[無音の楽団] 所持スキル・アイテム
当リプレイを執筆するにあたり以下のスキル・アイテムをお借りいたしました。
(『シナリオ名』 作者様)の表記です。
ありがとうございます。
カクヤ
Level 5
Skill: 穿鋼の突き(『交易都市リューン』 斎藤洋様)
Item : 機炎剣(『埃まみれの虹の剣』 Youre-B様)
スライプナー(『勇者と魔王と聖剣と』 ほしみ様)
サレトナ
Level 5
Skill: 眠りの雲(『交易都市リューン』 斎藤洋様)
魔法の矢(『交易都市リューン』 斎藤洋様)
冷気の槍(『虹の魔女の技能店』 どもしペッテ様)
タトエ
Level 5
Skill: 癒身の法(『交易都市リューン』 斎藤洋様)
癒しの音楽(『癒し系のあなたへ』 消夢様)
曲線の襲撃(『小型訓練所』 Leeffes様)
鈍麻の香(『毒の花』 烏間鈴女様)
ソレシカ
Level 5
Skill: 居合斬り(『交易都市リューン』 斎藤洋様)
疾風の光刃(『勇者と魔王と聖剣と』 ほしみ様)
速振斬(『ダンジョン調査の依頼3』 三升様)
Item : 水兵槍(『埃まみれの虹の剣』 Youre-B様)
クレズニ
Level 6
Skill: 癒身の呪(『魔術師の引越補助』 涼風りちあ様)
光輝の矢(『冒険者の自由市 2/ver1.00』 #Yの冒険者達)
木の葉の刃(『虹の魔女の技能店』 どもしペッテ様)
レクィエ
Level 5
Skill: 盗賊の手(『交易都市リューン』 斎藤洋様)
斬龍閃(『ジェーンと黄金のサカナ』 じぇんつ様)
解体操作(『毒の花』 烏間鈴女様)
応急処置(『オークの城』 ミマス様)
以下からリプレイになります。
ネタバレなどにご注意ください。しっかりと書いております。
「主よ、我らをお守りください。
羊が乳で子を育む時も、狼の吼える夜も、鳥がさえずる朝日が昇る、その時も。どうか」
遠くから嘆きにも似た祈りが聞こえた、気がした。
CardWirthScenario
『青を漕ぐ銀の櫂』
ようやく殻を振り払って、若鳥になりつつあると例えられる冒険者一行『無音の楽団』。
青髪の青年であるカクヤをリーダーとした六人の姿は、岸壁の中にあった。一度触れられただけでも凍えそうな風に絶えずさらされて、特に寒さに弱いソレシカは毛布をつかむ手にぐっと力を込めた。
だが、視線は隣でかしいでいる、一行の中でも最年少である聖職者のタトエに向かわずにいられなかった。赤い瞳には気遣いの色が鮮明に浮かんでいる。
今回の依頼は「異端審問」であり、それを任命されたのはタトエだ。だから、カクヤたちはいまも寒さに追い詰められながら、氷と岸壁の都市「タルターシュ」にいた。
どうしてタトエが異端審問として都市タルターシュを調査することになったかと言えば、特に理由はないのだ。
タトエは聖職者であり教会とは縁が深い。その教会から受けた指令である「異端審問」を、気が進まないなどといった気分の問題で断れない。シンプルにして身勝手であり、聖職者としての矜持が重くのしかかる案件だった。
「教会としてその祈りは正しいのか。許されるものであるのか。それを見定めよというのである」
タトエは聞かされたであろう言葉を説教の荘厳さで紡いだ。隣にいたソレシカとサレトナに届く程度の、声量だった。その小ささは不安を表しているのか、思い出してしまったのか判断が付きかねる。だから、サレトナもソレシカも黙っていた。タトエの思考を乱したくない。
そう、これはまぎれもない試練であり、タトエにとって険しい巡礼の旅であるのだ。
無音の楽団が拠点とする都市で「変な自称魔王に付きまとわれている」という一件や「引っ越しを初めとした家事手伝いがとても得意」などといった変わり種の名誉もいただいているにしろ、実力の一端を芽吹かせていることに変わりはなかった。最近ではきちんと竜に準ずるほどの獲物を倒したりもしている。
だけれど、「無音の楽団」の名がささやかれるようになってからも、カクヤをはじめとした一行のやることは変わらなかった。
少し早めに起きて、宿のために入り口を掃除するクレズニやなんだかんだで研究を欠かさないサレトナ。昼には新しい装備を探すソレシカとそれに付き合うタトエ。夜はレクィエとポーカーをしては負けを重ねながらも、いかさまの練習に付き合うカクヤなど、わりあい平和に過ごしている。
とはいえど、そんな日常だけで生きていけるわけがない。
魔物の討伐。遺跡の調査。冒険に次ぐ冒険。
やることもやっている。
だから、異端審問を果たすというこの依頼もまた、タトエにとっては積み重ねる経験のひとつになるだけだ。
それでもタトエの顔だけは晴れないままだった。
普段、全員の重苦しい過去やしがらみを吹き飛ばしてくれる明るい笑顔の持ち主である、タトエの神妙さは全員に沈黙を与えずにいられなかった。
何も言えない。気軽には励ませない。神に仕えているタトエが、異なる神に仕えているだけで別の祈りを裁かねばならないのだ。重責はいかほどだろう。
タトエの一番の友であり、彼に恋慕しているソレシカは穏やかに話を切り出した。
「……教会直々の、それも異端審問とくれば落ち着かないよな」
「そうだね。……主よ、我らをお守りください」
タトエは祈りの言葉をつぶやいた。危険な冒険に行くたびに口にする、聖職者にとって口癖のような文句だ。
小さなはずの呟きだったが、氷と岩でできた空間に祈りはコーラスのように響き渡り、やがて空の向こうへと消えていく。その祈りの消え方はまるで文言を聞きとげた神が回収してしまったようだった。
信仰の証拠にでもするのか、それとも信仰の証明に使うのか。人ざる身では真偽は不明のままだ。
「タトエ、あんまり気負うなよ」
カクヤはこった体をほぐすように伸ばしたあとにタトエに明るく話しかけた。
続くのは、タトエの意思を尊重する言葉だ。
「”迷える冒険者の指標たれ”なんて気にしなくていいんだよ」
カクヤたちも居合わせたから聞いている。
教会の者は話を終わらせる前にタトエに言った。
”迷える冒険者たちの指標”たれと。
いかめしい言葉だが、要はしめしがつくような振る舞いをせよ――という警句であった。
ソレシカはタトエがその言葉が槍として深くタトエの胸に刺さったのを知っている。
成り行きで冒険者になったとはいえタトエには「冒険者である」という、それなりの矜持があった。いくつもの依頼を仲間たちと解決していくのは、これまでにない充足をもたらしていたのだろう。
日の光を頬に受けながら何度も「皆と出会えてよかった」と笑ってくれた。
だが聖職者としても在らねばならず、今回は特にその折り合いが難しい。
タトエの右手は音もなく震えていた。
それを強く押さえている左手に気付いているのはソレシカだけだろう。正直、痛々しい。
「………」
可能ならばいますぐにでも抱きしめたかった。
「風が少し弱くなってきたな。そろそろ行こうぜ」
「はい。そうしましょう」
レクィエが立ちあがる。クレズニも続き、全員が先へと進んでいった。
無音の楽団が拠点とする街より遥か北。
氷と岸壁の都市「タルターシュ」にはこのような逸話がある。
