪合戦は始まった。
 ネイションに被害が及ばないように守りながら、的確に雪を放り投げてくるリンカーの嬉しそうな顔は何度見たってむかむかとするのだが。
 そんなに彼女といたいのなら、もっと自分から行動していけばいいのにとつい思ってしまうカズタカだった。





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