1 食べ物談義(銀鈴檻)

 食べることは生きるために欠かせない行為だ。生物は食事によって栄養を得て、満足を得て、一時を過ごすための活力を体に巡らせる。
 だが、いつから食事は安楽ではなく権威の象徴になってしまったのだろう。
 そういったことをカズタカは考えてしまうようになる。
 事の起こりは快晴の日曜日でのことだ。時計の針が昼の十二時を指す前に、事務仕事を終えたカズタカはネイションと一緒に会議室へ資料を戻しにきた。そこでハシンは長机に着きながら、閉じられた目で一冊の雑誌を真剣に見つめている。普段は見せない緊迫感が張り巡らせられていて、カズタカとネイションは顔を見合わせた。声をかけずに、棚を開けて必要な資料をしまっていく。その間もハシンは何も口にしなかった。雑誌に集中している。
 ハシンを置いて黙って出ていくこともできたのだが、このまま一人にしておいても後々気になってしまう。もしくは何か、決意されたらその事態に巻き込まれることは確実だろう。
「どうしたんだ?」
 資料を棚にしまい終えて、覚悟を決めたカズタカが尋ねると、ハシンは雑誌から目を離さないままに答える。
「世間を揺さぶる新商品が欲しい」
 唐突で壮大だ。しかしその欲望を実現するための足場はない。商いをする者ならば、誰だって世間を賑わせるものを生み出したいとは考えるだろうが、そもそも銀鈴檻は商人ではない。特客だ。
「新商品が欲しいってことは、何か新しいメニューとかを調律の弦亭で売り出したいのか? 無理だろ」
 ハシンたちが所属する調律の弦亭は爛市メロリアで有名な宿である。だが、ハシンやカズタカたちの仕事として接客、調理や新商品の開発と行った業務を割り振られることはない。後輩たちであるカクヤたちの所属する「沈黙の楽器亭」は、特客であっても一人前の店舗運営ができるように、カクヤたちを遠慮なく鍛えているようだが、事情が違った。
 呆れるカズタカとネイションにハシンは目を通していた雑誌を見せてくる。開かれたページには沈黙の楽器亭を賞賛する内容の記事が書かれていた。最近は期間限定のメニューも増えてきていて、将来が有望といった内容だ。
 後輩たちが見込まれているのは良いことだ。そのために少なからずの協力をしてきた甲斐はある。それはハシンも同じ気持ちだろうが、もう一つ別の意見もあるようだ。
「先輩として、私たちも負けていられないじゃないか」
 小さな声で呟くとハシンは手を叩く。すると、すぐにリブラスが会議室の扉から姿を見せてきた。音だけで反応するとはよく調教されている。そのことに気づかないまま、もしくはどうでも良いのか、リブラスは普段の通り陽気に喋る。
「やっほー! なにか楽しいことするの?」
「うん。楽しいことを始めるんだ」
 ここまでハシンが意欲的になるとカズタカには止められない。ネイションも同様だ。ハシンは気まぐれだが真面目な性格なので、一度取り組み始めたら結果が出るまでは諦めない。その結果が、良きにしろ悪きにしろ。
 とはいえ無謀な挑戦に自分たちだけが巻き込まれるのは癪なので、カズタカはアルトーとリンカーも呼ぶことにした。
 困難に立ち向かうのならば全員で、だ。


 そうして銀鈴織の全員が会議室に集まる。
 調律の弦亭にある会議室の壁には赤いタペストリーがかけられている。先ほどまでハシンだけが座っていた長机は重厚な木で作られていて、椅子も長時間座るのに耐えられる、ほどよい柔らかさがあった。紫のカーテンが開けられている窓の外には青空が広がっていて、今日という日の過ごしやすさをうかがわせた。
 それなのに自分たちは何をしているのだろう。カズタカとしては、出かけるか洗濯物を干したかった。
 長机の席順はハシンを上座にして、向かいは空席になっている。ハシンの隣にはネイションが座り、その向かいにはリンカーがいて、ネイションの隣にはアルトーが並び、その向かいにリブラスが腰を落ち着けていた。