うたうというよりも、本を読み上げる教師の冷淡さでサレトナが語りだす。
「かつてタルターシュは豊かだった。豊かな山と海に囲まれ、人々は贅沢の限りを尽くしていた。……それが神の怒りに触れたのよ」
神の怒りに触れた。痛ましい言葉だ。
「でも、怒れる神は猶予を与えたわ。街の人々に船を造らせ、悔い改めて乗り込めば許すとね」
「許すのならまだ山も海もあるんじゃないか?」
しかしいまのタルターシュは冷風と氷に溢れている都市だ。とうてい豊かとはいえない。
サレトナはまだ、話に続きがあると言った。
「そして大洪水が押し寄せた。船に乗った清らな人々のみが生き残り、今も血を繋いでいる」
一度切ってから、サレトナは後ろを振り向いた。
「そうだったわね、タトエ」
「サレトナの言った通り。タルターシュの箱舟といえばこの辺で知らない人はいないよ」
小さな体だが、それでも背筋を伸ばして、タトエは教会の事情を説明する。サレトナもそのあたりを知っていたが、語るのはタトエに任せるべきだと判断したのだろう。
「その箱舟は神の審判の跡として聖遺物に指定され、教会から保管されているんだよ」
そこらかしこに見える、白を越えて青色をしている氷は確かに聖遺物の封印を果たすにふさわしい。
氷の棺だ。
神の荘厳さを讃えるために封じ込めて、いつか陽が当たって溶けだすまで沈黙を保ち続ける。差し込む光は許しの証だと主張できた。
贅沢の反動として、この氷を戒めとしている可能性もある。
「そのタルタルシチューの船が今もこの地下に眠っているんだっけ?」
「タルターシュの箱舟」
カクヤの素直な言い間違いに厳しいツッコミが入った。クレズニはこういった時も容赦ない。
「た、たるっ。たる……。タルターシュのはこぶね……」
舌を噛みそうになりながらも言えたことに、カクヤよりも咎めたクレズニが満足そうだ。
「よろしい」
「大人げないわね」
サレトナの切り返しももっともだった。
クレズニとサレトナの兄妹喧嘩に付き合うときりがないことを知っているレクィエは、ひんやりとした氷に指を伸ばしながら、話を本題に戻す。
「神の怒りの後、このあたりは凍土となってしまった、と。ここまでが昔話だ」
「問題はその聖遺物の箱舟に何者かが住み着いている上、偶像崇拝を行っているという話で」
「僕にはその真偽を確かめ、異端かどうか報告する義務がある」
最後にタトエがまとめたことが今回のタトエの課題だ。
聖遺物に潜むだけではなく異なる神を崇拝する罪深さは、パンとスープが用意されているのにわざわざ和風の魚の
活け造りを用意する意地の悪さによく似ている。そぐわない場所にそぐわない物を仕立てて、楽しんでいるのだろうか。その、偶像崇拝を行っている者は。
それともただの教会に対するレジストなのだろうか。
真実を見極めなくてはならない。
タトエはまた言う。
「何もなければそれでいいよ。あったとしても悔い改めればよし。そうでないなら……」
その続きを聞けた仲間はいない。ソレシカが声を上げる。
「あ、見えてきたな。タトエ、あれがタルターシュの……」
振り向こうとするが、突然いままでの冷風とは比べ物にならない強い風が吹いた。神が大きく呼吸をしたと例えられるほど、身を切り裂くような風が吹き荒れた。それぞれが自分の身をかばうので手一杯になる。
「……っ、すごい風だな。気を付けてな、タトエ」
ようやく風が収まってから、今度こそソレシカは振り返る。だが、異常を感じた。
あるべきはずの、あるべきものがない。
「――タトエ?」
「消えた……!?」
サレトナの驚きが氷の都市に反響した。
主よ、彼らをお守りください。
健やかなる時も病める時も、
苦難に立ち向かう彼らを、どうか。
空と海が混じる青と蒼の空間を、タトエはただ上へ上へと落ち続けていた。おかしな表現だが見えない天のきざはしを転がり落ちている。
それはまるで聖典をもとに描かれた突風吹き荒れる地獄のひとつだった。
いつ終わるとも知れぬ青い暴風の世界の中、聞こえた音にふと目を向けると。翼を生やした少女が落ち続けるタトエを見つめていた。
「……!」
落下が終わり、天井か地面かわからない場所に膝をつく。緊張感を保ったままタトエはゆっくりと立ちあがる。相手を尋ねることも、自分がどのような状況に陥ったなど、聞くべきことはいくらもあった。
その中で、タトエが最初に抱いた問いは現在地の確認だった。仲間たちとどれだけ分断されたのかを知りたい、仲間への心配と信頼があった。
「ここはどこなの」
名前の分からない白い翼を背にした少女が話を始める。タトエは言葉が通じることに、第一の幸運を覚えた。
「ここは箱舟の中枢。 私はお前を待っていた」
息を吸ったわけではないだろうが、間を置いて少女は続ける。
「わたしはウズネラ。神に仕えるもの。お前を招聘したもの」
少女、ウズネラは感情らしい感情を見せず、タトエに対して冷淡に告げた。情動を殺しているのではない。機械が誤作動を起こさないために不要な部品を用意されないように、ウズネラには感情が生まれつきないようだ。
氷の都市に相応しい少女の姿がタトエには急に悲しく映った。
一方的に寄せられる悲哀など知らないまま、ウズネラは話を続ける。
「聞け、人の子。神を信ずる子羊よ」
「このタルターシュの箱舟でわたしは十万の日と月を見ながら、ひとと神に訊ね、祈り続けた」
「そして刻限の日、巡礼を行うお前が現れた」
「喜ぶがいい。お前は神より裁く栄誉を与えられたのだ」
微笑とも苦笑とも呼べない、不器用な笑顔を浮かべたままタトエは首をかしげた。
偵察を得意とするレクィエが最初に最下層を踏破した。
「最下層は見終えたな……。どこに行ったんだ、タトエ……」
珍しく顔に焦りを浮かべる。防寒の装備を持っていけているかすらわからないまま、極寒の土地で仲間が消えたのだ。どんな状況であっても冷静でいられるように努めてはいるのだが、焦りを覚えずにいられるほど達観してもいない。無音の楽団における仲間内の信頼の厚さと個人行動に慣れていない点が浮き彫りになっていた。
サレトナは現状を確かめながら、一つの仮説を提示する。
「意図的に魔術的なもので連れ去られた可能性は高いわね」
「しかし誰が何のために?」
それを言われると弱いサレトナが言葉を重ねようとするが、その前にソレシカが遮った。
「……待った。足音がする」
レクィエたちがいる通路へと迫ってくるこつん、こつんという音に全員が黙った。一瞬だけタトエとの再会を期待するが、すぐにそれは希望的観測にすぎないと理解する。
「……規則正しい足音だ。だけど隠れる気がないな。魔物でもないな……?」
「……察するに、軍属。冒険慣れは感じない」
耳をすましていたレクィエが断言した。
「こんなところに兵隊? 一体なぜ……」
「レクィエ、どうする?」
「タトエのことは気がかりだが、余計な争いは避けたい」
前と後ろのどちらに反応したのかは不明だ。ただ、カクヤは衝撃を隠さずに正直に言う。
「レクィエ……。変なものでも食べたのか?」
「今後の争いのためにエネルギーを溜めてるんだよ」
「しっ……近付いてくる」
