人の名前は最初に贈られるもの、だけれど大切にできるかどうかは愛情というものが関わってくる。投げやりにつけられた名前には悲しみを覚え、大切につけられた名前は響きが嫌いであっても捨てられない。
利原公約にとって自分の名前は、哀しいものではなかった。
そのことに気付いたのはある初夏の日のことだ。
公約は実家ではなく下宿をしながら学校に通っている。下宿先は琴鳴高校の卒業生である真道至の家だ。そこに、もう一人と三人で住んでいる。
初めての他人との共同生活に最初は緊張していたが、最近は新しい生活にも慣れてきた。家事も分担してやるべきことをして毎日を過ごしている。
そうして、休日に宿題を済ませてから、「るりまる」というロボットを連れてリビングに行くと至がテレビを見ていた。放送しているのは昼下がりのニュース番組だ。今日も世界は平穏で、一枚下には悲哀が潜んでいる。
公約も至の隣に座って、ローテーブルの上にせんべいの袋を取り出し、開けて、かじりながら見る。荒廃した戦争風景を見ながら、テストが迫ってきていることを思い出した。目の前にある遠い争いも時事問題として出題されるだろう。
「公約ってすごい名前だよな」
「そうですか?」
唐突に言われた。テレビを見ると、どのように読むのか一見するとわからない名前のコメンテーターがいる。だけれどそれに比べたら利原公約なんて名前は平々凡々だ。
至の発言に純粋な疑問を持っていると、言葉が続けられていく。
「なんだか、運命付けられた約束みたいな響きがある。世界を救うとかになったら大変だな」
「どこのファンタジーですか」
「ははっ」
軽やかに、夏の風の涼しさで笑われる。
利原公約。利益が公に絡むのはどうなのかと思うのだが、父と母は考えて公約にこの名前を与えてくれた。ただの思いつきではない。公約の一生にふさわしい名前として選んだ。
その愛に恥じないように生きたい。願い、いま自分はここにいる。
真道至と、利原公約と、あと一人が住む三人の家だ。一人につき一部屋はあり、現在のように集えるリビングまで用意されている。至が社会人になって、まだ長い時間が経っていないのに、これほど広い家にどうして住めているのかは謎だ。だけれど、公約はいまの三人による暮らしを気に入っている。
窓の外に広がる濃厚な青い空を眺めていると、隣にいたるりまるがせんべいに手を伸ばそうとしていた。公約は方向を変えて、るりまるをまた歩かせる。
「公約はやっぱりすごいよ。ロボットも作ることができている」
「ありがとうございます」
趣味であるロボット工作の成果が実を結んだのは一ヶ月前だ。時に惑いながらもプログラミングを組み、素体を作って、るりまるは出来上がった。それ以来、るりまるは公約にとって大切なものだ。
瑠璃色の丸いロボットだから、るりまる。
単純だけれど愛着を持ってつけた名前だ。
「でも、名前の話になるなら至先輩だってすごいですよ」
「ん?」
人のことは褒めるが当人は自覚がなかったらしい。改めて、至の名前を読んでみる。
「真道至。真実の道に至るって、格好良いじゃないですか」
公約は柔らかく微笑んだ。人を正面切って褒めるのは、なかなか照れる。しかし、そうするに値する価値が至にはある。
「まあ、悪いことをする気はないな」
「知っています」
至と公約が顔を見合わせて笑うと、玄関の扉が開いた。そのまま短い廊下を渡って、最後の住人である古仲鳴が帰ってきた。自分の部屋には寄らないで、まっすぐにリビングへ来る。
「ただいま。楽しそうだけれど、何を話していたの」
「名前」
「ふうん」
簡潔な返事に同じだけの熱量でいらえがくる。
「古仲鳴もすごいぞ。いつも空腹みたいな響きだ」
「少食の俺によく言うね」
確かに前に焼肉を三人で食べに行ったら、鳴が最初に戦線を離脱して、あとは至に任せていた。
人は名前によらないけれど、その人の名前は確かにあるのだと公約は感心する。
それからごつん、という音がして、振り向いたらるりまるが壁にぶつかっていた。慌てて回収した。
1.わたしのなまえ

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