夏のクリスマス

お借りしました。
三冠夏さん(@moru0101

 志乃川古蝶の家に出てくるクリスマスケーキは薔薇のケーキと決まっていた。
 どういった謂われでそのケーキになったのかはわからない。ただ、家の近くにある店で特注されたラズベリーと薔薇のジュレで覆われた苺のクリームによってスポンジが装われるケーキを毎年食べていた。
 それも、六年前のことになる。十八を過ぎてからは家でケーキを食べなくなった。
 だから下緒院の職場で、三冠夏にクリスマスケーキについてを聞くときは少しばかり緊張した。
「夏さんは、クリスマスケーキだとどういったものがお好きなんですか?」
 書類を回覧するときに一緒に言葉を渡すと、夏は青い目をぱちくりと見開いた。それから口元に指を当てる。
「クリスマスケーキ……あの、白くて丸いショートケーキ以外にもあるのか?」
「ええ。昔からですとバタークリームにショコラにブッシュド・ノエル。最近は流行のピスタチオから和風なものまで色々とありますよ」
 せっかく婚約者として過ごす初めての夜なのだから、宝物になるとっておきの一つを選びたいと考えていたところだというのに夏は難しい顔をしている。腕を組んで眉を寄せていた。すでに見慣れたその表情から、また何か拗らせた思い出を頭に浮かべているらしい。
 古蝶は手に持っていたファイルを机の上に戻してから、空いている椅子に座って夏と向かい合った。
「クリスマスもお嫌いですか?」
「というか、祝ったことがない」
「まあ刀遣いとクリスマスは縁遠いでしょうからね」
 たいてい年末は刀遣いが激務で倒れる季節だとは知っている。古蝶だって、以前にバディである桜之門鎮魂之太刀と一緒にサンタクロースの妖魔が出るという事件で被害者の介護に駆け回った記憶があった。
「でも、意外ですね。夏さんのお家は仲よさそうですのに」
「悪くはないが、ほのぼのとした家とも言えないからな」
「でしたら、ほのぼのしてみましょうか」
 夏が顔を上げる。古蝶はいたずらっ気のある表情を浮かべながら言う。
「私と夏さんのご家族でクリスマスパーティしてみませんか?」
「それは良い提案だが、期待に沿えそうもない」
 困ったように笑われてはそれ以上の無理強いもできなかった。古蝶は「そうですか」と軽く答えて自分の席に戻ろうとする。その手を引かれた。
「待ってくれ。貴女と過ごしたくないわけではない。むしろ反対で、二人きりで過ごしたいと……」
「あら」
「だから、予約したんだ。十二月二十四日の土曜日にホテルで一緒に食事をしよう」
 以前の緊張の破片を残しつつも、スマートに誘われた。それでも夏の表情には拭いきれない不安の陰があるため、それを吹き飛ばすように古蝶は微笑んだ。
「そのホテルにケーキはありますか?」
「もちろんだよ」
 今年のクリスマスイブは例年よりも和やかに、華やかになりそうだった。