足音は誰の耳にもはっきりと届くほど近くなり、硬い靴の主にどういった対応をするかの選択肢を迫られる。
視線で会話を交わすと、ソレシカが頷いて問いかけることになった。
「……。軍属となると仲間がいるかもな。慎重に行くぞ」
レクィエの言葉に、再度の頷きを返すと、ソレシカは身を隠すのをやめた。
「――人? どうしてここに……!」
銃を構えられる。発砲の危険性はあるが、ソレシカは両手を挙げて無抵抗の意思を示して話しかけた。
「待て。こちらに戦う意思はない」
「………」
兵士のいでたちをした少年も銃と手を恐る恐る降ろした。
情報を得る好機に遭遇し、ソレシカはさらに言葉を重ねていく。
「現地の者か? 頼む。話を聞いてくれ。もしここのことを知っているなら案内してくれないか? はぐれた友人が、いるはずなんだ」
守るべき相手とはぐれてしまったソレシカもまた、必死だった。いまもタトエが事態を打開するために動いているか、それすらもできないほどひどい状況に追い込まれているのかも不明で。さらに、今回託された任務によって常の明るさを欠くほどに繊細な思考へ陥っていたタトエ。
ソレシカはタトエの悩みや任務に対しては何もできない。
だけれど傍にいることが許されるならば、一刻も早く早くタトエの隣に戻りたかった。
少年はしばらく、初めて見た人間たちを観察していたが、やがて了解した。
「………。事情は分かりました。どうぞこちらへ。案内します」
歩きだした少年の後につきながら、クレズニは一つだけ聞きたいことを尋ねる。
「……あなたは一体、誰です?」
「私はアルカ。このタルターシュの箱舟の、最後の乗組員です」
場面は変わり、ウズネラとタトエのところに戻る。
ソレシカと少年たちのやりとりが氷に映るのを黙って眺めていたが、ウズネラがまた話を始めた。
「この箱舟には罪がある。お前はそれを見定めねば、元のところへは戻れぬと知れ」
「つまり、僕がこの箱舟の中に残る罪を裁けということ?」
「そうだ。この箱舟には罪が残っている。お前はそれを裁くのだ」
「でも、僕はその罪のことを知らない」
心当たりがあるといえば。
「この船のどこかにいるっていう偶像崇拝をしている人のこと?」
「………。それがお前の選んだ罰なら、それが裁かれるだろう」
ウズネラの言い回しの曖昧さが告げるのは事態の深刻さと重要性、入り組まれた複雑さ。
これがただの異端審問などではないということをタトエはとうに察していた。慎重に問いを重ねる。
「……裁きを間違えたら?」
「お前は間違わぬ。仮に間違えたとてそれが答えだ。神はお前を選ばれたのだ」
ただならぬことであった。神の権威は今、まさにタトエの中にあった。
翼持つもの、ウズネラのことばによれば、神に選ばれた自分は、この船において、いかな審判をも下すことができるのだ。
「………」
タトエは傲慢な権威に酔いしれない。それほど愚かでも。かといって権利の偉大さに怯えて拒絶するほど臆病でもなかった。
これが人ではなく、神が与える試練ならば。
「僕は正しく裁定を下してみせる」
言いきられることによりウズネラは初めて満足そうな様子を見せた。表情も態度も変わらないが、余裕と、諦観のようなものが生まれている。
「今日この日、お前こそが唯一の異端審問官だ。神に善く仕えよ。そして審判を下すがよい。それこそが、神がお前をここに遣わした理由なのだから」
荘厳な語りを聞きながら、自分に異端審問の使命を与えた協会がウズネラのことを知らなかったらとても間抜けだなあと、タトエは思った。
タトエが欠けている無音の楽団の一行は資料室に案内された。
資料室内は想像よりも清潔で空気にも澄んだ心地よさが感じられる。
「ここは昔の住人たちの資料室です。最近のものも、少しだけ。どうぞ、ご覧になってください」
昔の住人たちが遺したはずなのに最近の資料もある。その点を気にしつつも、サレトナとクレズニが資料に目を通し始めた。この兄妹は貴族の係累であるためか、字による情報収集が必要になると、進んで請け負ってくれる。普段の中の悪さが嘘のように、効率的に調査にあたってくれていた。
それとは違う方法で、カクヤやレクィエは対人における情報収集を得意としている。だからサレトナとクレズニが重要だと思われる資料を三種類に大別しているあいだ、アルカから話を聞くのはこの二人だった。
ソレシカはサレトナがページをめくっている薄い本の内容を尋ねる。
それには『寓話「タルターシュの箱舟」』と書かれていた。
内容はまさに寓話だ。
過去にあった栄えの国、タルターシュ。だがあるとき神は贅沢ばかりのタルターシュの民に激怒し、己の財産で船を作って悔い改めるように達した。そして予言のとおり、タルターシュは洪水に襲われた。
その神だが予言を伝える前に、「自らの使い」を見張りに立てて去ったという。
「なんとも迷惑な話だ」
ソレシカが率直に感想を述べるが、サレトナからは同意も反論も返ってこない。考え事に集中している。
「……神の使い? そんな話あったかしら?」
「………。寓話の棘は抜かれるものです。改定のうちに削除されたのかと」
「アルカは知っているのですか?」
同様の資料をまとめているクレズニが問いかけると、アルカは大キック頷いた。
「はい。箱舟を作る折、タルターシュの人々を見張るため、天から使いが遣わされたのです。名をウズネラと言います。遠く古い言葉で審判を見守るものを意味します」
サレトナが手にした寓話とアルカの証言にある「審判を見守るもの」。それを繋げると天からの使いウズネラは、タルターシュの審判に大きく関わっているのは間違いない。
そして、今回のタトエは審問を任されている。
寓話上の存在とはいえウズネラの存在は無視できなかった。いまだその存在が確認できていないとしても。
ソレシカは思考をまとめて、アルカに質問する。
「ということは、ウズネラは審判を直接下すものではないとも取れるな?」
「お察しの通りです。ウズネラ自身に審判の権能があるわけではありません」
アルカは同意した。仮説が成立した安堵から、その先に続く小さな言葉はソレシカに届かない。
「ええ。ただの見張りのはずだったんです」
サレトナのページをめくる手が止まる。アルカの赤い憎しみがにじんだ声を聞き逃すことはできなかったが直接問い質せる雰囲気でもなく、眉を寄せるに留めておいた。
「………?」
今後、アルカにウズネラについて尋ねることはできるだろう。サレトナは再び資料を整理していくが、その中に様々な設計図があった。
「設計図、水の循環機構、それこそ魔法から何まで大量に揃ってるわね……」
「資源が豊富であったと同時に、この地域では魔術研究も盛んでした。ですから今もこの箱舟は、独立して生活できる水準の機構がまだ稼働しているのです」
「まさに生きた聖遺物、か」
「今でこそ氷に埋もれていますがひとびとに愛された不沈艦です。頑丈さには評判がありますよ」
得意げなのは最後の乗組員としての誇りがゆえんなのか、つい場が和んでしまう。
最後に見つかった有益な資料は『祈りと魔力、そして道具に憑く神々』というものだった。
アルカから話が聞き終えたカクヤがサレトナの手元を覗き込む。目は字を追うのだが、同時に眉も中心へと寄せられて、最後には口がひん曲がる。