 カズタカは長机の前にある白板にペンを手にして立っている。誰も立候補しないので、自然と書記になっていた。
「会議を始めるよ」
 ハシンが厳かに宣言する。だがその議題には威厳などない。
「終わらせていいですか」
 まだハシンの考えの一端にも触れていないのだが、リンカーが挙手した。ろくでもない話であるということは時間をかけた付き合いで察しているのだろう。今回はその予想も合っている。だからといって、ハシンが簡単に自分の意思を曲げることはない。リーダーとしての強引さが発揮されている。
「そういうリンカーはいい案を持っていると期待しているよ。さて、今回の議題は、後輩たちである沈黙の楽器亭にも劣らない新商品を考えて、宿の主にプレゼンテーションすることだ。私たちだって十二分に働いてはいるが、後輩たちが活躍しているというのにそれを眺めているだけというのも、面子がないからね」
「別にいいじゃない。カクヤ君たちは接客や料理の練習もしてきたんだし、素直に認めてあげましょうよ」
 もっともな意見が出てきた。だからといってハシンもここで引くことはできないようだ。
 後輩たちに負けたくない、というよりも先輩として憧れられたいという願望があるのだろう。ハシンは、珍しく目をかけている「無音の楽団」に尊敬されたいと、常日頃の努力を欠かさないでいる。弱音や窮状を見せずにいつだって優雅に立ち振る舞っていた。
 カズタカにしてみればそこが心配の種でもあるのだが、命の恩人である相手に突っ込める内容でもない。だからある程度ハシンの好きにさせている。
 とはいえ、日々の努力を怠らない沈黙の楽器亭に勝てる新商品などたやすく考え出せるはずもない。ならば、銀鈴檻の友好を深めるために利用させてもらうことにする。
 そもそも友好というものが自分たちにあるのは大いに謎であるのだが。
 カズタカは手を叩く。注目を集めて、提案する。
「とりあえず全員の好きな食べ物を挙げて、そこから考えるとするか。俺は茄子の煮浸し」
「地味だね。ぴったりだよ」
「ほっとけ」
 リンカーは事細かにカズタカへ敵意を向けないと気が済まない。やはり自分たちに友好などなかった。
 カズタカはリンカーを無視して白板に「茄子の煮浸し」と書く。次にアルトーが口を開いた。
「俺は、肉」
「それも大事だけれど野菜も食べなさいね」
 ネイションのフォローが入りつつ、次はリブラスへと続いていった。
「僕はねー。アイスクリーム! ジェラートもいいけれど、アイスクリームの方が優しくて好き。特にバニラ様の濃厚でとろける甘さはたまらないよね」
 うっとりと話すその様子に、全員がアイスクリームを思い浮かべる。今日は天気もよく初夏の暑さになっているため、買いに行くには良い日和だ。カズタカは後で買いに行くことを決めた。
 ハシンが残りに話を促す。
「リンカーやネイションは何が好きなの?」
「私はジビエ料理ですね」
「そうね。アフォガートかしら」
「アフォガートですか、美味しそうですね。今度、一緒に食べに行きたいです」
 さらりとリンカーが誘ってくる。片想いでありながら狡猾だ。好意を持って誘われるとネイションは断れないだろうし、断る気も生まれない。
 このまま悪魔に仲間を委ねるわけにはいかなかった。
「いいなー。俺も行きたいなー」
 棒読みでカズタカが口を挟むと、リンカーに圧をかけられる。柔らかな笑みだが雄弁に「貴様は邪魔だ」と語っている。最初は押されていたのだが、最近は耐性が生まれてきた。眼鏡の奥でリンカーを睨み返す。
 堅苦しい視線がぶつかり合っていると、能天気な声がした。
「僕も行きたいな! コーヒーの苦味とクリームの甘さのマリアージュ!」
「私も当然行くよ」
「うん」
 仲間全員の同行が決まり、リンカーの企みは泡になって消えていく。困った笑顔の裏で舌打ちをしているだろう心情を見逃すことはしなかった。少しだけ胸の内がすっとする。
