この騒動劇の発端は何だったんだ。
単に、絢都アルスの八雨通りへ買い物に出たのがカクヤとソレシカだったせいだ。それに尽きるだろう。クレズニだったら相手にされなかっただろうし、サレトナだったら言いくるめ、タトエならばあの可愛らしい笑顔で一撃だ。レクィエならば即座にいなすだろう。
そんなことを考えている間にも銃弾が跳んでくる。た、たたたた、たたた、たたた。いまは壁を挟んでいるというので軽快な音楽にすら聞こえてくる。一発だけで銃身を含めて一発何ソルトするのだろう。それらを手にするために払った対価によりどれだけ豪勢な昼食が摂れるだろうか。計算が終わる前に全く馬鹿げた浪費だと忠告したくなる。
ソレシカはカクヤに買い物へ出た用件である、神の血と食事を渡す。
「いいのか?」
躊躇なく袋を受け取ってから、カクヤが問いかけてきた。残るのは、ソレシカでいいのかと。
鉛玉一発とはいえ当たったら相応の怪我は免れない。おそらくないだろうが、弾に毒を塗られていたり魔力が込められたりしていたらなおさら厄介だ。危険な物を商う相手は阿呆に銃を渡さないという決まり事を作ってもらいたい。それとも目先の利益しか考えていないため、お鉢がこちらに回ってくるのなら困ったことだ。こちらは一応平和主義だというのに。
銃声が一度途切れ、カートリッジを装填する音が聞こえる。どうやらまだ諦めてもらいないらしい。
ソレシカは為すべきことを決めた。
「せっかくの品がおじゃんになったら困るからな。カクヤはそれを安全な場所に匿ってもらってから、気が向いたら来てくれ」
「はいよ」
この場に残すのは信頼か、それとも信用か。違いが不明なままカクヤは荷物を持って目の前にある壁を飛び越えていく。皇帝通りにでも出たら、蝙蝠の寝床あたりで荷物を預けられる。それまで、ソレシカが生き延びられるかが焦点になるが亡くなるつもりなど全くなかった。
街を破壊するつもりも、ない。
ソレシカは左手の甲に一瞬だけ手を当てる。赤い円の中に長方形と線で編まれた図柄が浮かび、右手の中に現れる。
それは、片刃が真っ赤な斧だった。
柄は握るのにちょうど良い厚みを持ち、ただの木材ではなくコントラの樹で作られている。刃はこれまでの探求で集めてきた星屑の欠片に、古代生物の血が混ぜられていた。
この斧がソレシカの相棒である「千紅の断頭台」だ。
銃撃が止む。武器の召喚は特客としては初歩の部類の術に入るのだが、これをすると大抵の人間は怯えてしまう。壁向こうの相手も、魔力の気配を感じ取ったのか手を変えてくる。
その前にソレシカは打って出た。
銃撃が止んでいる隙に、細い路地から飛び出して、銃を手にしている男を吹っ飛ばす。とはいっても、刃を使わずに柄で殴っただけだが。
三人いた相手の、二人が怯む。または距離を置く。
「あのさー」
場にそぐわない呑気な声を上げる。そもそも、ソレシカは知らない。
「なんで俺達が銃で狙われないといけなかったわけ?」
「俺たちの報酬を横取りしたからだろうが!」
金髪の男が怒鳴り返す。報酬と言われて今日手にしたものを思い出していくが、あるのは先ほどカクヤに渡した神の血と食べ物しかない。
そして、それらがソレシカ達の手に渡ったのには理由がある。
「あれな。駄目だろ、さらに別のところから盗んできたものを報酬なんて言うのは。せめて盗品と正しく説明してくれ」
カクヤとソレシカが手にしていた物は、八雨通りにある「蛙の暇つぶし屋」という酒店にいつの間にか置かれていたワインとチョコレートだった。最初、店の店主は間違って仕入れたのかと首をかしげていたが、ワインではない赤い液体が付着しているのを見つけて、無音の楽団に引き取って欲しいと連絡を入れてきた。
そうしてワインとチョコレートを調べていく間に別のレストランが潰れる時に盗まれた物だと判明した。そして、そのワインとチョコレートは「沈黙の楽器亭」の主人に譲られる約束をされたものだということも、明らかになった。
ということをソレシカは話すのだが、聞いてくれる耳が相手には無い。すっかり頭に血が上ってしまっている。
なんだか面倒になってきた。
「もうワインもチョコレートもどうでもよくて、俺たちに恥かかされたのが嫌なだけだろ」
「ああ。それもあるな。あとは、お前達が気に入らないんだよ。いつの間にか街にやってきて、特客になってちやほやされて随分と気分はいいだろうな」

「うん。周囲の好意がありがたい」
前に出ている金髪の男はさらに目を吊り上げる。どうやら本音を冗談と取られたらしい。
「そんな陽の光の当たったところにいる奴らばっかりじゃないんだよ。俺たちは、お前たちなんかを認めない」
「そんなこと知ってるさ」
言われて少しだけしんどくはなるけれど、知っている。だからもう傷つきはしない。
自分たちがやるべきことを、するべきことを為しただけ損をする人たちがいて、鬱憤を抱える人たちがいる。感謝と同時に憎まれもするのが特客だ。誰かの利益を守るということは、別の誰かの損益を生み出すことでもある。だけれど、非合法の手段によって生まれる利益を守り、誰かがその被害に悲しむというのならばソレシカは後者の味方をする。
正義や悪ではない。善悪でも無い。
純粋な、ソレシカの心意気だ。
「なあ。話し合いで済むなら、もう終わりにしないか。出頭という形なら多少は罪も軽くなるだろうし」