降参の両腕を上げた。
「簡単に」
「遠くの地域のツクモガミなる信仰を魔術的に紐解けないかって話ね」
賢い魔術師の要約に対して、カクヤは両手を合わせて体を縮こませる。
「何してるのよ」
「サレトナ様を拝んでいる」
「で、実際どうなんだ?」
レクィエも会話に混ざり、サレトナは本を閉じた。
「立証はできなかった。もちろん、手段の確立もね。ただ、タルターシュの人間が道具を大事にしていたというのは本当みたいよ」
「じゃあ、この箱舟も大事にされたんだろうな」
「……そうね」
「サレトナ?」
歯切れが悪い。カクヤは大丈夫かと、心配する。サレトナから見るとその様子は大型の犬に気遣われているようでおかしかった。
嬉しかった。カクヤはいつだって自分を大切にしてくれるのに、自分が素直になれないのが悔しいけれど、それはまた別の話だ。
「まあ。タトエを探すのには関係のない話ね」
大体の資料は読み終えた。次に資料室に保管されている道具を一つずつ点検していく。その途中でカクヤが丸い形状の物を見つけ出した。
「これは?」
「あっ、裏が鏡になってる」
「それは箱舟を行き来するための鍵のようなものです」
アルカが説明をしてくれた。
「古代文明のカードキーのようなものか?」
「カードキー、というものがどういう物かは分かりませんが鍵であることには違いないです。よろしければお持ちください。私が側にいられるとも、限りませんので……」
好意に甘えることにした。荷物袋の中に、箱舟の鏡をしまう。
資料室の探索は終わった。あとは、最後の乗組員であるというアルカから話を聞こうと、それぞれ座れる場所に腰を落ち着けた。
全員の注目を集めているアルカは気恥ずかしそうだ。
「こうして誰かとお話するのは随分と久しぶりです」
その笑みが、幸福そうだから切なかった。
氷の都市の聖遺物に残された最後の乗組員。聖遺物を見に来ることはあっても、中に入ることはまれだろうからアルカは長年の孤独を強いられていたことになる。
だからまず、アルカのことを聞いた。
「私はこの箱舟の最後の乗組員です。……平たく言えば、案内役といったところでしょうか」
「いつから案内をしているんだ?」
「気が付いた時には。長いことやっていますが、ここまで来る方は久しぶりですね」
じっと見つめられるとやましいところはないが気まずい。
「振る舞いを見るに軍属らしいが、所属は?」
「えーと……。少なくとも、軍属ではないです。私は、一人です。多少の魔術の心得はありますが 魔法の矢に類似したもので、それ以上のことは……」
「その魔術はどこで?」
「箱舟を作った人が残した文献から。この船のことなら何だって知っていますよ」
胸を張ったあとにまた落ち込む。
「ただ、船のことばかりで、外のことはちっとも……あ。でも船に乗っていた人が食べていた『ぽとふ』と『ぱん』は知っていますよ!」
「それはすごいわ。ソレシカ。……どう思う?」
サレトナはアルカに相槌を打ったあと、いまだ落ち着けないソレシカに問いかける。
「敵意は感じないが、聖遺物の中にいて箱舟に詳しい人間、なあ」
「ポトフとパンだけとか食生活をもっと豊かに……。飲食してるかも怪しいが」
「つまり?」
別の意味を察したクレズニの問いに、いままでのとぼけた発言を無に帰す答えをカクヤは返した。
「……気づいてないのか? 彼は瞬きをしていないぞ」
「不死者ではないにしろ、人間であるかは怪しいわね」
「アルカが人間であるか……」
「…………」
先ほどの賢察を尊重するために、クレズニはつっこまなかった。カクヤが笑いを取るためだけに不謹慎なボケを起こさない点は信頼している。
兄とリーダーのあいだに漂う、ぬるい雰囲気。それを感じ取ったサレトナは場を変えるために古語で小声で言う。
「でもまあ、危険性はなさそうよ。無理に対立することはないわ」
次に訪ねた内容は、箱舟のことについてだ。
タトエが消えてしまった場所である箱舟の存在意義と内部について、知らなくてはならない。
アルカは壁に視線を向けているが、それよりも遠い過去を見つめながら話を始める。
「この箱舟はおよそ270年ほど前に設計、建設されました。大洪水から人々を守った後は、隆起した岸壁の下でこうして眠っています。甲板だけは、ちょっと出てますけどね」
「タルターシュの人は来るのですか?」
「はい。聖遺物ということもあり、巡礼の方もいらっしゃいますね」
「その人たちと交流は?」
「いえ……。中まで人が来ることはないですね。でも、いいんです。かつての出来事を忘れられるよりは、よほど……」
「……寂しくないのか?」
未練とは言わない。だけれど、アルカの語調からは、伝え損ねている大切なことがあるように感じられた。だからカクヤは尋ねた。
人が来るのを遠くから見るだけということに、寂しさはないのか。
アルカは消えかけるランプの灯の笑みと共に答える。
「私にできることは耐えることと、受け入れることだけです。こうして覚えていてもらえる。それだけで、十分です」
それは、裏に返したら「自分のことを忘れないでいてもらいたい」ということだろう。ただその本音を口にするように強制できないカクヤは黙るだけだった。
アルカという存在をカクヤたちはまだよくつかめてい。だが、無邪気さの内側に抱えている諦観は重い。
一旦の沈黙の後、ソレシカは本題の一つに触れる。
タトエと共に自分たちがまきこまれることになった、偶像崇拝についてだ。
「実は俺たちがここに来たのは、仲間が異端審問の指令を受けたからなんだ。ここに来る人の中に、偶像崇拝の疑惑が掛かってる。アルカは知らないか?」
「そんな! 大洪水以来、人々は神への畏敬を忘れたことなどありません! 祈りは箱舟そのものではなく、神に向けられたものばかりです。……でも、箱舟の存在が罪だというなら、それは……否定できないことです」
立ちあがり、アルカは偶像崇拝をする存在を強く否定した。しかし、そのあとにうなだれるとまた座り込む。
「かつての強欲な民の財で造られた……そういうことばには否定はできませんから……この箱船に対し、人々が愛や憎悪を向けていることも確かではあります。し、しかし誓って! 人々が異端となったわけでは……何かの、間違いです……!!」
アルカの叫びは悲痛ではあったが、安易な慰めも励ましも必要としていなかった。
目の前の少年は箱舟とその乗組員であることに誇りを抱きながら、いまタルターシュで生きている人たちも尊重している。悪意は感じられない。
これ以上はアルカから異端審問の情報を得られないことと、触れないでいるべき話題だと判断して、ソレシカは別の方向から話を進めることにした。
「教えて欲しい。ウズネラとは何者だ?」
「………。場所を移しましょうか。――私の自室へ」
立ちあがったアルカの後にソレシカたちはついていく。
核心に近づいている手ごたえがあった。
問題はその核心に触れた時に、誰が何を判断すべきかだ。それは、いまここにいないタトエが一番相応しい予感もしていた。
「タトエ」
ソレシカは小さく消えてしまった仲間の名前を呼ぶ。
神よ! どうかお守りください!