 カズタカはネイションに特別な好意を寄せているわけではないが、あの二人が接近しすぎるのも面白くなかった。
 リンカーから寄せられる好意に気付かないまま、ネイションはハシンに話題を振る。リーダーの好みは何なのか。
「私はフォンダンショコラ一択だよ。でもまあ、夏は食べにくいのが哀しいけどね」
 大体の好物は出揃ったので、カズタカは白板に全て書き終える。
 銀鈴檻の仲間たちの好物は甘味か肉に偏っていることは判明したが、ここからどのようにして新商品に結びつけていくのだろう。今のところ目新しい料理は出ていない。
 全員が腕を組む、または肘をついたり、長机にへばりつきながら考え込む。
「新商品、世間を揺るがす新商品……」
「そこまで斬新さを狙わなくてもいいんじゃない? アフォガートのコーヒーを抹茶にするとかでも」
 リブラスが珍しく真っ当に提案する。カズタカも同意することができた。
「それは美味いだろうな」
「そうなんだけれど、もっとこう。相手を驚かす目新しいものが欲しい」
 しかし議題を持ち出したハシンが簡単には納得しない。そのこだわりが彼女をリーダーとしても、特客としても強くしていったのだろうが、こういうときは面倒だ。頑固に振り回される周囲の気持ちを察しながらも、強引に進めていこうとする。
 その考えはリンカーも同じだったのだろう。
「わがままですね」
 鋭い刃でぐっさりとハシンに突き刺していく。
「向上心があるんだよ。僕も相手の魔力に反応して色が変わるシロップとかそういうの発明したいもん」
「リブラス、七十点」
 辛口のハシンにしては高評価が出た。リブラスは呑気に喜んでいるが、事態は一歩しか進んでいない。
「で、結局どうするの?」
「そうだね」
「敵情視察」
 アルトーの提案に、空いた腹が同意する。まだ昼食を摂っていなかった。
「昼は後輩たちのところに食べに行くか」
 会議は中断されることになった。そのまま、全員で沈黙の楽器亭へと向かっていく。


 昼時なのもあってか、沈黙の楽器亭は混雑していた。
 慌ただしい店内を泳ぐようにして移動する無音の楽団の面々を見ながら、カズタカは順番表に名前を書く。その紙もすでに何名かの名前によって埋められていた。
 少しして、呼ばれる。
「いらっしゃーい。って、どうしたんだ? 先輩方が揃って」
 迎えたカクヤはそう言いながらも、手早く六人席にカズタカたちを案内する。席に着いてからハシンは緊張した面持ちでメニュー表を開いた。
 期間限定メニューとうたわれている一枚の紙には、ジビエの肉料理が載せられている。獲れる量は限られているため限定数も載せられているが、それでも周囲を見渡すと頼んでいる人は多そうだ。早めに来ることでしか食べられないが、価値のあるメニューになっている。
 他にもデザートを見ると八種類あるアイスクリームに抹茶、紅茶、コーヒー等の上からかける飲料を多数用意している。組み合わせが豊かだ。
 ハシンはメニューを黙って閉じた。
「人間、無理はしないほうがいいね」
 その一言からハシンも己の敗北を悟ったらしい。自分たちの先を、すでにカクヤたちは歩いていたのだから。
 とはいえ恥じることではない。得意分野の違いだ。
 ようやく納得してくれたことに安心して、食べることに集中することにした。
「注文するぞ」
 カズタカは近くを歩いていたサレトナを呼ぶ。すぐにメモ帳を取り出してくれた。
「はい、何にしますか?」
「ノックアウトはあるかな」
「今の時間帯ですと、ノンアルコールになりますが」
 ハシンとサレトナのやりとりを聞いて、リブラスは感心する。
「すごいね、後輩」
 まったくだと頷いた。


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