「言っているだろう。俺たちは、お前たちを認めない」
「ラエン!」
茶色い髪の女性に呼ばれた金髪の男はラエンというらしい。ソレシカに突進してきて、銀の光が昼の日差しを受けて凶悪にきらめいた。
その刃は反転して、ラエンの腹に刺さる。ソレシカが手を下したわけでもない。
ラエンが自分で自分を刺した。
なんじゃそりゃ。
正直に呆れるとソレシカは斧をしまって、倒れたラエンの様子を見る。思い切りがなかったせいか中途半端に肉へ刺さっていた。それでも内蔵の一部を傷つけているのだろう。
ラエンは楽しそうに、目を混濁させながら言う。
「は、どうだ。ソレシカ。お前のせいで俺が、傷を負ったぞ……。倒れている、のもそうだ。結局、お前がしているのは、暴力だ」
「はいはい。そうですねー。俺の暴力がそちらさんを傷つけました」
こういうどうしようも無い時に、結局自分は無力だなあと感じてしまう。
悪を倒しても解決しない。そもそも、悪の倒しようなどあるのだろうか。悪の行動を取る原因が貧困や境遇というどうしようもない格差だという場合に、上に立っている側が「そんなことは駄目ですよ」なんて言うのはただの傲慢だ。地面と血反吐を十分に舐めてから言いやがれ。
でも、だけど。
すでに光を見たソレシカは、知った自分は考えてしまう。
どれほど無力であるとしても、それを言い訳にして現状を変えるための努力を放棄することは、また違うことなのではないか。
ソレシカはラエンの腹に刺さったナイフを抜いて、肌に触れるか触れないかといったところで手を添えると、目を閉じる。
口にするのは、タトエに教えてもらって、クレズニに矯正してもらった自分でも使える治療の歌。
歌には魔力が宿る。願いや祈り。誓い。時には憎しみや悲しみすらも。
それら全てを賭けて、相手の心へ届くように歌う。
「君の夜 明けなくても怖がることはない たとえ 光 喪おうとも 永久の夜が君の味方だから 寄り添ってくれるから」
切なる願い。夜が必ず明けるとは限らない。ならば、夜との付き合い方を学ぼう。考えてみよう。
絶望の朝を迎えるよりも希望の夜に眠りに就けるようになろう。
ソレシカの歌は響き、ラエンの体に刻まれた傷が薄れていった。ただ消えはしない。ソレシカの治癒の歌は、必ず傷跡が残る。薄いか濃いかの違いは歌を聴いた相手の同調具合によって決められた。
「あ。一応塞がった?」
「塞がったけど……バカじゃねえの!? 放っておいてもいいだろ! 俺なんか!」
「えーでも、批判してくれる相手は貴重だし。このまま恨まれても寝覚め悪いし。あと、俺はあんたを間違っているとは思わないよ」
いまだ立っていただけの、茶色い髪の女性に言う。
「あんたのために、あの女の人は蛙の暇つぶし屋に酒とチョコレートを置いておいてくれたんだよ。まだ、引き留めてくれる人がいるんだから、もう少し居心地のいい場所を見つけてみるといいさ。俺は、あんたたちを訴えない。ここからどうするかはそちらさんが決めてくれ」
ラエンに視線を合わせたまま、言い切ってからソレシカは立ち上がる。もう、二人に背を向けた。
「力はどうせ、権力か暴力しかない。受ける側にとってはいつだって痛いんだ。だからさ、どうせならそれを使わなくて済むようにお互い頑張ろうぜ。俺が振るうのも、まあ、暴力以外の何物でもないからさ」
路地裏に三人を残して歩き出す。
その、一瞬だった。
最初にソレシカが一撃を食らわせて倒れていた男が銃を向ける。震える手で、ゆっくりと引き金が引かれていく。
どうしたらいい。どうすればいい。
物語は綺麗に進行して終わりなどしない。
なぜなら、いま地面に倒れているのは、銃弾をその身に受けたラエンだった。
疲れた一日だった。
ソレシカは出納簿に今日の支出を書き込み終えると椅子に背を預ける。ふい、と息を吐くと後ろから手が伸びてきた。
「お疲れさん」
「お疲れです」
ソレシカはカクヤの差しだしたマグカップを受け取る。中には冷たいココアが入っていた。今日の騒動で手に入れた物では無いことを祈りつつ、口に運ぶ。
「ラエンさんとやら、無事でよかったな」
「まあな。ただ、一日に二回も死にかけるとか、相当辛いと思うぞ」
しかも一回は仲間の手によってだ。これからあの三人は上手くやっていけるのだろうか。気にはなるが気にし続けても始まらないし、もう自分たちは彼らと関わることはない。
日の当たる日常を生きていたら見えてこない闇に息を潜めている、本来は日常に生きられる人たちというものを、どうしたら変えられるのだろう。
疑問と同時に出る答えは、結局この世から悪を追放することなどできない。
その悪を踏みつけにしながら益を得ている自分たちのような人間がいる限りは、変わらない。それでも、せめて踏まれる痛みだけは忘れないでいたかった。
悪を倒してすっきり爽快、なんて悦楽に浸るなんて冗談ではない。
「こうしてみるとさ」
「ん?」
「出納簿も、生きている証だな」
カクヤがとんちんかんなことを言い出したが、意味は伝わったので否定する気にはなれなかった。
「まあ、そうだな」
今日という日に何に支払って、何を得たか。
人はそれを残して、覚えて生きていくのだろう。
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