貴柱が人を愛しておられるのなら、どうか!!
声にはならない祈りが聞こえた。
カクヤたちとアルカのやりとりを眺めていたタトエに、ウズネラが声をかける。
「……罪は暴かれたか?」
タトエはまだ答えられない。沈黙と共に見上げるがウズネラの対応は変わらず感情がなかった。
「罪かどうかを定めるのはお前である。私ではない。よく考え、善く仕えよ」
「……アルカはウズネラに裁く権能がない。……そう言っていたよね」
「そうだ。私に審判を下す権能はない」
「それなら何故、大洪水の後も留まっているの? ……何を待ってるの?」
ウズネラは過去のタルターシュに愛想をつかした神が置いたものだが、すでに洪水を見届けて役割は終えている。それなのにここにいるということは、ウズネラは自分の意思で箱舟へ残留している。
その目的がいまだ読めない。
ウズネラはタトエを見つめたあと、親しい友に己の秘密を打ち明ける時のくすぐったさを見せた。
「私は神より言葉を賜った。十万の日と月が昇るのを見よ。そして訊ねよと。私がここに留まるのもまた、裁かれず残された罪を待つためだ」
「なぜ、笑うの?」
いままで無感動であった神の使いは口の端にかすかだが笑みを浮かべていた。
「十万の月日の末の答えがようやく出るからだ。待ちわびた時が来る――」
「裁きが終わった時、ウズネラはどうなるの?」
曖昧な答えではあったが、ウズネラの念願が叶うまでの時間は残り僅かだということは伝わってきた。その願いが叶ったあとにこの神の使いはどうなるのだろう。
どうする、ではない。
裁きが下されてから、ウズネラという存在にもまた裁定が下される。
タトエの危惧など全く気にせずに、ウズネラは陶酔を隠さないまま、両腕を広げて荘厳にうたう。
「十万の月日の末の審判。それが終わった時にこそ私は神の身許へ戻るだろう」
そして、腕を下げた。
「今に分かる。この船に残る罪とは何か」
アルカに案内されたのは、こじんまりとした部屋だった。
「私の自室はここです。あと一層上が、箱舟の中枢部になります。どうぞ、お掛けになってください」
示された椅子に腰かけたのはサレトナとカクヤだけで、あと三人は壁を背にして立つ。
「それで……。ウズネラとは何者なの?」
「……ウズネラは、先も話した通り神の使いです。宗教や宗派によっては、天使とされる存在ともいえます。それなのに彼女がただの見張りでなくなったのはある事件がきっかけです」
「事件……?」
クレズニが返すとアルカは目をつむって、いままでと異なる表情を見せた。
「はい。三百の日のうち一度だけ。タルターシュの民は、神に逆らいました。それはそうですよね。自由に暮らしていたのに、いきなり怒られたのでは……ただの見張りであったウズネラが突如凶行に及んだのはその時です……」
言葉を切ったのは激情を抑えるためなのか、それともようやく吐き出せる機会に安堵を覚えたのか。ソレシカたちにも、その場を眺めているタトエにもわからない。
アルカは事実だけを言う。
「彼女は見せしめに一人、民を殺したのです」
「殺したって、タルターシュの人を?」
「はい。神の怒りが真実であること。それを知らしめるためのいわばいけにえでした。彼女は極めて平等に、犠牲者を選びました。結果殺されたのは、どこにでもいる無辜の少年でした。おもちゃの兵隊が好きな、ただの。彼女は己の権能を超えて、一人の人間を殺すことで残りの人間を救いました。それが原因なのか、ウズネラは今も箱舟の中枢に留まっています。十万の太陽と月が昇り、沈んだ今も……」
長い長い、アルカの話が終わった。強く閉ざされた瞳とゆがんだ口元からは、長年のあいだアルカしか抱えられなかった苦しみが読み取れる。
ウズネラについても情報が得られた。身の程をわきまえずに一人の少年を殺害して、だけど多くの人を助けた天使。だが、人を救ったとはいえ、ウズネラは少年を殺害した罪もまた抱えている。
人の生死を自由にできるのは神しかいない。
「ウズネラが箱舟に留まっているのは……己の罪を裁かせるために?」
サレトナは一つの推論を口にする。
裁きの権能を持ち合わせていないため、罪を抱えたままではどこにも行けなくなった箱舟の天使は「天使を裁くことができる別の存在」を待っているのではないか。
そのためにいまここにいないタトエが選ばれた。
「それは分かりません。私には、彼女が理解できない。それどころか、ああ。強い憎しみを感じるのです。もしかしたら、ウズネラは私を裁かせるためにそこにいるのかもしれません。憤怒が罪であるというのなら――」
「一人を殺して多くを救った。だが殺したことには違いない。天使自身が傲慢の罪を裁かれたい……。そう、考えることもできるな」
アルカの代わりに話を一歩進めたのはレクィエだった。けれどその声はアルカには届かない。 頭を抱えてうめく。
「一体、何が罪なのでしょう。神の使いに憤怒を抱く私? 多くの為に一人を殺した天使? それとも……」
「………」
正答のない問いかけに全員が黙った。タルターシュにおいて何が罪なのか。それを裁ける力を持った者も、意思を持った者もここにはいない。
せめてその権利を得ようと資料室にあった資料とアルカから聞いた話を総合し、箱舟についての伝承、現状、ウズネラという天使についての情報は得られた。
だが、知識があるだけでは誰に罪があるかも明らかにできない。そしていまだに続く悲劇に終わりすらもたらせない無力の波にソレシカは揺らされる。
タトエだったら、違うだろうに。
「その前にひとつだけ確認したいことがある」
カクヤがふいに口を開いた。これまでの言い間違いなどとは違う真剣な雰囲気に、全員の視線が集まった。
「古い歴史も知っている。聖遺物の全てを理解している。なのに誰も、お前を知らない。アルカ、お前は何者だ?」
「………!」
「確かに、このあたりではっきりさせておきたいわね。このおもちゃの兵隊とあなたは同じ格好をしてるんだもの」
サレトナが机の上の人形を持ち上げた。人形の姿はいくらかデフォルメされているとはいえ、アルカと全く同じ格好をしている。
酷似した人形と、人と、資料にあったツクモガミについての話。容易ならぬ秘密が隠されていた。
アルカは憔悴した様子で何度も顔を上げては下げ、最後に小さな声で言った。
「にわかには信じられぬ話ですよ?」
「信じるかどうかはこっちで決めるよ」
「……私の正式名はアルカ・タルターシュ。アルカとは、箱舟を意味する言葉です。箱舟とは私であり、私が箱舟――いえ、正確には箱舟に宿った数々の祈りが……ただ一人犠牲になった少年の形見に集まった、異邦で言うところのツクモガミです」
「…………アーティファクト……」
正確にサレトナはアルカの存在を訳した。