 偶然なのだろうが、クリスマスである十二月二十五日は日曜日だった。
 例年よりも寒さは厳しいが、都会では雪の踊るホワイトクリスマスとはいかないようでいまは午後二時らしいよく晴れた空だった。
 夏と古蝶は近くの駅で待ち合わせをしている。往来する人も多く、たまに波に呑まれそうになりながらも柱の近くで目印の青い小さな鞄を手にして待っていると、紺色のジャケットに黒いズボンの夏が走ってくる。古蝶は片手を上げた。
「すまない。遅くなった」
「そうでもないですよ。街を見ているだけで楽しいですから」
 白と赤の光を中心に光で飾られた街並みは見て歩くだけで気分が高揚する。すでに葉を落として寂しくなった街路樹に青や緑の実をつければタイミングに合わせて何度も自身を輝かせていた。冬でも花を咲かすことはできる。
 古蝶は夏の右腕に左腕を回して歩き出す。その呼吸はすでに慣れたものだった。
 夏と出会ってから、両の指では数え切れないほどの時間を過ごしていった。そして、これからも過ごしていく。積み重ねていく。
 それは当たり前のようだけれど、きっと当然ではないことだから。いまも大切にして歩いていく。
 夏はエスカレーターに乗って駅付近のビルから出ると、坂を上っていった。その途中にまたホテルやレストランが並ぶ複合施設がある。金褐色に彩られた細長い箱の建築物だ。その中に入っていく。フロアマンに案内されて、エレベーターに乗った。
 上昇していくと、三十七階にまでたどり着く。立派な高層建築で、りんと音が鳴って止まったエレベーターから降りると、全面が窓に覆われているラウンジに出た。円形に沿って部屋は作られていて、真正面からは華々しく彩られた街が見下ろせる。その窓にカウンターと、テーブルが設置されていた。
 あらすごい。
 古蝶は素直に感嘆した。
「ご予約の三冠夏様と、志乃川古蝶様ですね。どうぞこちらに」
 柔和な物腰で案内されたのは、右側にある四人がけのテーブル席だ。すでに青いテーブルクロスが敷かれている。それぞれ座り、準備を待った。
 窓の外を見ると刷毛で迷いなく塗り重ねたクリアブルーの空が遠くまで広がり、雲の衣が時折過ぎていく。高層建築特有の空への近づき方で見ていて楽しめる。
 夏自身は自分の不器用さを忌々しく思っている節があるが、プロポーズされたときの店といい、当たりを引く才能はある。だが、それは正確には正解を見つけるこだわりなのかも知れなかった。偶然に入った店が良い雰囲気だったと言うよりも、綿密に下調べをして過不足ない店を見つける。そこまでしてくれることが古蝶には嬉しくもあり、もう少しだけ肩の力を抜いてもいいと思わずにいられなかった。
 店員が再び近づいてくる。
「お飲み物は何にいたしますか?」
 そうして開かれたメニュー表を見るが、ソフトドリンクはともかくカクテルやワインの値段は気軽に何杯も乾かせるものではなかった。
「ダージリンの紅茶でお願いします。夏さんは?」
「あ。えっと」
「こちらの方はコーヒーでお願いします」
 さらりと古蝶が決めてしまうと店員は一礼をして去っていく。
「……慣れているのか?」
「テーブルマナー程度には。そんな毎日パーティをするほど裕福な家には育っていませんよ。さて、食事は何が来るでしょうか」
「貴女はいつも俺の先を行ってしまうな」
 ぽつん、と落ちた言葉の空虚な響きに手が止まる。
 以前に聞いた、刀遣いとしての道を極めるために夏は多くのものをとりこぼしてきたという。それは寂しくて、とても贅沢なことに古蝶には見えていた。だけれどいまの夏は自分の手が捨ててきたものを、振り払ってきたものの重要性に気付いている。だったらそれで十分だ。
「私が先を行っているのなら、待ちますから。一緒にこの先を歩きましょう。私は今日を楽しみにしていたんですよ」
 夏は強い。高いところにいるから、見えないものがある。
 ならばそれを下ろすのは自分の役目だと自惚れではなく思えるから。
「ケーキ、なんでしょうね」
「二人用だからホールではないんだ。いくつか取り分けられているが、日替わりで詳細は伏せられていた。ああ、アレルギーは書いておいたから」
「ありがとうございます」
 そうして準備が進められていく。先に飲み物が置かれ、上質な茶葉とコーヒー豆を味わった頃に、籠のような入れ物の中にあるケーキが運ばれてきた。
 三つ並べられている。
 左から、黄色、赤、白のクリームが飾られていた。黄色いケーキは片手で円を作る程度の大きさに丸く、赤いケーキは澄ました長方形で、白いケーキは几帳面な正方形だ。
 店員が説明する。黄色のケーキは柚子のクリームを使用した酸味が特徴の爽やかなケーキで、赤いケーキはフランボワージュのジュレで飾られている。中心に乗せられたベリーが正座しているようで愛らしい。白のケーキは王道のショートケーキだが、苺の置かれ方と並べ方が白雪姫のように整っている。
 柚子、と聞いたときに夏の表情が一瞬だけ曇ったが、古蝶はもう気にしなかった。
「いただきます」
「いただきます」
 進められた通りに左からフォークを進めていく。ためらいがちだった夏も、ケーキを口 にすると目を少し見開いた。
「美味い、な」
「ええ。美味しいです」
 口の中で溶けていくと表現することが適切な甘いクリームの味わいに、古蝶も微笑んでしまう。
「私の家、ずっとクリスマスは薔薇のケーキだったんです。でも、これからは夏さんと違うケーキを沢山食べていくのですね」
「ああ……そうだな。でも、やっぱり柚子のケーキは勘弁だ」
 夏はその点については頑なにゆずらないのだった。



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