「はい……箱舟に宿った思い、届けられた祈り、そして一握の怒り。それが私です。おそろしく聞こえましょうが、私は復讐を望んでいます。唯一、救われなかった子の復讐を。十万の太陽と月が昇り、沈み、再びウズネラが目の前に現れるその日だけを待ってきました」
目を閉じて、アルカは話を続ける。
「今日がその裁きの日。……おそらくあなたたちのご友人が我々に審判を下すでしょう」
「裁かれたら、ウズネラやアルカはどうなるんです?」
すでに異端審問を問うなどといった段階ではない。
タルターシュに存在する罪は権能を超えて一を犠牲に多数を救った天使と、その天使に殺された憤怒の罪を抱いているアーティファクト。
けれど、それらは確たる罪なのだろうか。
神からみれば傲慢であるだろうが人の身では容易に裁くことのできない理由と葛藤が、罪を抱えた天使にもアーティファクトにもある。
クレズニに問われたアルカは、これまでの無邪気さを消して、淡々と話す。
「ウズネラがどうなるかは私には分かりません……。私は……そうですね。それが途方もない力であるなら、依り代もろとも四散するでしょう。そうでないなら、私はウズネラを討つでしょう。神の使いに、砲を向けます」
「アルカ……」
「そうしたら……本当に異端審問に引っかかってしまいますね。聖遺物が神の使いに弓引くなんて。でも悔しいじゃないですか。理不尽な裁きを受けて、ただ頭を垂れるのは……」
だから、アルカは顔を上げて笑った。
「軍服を纏って生まれたのは、ちょっとした私の意地なのかもしれませんね」
自分のやるべきことを決めた兵士の人形を哀れめばいいのか、止めるべきか。わからない。だから、カクヤたちは相談を始めた。
「なんだかとんでもないことに巻き込まれたみたいですね」
「えー、でも先走って人を殺したのはウズネラじゃないのか?」
「だが、相手は神の使いだ。また洪水なんてあったら今度こそこのあたり壊滅だぞ」
状況を把握しているレクィエの言葉にサレトナは考え込んでしまう。
異端審問に遣わされた先で、洪水の被害を起こしたらタトエが教会の人たちからどれほど責められるか。
「だけど、それでアルカに罪を負わせるのも……」
「実際、アルカがウズネラに砲を向けた場合、アルカは異端審問にかけられるのですか?」
クレズニが妹の肩を支えながら次の懸案事項に水を向ける。
「タトエに聞いてみないことには何とも……」
この場にいないマスコット聖職者のことを考えて、全員がため息を吐き、一体どこに行ったのかと嘆いた。
しかし嘆き続けてもしかたないので、せめてタトエと再会した時に状況を伝えられるように話をまとめていく。
「と……なる、と。見える罪は……」
多くを救うために人を殺めた傲慢なるウズネラの罪。
神聖な存在であるウズネラに復讐心を抱くアルカの憤怒の罪。
あるいは、箱舟そのものが豪奢であるという罪。
「加えて、その全てが罪である、ないしすべて無罪である。こんなところかしら」
「行けるかどうかは分からないが、審議放棄もアリかもしれないな」
「ただ、それは何が起こるか一切分かりません。タトエが選ばれたというなら、やるからには一蓮托生ですね……天使を裁くか聖遺物を裁くか……」
「とはいえ、必要とされてるのはタトエの判断だ。……どのみち合流しないとな」
いつもメンバーを励ましてくれる天性の明るさを持つタトエに、この重い荷物を明け渡さなくてはならない。それに対して情報を伝えることでしかサポートができない無力さが、無音の楽団全員に苦々しくのしかかる。
同時に期待してしまうのだ。タトエならば気軽にこの重責を受け取って、ウズネラとアルカの矛を二つとも収めさせてしまうのではないか。全てのわだかまりを吹き飛ばしてしまう明るさで、光のない道を照らしてくれる。
だが、それはタトエだけに責任を押し付ける逃避行動であることは十二分に承知していた。カクヤも、サレトナも、クレズニも、レクィエも。
ソレシカも。
仲間として、一番重い荷物を分かち合うためにソレシカたちはタトエと合流しなくてはならない。
「……行きますか? 箱舟の中枢へ。きっとあなたたちのご友人はウズネラと一緒にそこにいるはずです」
裁定を待つアーティファクトに言われ、ソレシカは壁から背中を離した。
「……行こう」
そして部屋には誰も残らなかった。
ウズネラと共にタトエは全てを見聞した。
仲間たちの信用と信頼は心地よく、任された期待は重かったけれど、重さの分だけ気合が入る。
いまもタルターシュに眠っている全ての罪に裁きを下して、縛られている魂を解き放たねばならない。その権利を与えられたのが、偶然にも自分だった。
それだけだ。それだけのことなんだ。
「異端審問官、タトエよ。お前に問う。お前は断罪を放棄しないか?」
「…… もう少し考える」
与えられた情報を整理する時間が欲しかった。幸いにもサレトナがすでに分けてくれている。
まずは<箱舟の罪>。
アルカの罪は『憤怒』だ。天使の手によって見せしめにされた少年の報復を企てている。しかし、それらはすべて未遂だ。彼は頭の中で報復の日を繰り返し続けているにすぎない。
だが忘れてはいないだろうか? 此度の巡礼は『異端審問』。
彼を裁くのであるならば、『憤怒に伴う神への不敬』について考える必要があるだろう。
次に<天使の罪>。
ウズネラの罪は『傲慢』だ。人が箱舟を造るよう、見せしめで子どもを殺している。
だが、それで民が心を入れ替え、箱舟を作り上げ、洪水を逃れたのも事実だ。
彼女を裁くのであるなら、『彼女の払った犠牲』についてよく考える必要があるだろう。
両方とも七つの大罪に含まれるほど大きな罪だ。
けれど、アルカの罪はまだ正確には起きてはおらず、ウズネラの罪を裁くにしてもその行為で救えた命が多すぎる。
考えた。そのあいだウズネラはタトエを見つめている。無表情のはずなのに懇願の色が見えるのは、自分の思い込みか。
ウズネラ。
長いあいだ、裁かれることだけを待つのは苦しくなかっただろうか。待つしかない時間という味を深く噛み締めねばならない痛みこそが、目の前の天使の感情を殺してしまったたのではないか。
そして殺したいと恨まれる苦しみの深さも知らずに、権能を超えた行為を傲慢だと断じて、空虚な穴に突き落としていいのか。
だが、ウズネラを裁かなければアルカに集中した遺恨、苦痛、悲哀はどこに行けばいいのか。
タトエだったら全てを許したい。「みんな辛かったね」と終わりにしたい。丸く収めてハッピーエンド。
そうならないから、いま、みんな悩んでいるというのに。
全てに納得いく審判を下すというのは逃避だとも理解している。
だから、タトエは考えて考えて、自分の審判を自分の意思で選んだ。
「……審判を下すよ」 ]
ウズネラを見上げる。視線を受けて天使は頷いた。
「よろしい。もうすぐお前の道連れが来る。神に善く仕えよ。お前はそれだけでいい」
タトエの心に様々なものが去来した。
「冒険者である」という聖職者とは異なる矜持。
「平穏な日々」という、忘れてはならない尊い夢。
あるいは「聖職者」という厳しく律されねばならない自分。
そして冒険の中で巻き起こったいくつもの出会いと別れの頁。
その全てをもって、タトエは審判を下さねばならない。
――審判の足音が、近づいてくる。
箱舟の力が渦巻く中枢では、絶えず暴風が巻き起こっていた。
その突風の傍らで、天使は静かに羽搏いていた。
「来たか。巡礼の道連れたちよ。そして罪深き人々が生み出した沈まぬ箱舟の魂よ」
「ウズネラ……」
アルカが憎々しく見上げる天使の傍らに、見慣れた人が在った。
「タトエ!」
タトエは目を閉じていた。それは意識を統一しているようにも、ただ眠っているようにも見えた。
その手には銀の手鏡が握られていた。手鏡はさかさまにすると、船を漕ぐ櫂のようにも見えた。
「あれは……銀の櫂! この箱舟のマスターキーです。ウズネラはあれで、中枢に閉じこもっていたのです」
「……」
箱舟の鍵を手にしているタトエはゆっくり目を開いた。
その表情の平穏さが、かえって恐ろしく、レクィエは尋ねずにいられなかった。
「タトエ、 何ともないか?」
「うん、大丈夫。みんなの事は見ていたよ」
「何だよ、神様みたいなもの言いだな」
「それもそうだね」
タトエは自分の言い回しに笑った。浮かべられている笑顔は普段と変わらず、明るく無邪気で、洗脳とかの心配はないことにソレシカは安心する。
合流を果たせた無音の楽団は和みかけるが亀裂が入る。
裂け目を強引に作り出したのは、タトエを連れ出した天使、ウズネラによってだった。
物語はまだ終わっていない。これからが本当の始まりになる。周囲を取り囲む氷と冷風も、厳しさを増したように感じられた。
ウズネラが問いかける。
「さあ、答えてみせよ。お前の指す異端とは。お前の示す罪とは何だ?」
「……」
アルカからも視線を向けられる。それに向けて、タトエはにっこりと笑いかけた。
銀の櫂を手にして、なおタトエは軽やかでいられる。春の終わりに頬を撫でる風の優しさだ。
その風が氷を溶かす。
タトエは審判を下す。
――審判の時は来たれり。
傲慢なる天使か。憤怒の魂か。全てに罪はあるのか、ないのか。
答えはもう出ている。
全ての罪はきっと、過去にあるから。
ウズネラもアルカも未来ではなく過去しか見えないのなら。
タトエはとん、と箱舟の床を足で叩く。思ったより軽い音だった。一人の少年を犠牲にして、多くの魂がすくわれたにしては、軽すぎる音だ。
その音が反響し、消えてから、タトエの審判は始まった。
「この船こそがかつての民の贅の象徴である」
意味を問いかけようとするクレズニを、レクィエが止めた。
「この船の破壊をもって全ての罪を贖うしかない。これが全ての過去を縛るものなら。かつて、人が造り、人を救ったものであっても。今は人々を惹くだけの枷でしかないんだよ。だから」
タトエは鏡を掲げた。
「豪奢なる箱舟よ! 汝の過去に罪はあり!」
鏡に幾度も光が反射して、反射して、周囲を真っ白に染めていく。眩しさに耐えながら、カクヤはサレトナを支えた。
光が収まる頃――嘘のように暴風は収まっていく。
あとには抜けるような青と蒼、そしてタトエたちの色が残った。
氷も冷風からも解き放たれ、涼やかな空の下、アルカは寂しそうに微笑んだ。
「……そうですね。私の存在こそが、罪。それでも! この悲嘆は静まることはない!」
「君の役目は終わったんだよ。それでも留まり続けるからこそ、人は箱舟から離れられない」
アルカに宿りすぎた、哀しくて、辛くて、切なる祈り。
タトエはそれらに込められた想いをないがしろにしたくないから、ゆっくりとアルカに、仲間たちのところに歩きだす。
膝をつけたアルカの前に立ち、いままで沈められていた光を背にした。氷と嵐に閉ざされていた世界では、見えなかったものがいま顕現している。
陰りのない純白の光を受けて、輝く橙の瞳に燃える炎。その鮮やかさにソレシカは息を呑んだ。
「君も、天使も、民も! その全てのくびきから――僕が解き放つ!」
それはなんたる傲慢な審判であると、苦痛に対する憤怒であると、大罪によって罪を裁くのかと罵られようとも、決して止まることがない。
決意による絶対の裁き。
平穏を取り戻した大地に下された、罪の消失だ。
アルカは目を赤く染めながら、ぱくぱくと口を動かして、最後の抵抗を始める。
「――。主はすべての涙を拭い去る。そこに、もはや死はなく――」
長く続くはずの言葉はタトエの断言によってかき消された。
「嘆きも叫びも苦痛も、もはやない!」
タトエの周囲にソレシカ達は立つ。
強い祈りによって暴走するアーティファクトとの、戦闘が始まった。
アルカは機敏であった。素早さに自負のあるレクィエの攻撃と、ソレシカの剣をはらい、砲撃をしかけてくる。幸いにも大掛かりなものではなかったので、カクヤが軽傷を負うにとどまった。
サレトナが仕掛けた眠りの雲は通じない。だが、その隙にとクレズニは魔法を向る。
「光輝の矢!」
命中率の高い光の矢は確実にアルカの足を射貫いた。
相手の動きを抑え込みながら、タトエは<癒しの音楽>を奏でる。
「ありがとな!」
「どういたしまして!」
回復したカクヤは愛用している機炎剣で斬りかかる。わずかな躊躇のためか、与えた傷は浅かった。
だがそのあとのソレシカとレクィエの攻撃はまた避けられる。二連撃を避けたあるかだったが、またクレズニの魔法<木の葉の刃>が確実にアルカに傷を負わせる。
「さすがだな」
「感嘆するよりも足止めしてくださいよ」
クレズニはレクィエに背中を預けながらまた魔法を練っていく。
その直後だ。
アルカが、<緋の子舞う>攻撃を仕掛けて、全員をひるませる。その抵抗によって全員が傷を負った。それでもクレズニは<光輝の矢>でアルカを穿つ。
タトエとレクィエはそれぞれ回復を請け負う。
カクヤが大ぶりの一撃を食らわせて、避けられる隙を作り出す。ソレシカはその直後に居合斬りで確実に一撃を与える戦術に変更した。
「魔法の矢!」
サレトナの一撃も飛ぶ。
すでに深い傷を負った、アルカにとどめを刺したのはソレシカだった。至近距離で居合斬りを放ち、その衝撃にアルカは倒れこんだ。
苦痛にうめいていた顔が少しずつ安らかになっていく。
「これで……これでいいのです。これで私は、やっと……」
戦闘が終わった。
ソレシカたちは短い間だが、ガイドを務めてくれたアルカにした仕打ちを思い返す。彼の親切を受けたというのに、願いを台無しにしてしまった。
それでもソレシカたちを恨まない人形の内心を知ることはない。
(……仇を討てなくて、ごめんなさい。でも、これで、ようやく……)
アルカ。アルカ。もういいんだよ。
天使様を憎まなくて、もういいんだよ。
アルカには立派な櫂があるのだから。さあ――。
――汝の裁きは下れり。
その積み荷を降ろして――!
タトエは己の審判の結果を噛み締めていた。
「………」
「ここにいたか、人の子よ」
振り返ると、そこにいるのは無表情の天使だ。タトエはへらりと笑い、言葉を返す。
「ごめんね、ウズネラ。僕の最善はこれだったよ」
「私は言ったぞ。人の子。お前の判断こそが神の判断。……間違うことはないと」
二人が見下ろすタルターシュの丘の果てには、見るも無残に崩落した箱舟があった。
突然の聖遺物の崩壊に、民はひどく狼狽え、おそれおののいた。
――だが、一人も死んではいなかった。
「見るがいい。これがお前の裁きだ。……お前は誰も殺さなかった。私が超えられなかった一を、お前は零で超えてみせたのだ。そうだろう、箱舟」
ウズネラとタトエが振り向いた先には、レクィエに応急処置を受けていたアルカがいる。その周りではサレトナが今回に関わった道具たちを検めていた。他の仲間たちは思い思いに休憩を取っている。
腕に包帯を巻かれながらアルカは言う。
「あの。私には何が起きたのか、さっぱりなのですが……」
「アルカが思っているより、ずっとシンプルなことだ」
「タトエは今じゃなくて過去を裁いたんだよ」
ソレシカが近づき、タトエの頭にぽんと手を乗せる。相変わらずの子供にするような扱いに頬を膨らましてから、アルカに向けて話しだす。
「箱舟の話を聞いた時に思った。まだ人の心は箱舟の中に取り残されているんだって。聖遺物として大事にされている。でも贅の象徴とも妬まれる。それがその証拠じゃない」
一度、言葉を閉ざした。
いまはない箱舟。そこに宿っていたいくつもの思いは悪くないけれど、縛り付けるものなら終わらせなくてはならない。
「一番断ち切らなきゃいけないのは、憤怒でも傲慢でも贅を尽くしたことでもないよ。年月に伴う途方もない執着だよ。と、思ったんだけど、聖遺物を壊したんだよね……」
横目で崩落した箱舟を見やる。どれだけの遺産的、観光的、経済的損失を招いてしまったかを考えると申し訳なさはある。
それを軽くするためにか、カクヤは言う。
「異端審問に向かった聖職者がまさか聖遺物を壊して帰ってくるなんて……!!」
「間違いなくやばいですよ!!」
「くっ、こういう時だけしっかり組んで煽ってくる……!」
滅多に使わないであろう「やばい」という言葉を口にしたクレズニは、タトエを心底から心配してくれているのは伝わる。だがそれにしても言うタイミングというものがあるだろう。
タトエはカクヤに体当たりをしかけて追いかけっこを始めた。その様子をクレズニは、額を押さえて眺めている。
子供のように騒ぐ無音の楽団に、アルカは言葉を失くしていたが、我を取り戻した。
「し、しかし! 我々の過去の因縁を断ったとして私は箱舟の化身であって……!」
「その答えはこれね。カクヤが崩落前に持ち出したのよ」
背中にタトエをくっ付けながら、カクヤが戻ってきた。サレトナが差し出した兵隊の人形を指さす。
「これ。依り代で、形見なんだろ?」
「……ああ。……ああ! よかった……これは、これだけは……」
「うん。思い出の品は一番大事なものだけ意地でも守ればいいと思うぜ」
ぽかすか背中を叩いていたが、タトエは今度は自分の手を叩く。
「……! ああ、そうだ。アレも持ってきたんだった」
「あっ、銀の櫂……」
「審判の時から手放すタイミングを逸しちゃって」
えへへ、と浮かんだ笑顔の後に銀の櫂は斜光を受けてきらめいた。
「あー……箱舟がないなら、ただの手鏡、なのか?」
ウズネラが説明する。
「鏡に見えるがそれは集光や反射を自在に行う魔術の品だ。古くは聖印を壁にしるし、時としてまことの姿を暴くことにも用いられた」
「お持ちください。私と形見を救ってくださった、せめてものお礼に」
アルカに差し出したが、返される。タトエはしばらく銀の櫂を眺めてから、そっとしまった。
「ありがたくもらうね。……アルカとウズネラはこれからどうするの?」
「天の扉は開かれなかった。私はそれを探しに行く。これもまた、神のご意思だろう」
「どうしましょう。外に出たことがなくて、何をしていいやら……」
正反対に悩んでいるウズネラとアルカを交互に見る。
次に、カクヤとクレズニに、まるで子猫を拾いましたと言わんばかりの可愛らしい表情でタトエは言うのだった。
「二人とも一緒に来ない?」
「正気ですか」
「仮にもアーティファクトと天使」
クレズニとサレトナから同時に入ったツッコミに対して、堂々と胸を張る。
「主の前では平等だよ」
「ふむ。共に天への道を模索するか。これもまた、神の思し召しだろう」
「よろしいのですか? それなら、心強いですが……」
すでに乗り気になっている天使とアーティファクトを放っておくわけにもいかない。
レクィエがいつもの通り建設的な提案をする。
「ひとまず最寄りの宿に戻ろう。話はそれからだ」
すでに日が沈み、暗くなり始めた道を歩きながら、にぎやかに無音の楽団は進む。
「あっ。……それなら。ウズネラとアルカ、異端審問の報告書の手伝いをお願いしていいかな……」
「もちろんです。何をまとめますか?」
「報告書とは何だ? 私が赴けば問題なかろう」
「い、いえ……。人はそうはいかなくて……」
相手が天使であるからか、猫をかぶって接するサレトナにレクィエが笑い、はたかれ、クレズニに泣きつくふりをすする。
カクヤはそれを眺めながらアルカの容態を尋ねていた。
ソレシカはタトエの隣を離れない。タトエはそれに苦笑しながら、新しい未来に向かって顔を上げた。
「主よ。我らをお守りください。願わくば、永く永く。百万の太陽と月が昇り、沈む時まで、どうか」
「我らあなたより造られたもの。あなたより生まれ、あなたに還るもの。どうか我らを正しくお導きください」
それでも、未来を選ぶのは人だ。
END No.3-2 「過去は水へ」
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