ディアの言葉に秘められた

 年の瀬がひたひたと近づき、足下にある時の砂をさらっていく。
 それは十月の初めにあったソレシカの誕生日をほったらかしにして二ヶ月の月日がすでに経ったということを示していた。
 そのことに罪悪感と申し訳なさを抱きつつも日常の舵取りや仕事に追われていた無音の楽団は、久しぶりの休日になって、放置していた仲間の誕生日という難題について頬に手を添えながら考えてしまう。仲間として不義理を働き過ぎた。
 今日はご婦人方の買い物の付き合いという依頼で出かけているため、議題の主役であるソレシカだけがいない。だから、カクヤ、サレトナ、タトエ、クレズニとレクィエは食堂のテーブルに着きながら重苦しい沈黙を保っていた。
「どうしようか」
 タトエが圧迫する空気を払いのけて、軽く言った。
「どうもしないだろ」
「いや。この扱いは流石に胸が痛い」
 レクィエの投げやりをカクヤが受け止める。そのまま静かに床に置いた。
 すでにソレシカ当人には、誕生日がその周辺で祝えそうにないと伝えていた。申し訳なく。恥ずかしく。それに対する返答は「べつにいいさ」とあっさりとしたものだった。
 とても寂しげな様子で。
 だとしても、九月の終わりから無音の楽団には長期の護衛依頼が入っており、その件が終わってからも各々が忙しかった。年末に向けて加速する仕事の準備や収穫祭の手伝い、街に三つある学校による祭への出張など、この瞬間まで息つく間もなかったというのが、全員の本音だ。ソレシカも最初の返答をした時以外は祝福をされなかったことによる寂しさを欠片も見せなかったため、誕生日を気にしつつも祝う機会を逃し続けてきた。
 逃走を続けていた祝福の尻尾をようやくつかまえられる機が巡ってきて、今度はどのように挽回するかが鍵となる。
「プレゼント?」
 サレトナがまっとうな提案をする。
「そうすることは一番誠実であり、対応も早いでしょうね」
 物を贈ることにより誠意を示すのは古来からの方法ということで、即座に採決された。
 ならば、何を贈るのか。
 それが意外にも浮かばなかった。
 ソレシカは身なりも振る舞いも派手だが、そこまで物持ちにこだわる男ではない。さらに無音の楽団の中では顔も良ければ腕も立つということにより、主にご婦人方の護衛を依頼される数も群を抜き続けている。金や物に困っているという話など聞いたことがない。もとより、東方の豪商の家を生家としている。
「タトエが渡したら紙でも喜ぶだろ」
「石ではないだけまだいいですね」
 レクィエはまたも素っ気なく言い、引き継いだのはクレズニだった。
 前にあった依頼で、愛しい人の手によって贈られたものなら路傍の石でも一生の宝物にするという令嬢がいたことにより、人の価値観の多様性について考えさせられたことがあった。確かに大切な人から贈られたのならば、道に落ちている石であろうともその人の思いがこもっていると感慨深くなることもあるだろう。物の価値は人と意味によって変わる。
 その話を思い出しているのか、ふむ、とタトエが考える。
「それかな」
「本当に紙を贈るの?」
「紙は紙でも、手紙だよ。日頃のソレシカへの感謝の気持ちを伝えてみよう」
「えー」
 不満の声を、それほどやる気なく上げたのはやはりレクィエだった。碧の盗賊は紅い斧使いと相性が悪い。普段は誰とでもそつなく上手くやっているレクィエだというのに、快くない感情をあからさまにするのはソレシカが相手の時だけだ。それほど気を許してもいるのだろうが、本人に聞いたら即座に否定される。
 タトエはそれがわかっているため、レクィエの反対も気に留めなかった。案外、字にするのが恥ずかしいだけだろう。そういったところは繊細な青年だ。
「いやなら物を贈ってもいいよ」
「じゃあそうする。クレズニ、行こうぜ」
「わかりました」
 ソレシカへの贈り物はこのようにして手紙班と物班に分かれていった。


 十二月に足を踏み入れて三日が経った。
 今日は土曜日で幸いにも突発的な依頼も舞い込まずに済んでいる。タトエもそのことをカクヤに確認したが、頼もしく頷かれた。
 朝のあいだにソレシカへのプレゼントを仕込み終える。いつの間にかソレシカの誕生日を祝う計画の主格となっているタトエをはじめとした全員は、普段からよく利用している喫茶「青いカモノハシ亭」で待ち合わせをした。ただソレシカには、待ち合わせの時間を少しだけ遅く伝えている。
 店主による特製ケーキを間に合わせるためだ。無音の楽団も宿で喫茶を運営しているだけ合って料理は達者な方だが、本職には敵わない。青のカモノハシ亭の主人によるケーキはまろやかでコクがあり、寂しい甘さを残してくれる。
 いま幹事となっているタトエは店主と話をしていた。そのあいだに、サレトナはレクィエの足下にある物について尋ねる。
「兄さんとレクィエは何をプレゼントに選んだの?」
 随分と大きな箱だ。底面は足のあいだ、高さはふくらはぎくらいまであり、白い包装紙を目に眩い赤いリボンで結んでいる。材質と中身によっては随分と値が張っただろう。
 レクィエはからからとマドラーでコーヒーカップをかき混ぜている。ミルクの溶け具合が気になるようだ。
「まあ適当に」
 本当に適当であることがうかがえる調子だった。サレトナはまだ箱の中身が気になっていたが、動いたりはしないので危険は無いと自身を納得させることにした。いまに至って危険物を用意することはクレズニが許さないだろう。
 タトエが戻ってくる。店主はケーキを無事に完成させたと聞いたところで、からんからんと来訪を告げる鐘が鳴った。
「なんだ。皆、もういたのかよ」
「「「「「ソレシカ、誕生日ごめんなさい」
 こういった時に互いに生まれる、言葉にできない故の沈黙を大抵の人はどのように呼ぶのだろうか。驚きか、怒りか、呆れているだけなのか。戸惑いを含むのも良いかもしれないが、いま確かなのはようやく祝う側のもどかしさと祝われる側のわだかまりが音を立てて溶けていくようになくなった。
 また、全員が無音の楽団という仲間たちに戻れた安堵によって落ち着いていく。
 だからソレシカは苦笑しながらも、タトエとクレズニの間に空いている椅子に座る。その表情の晴れやかさは見ていて和やかになるものだった。
「おめでとうじゃないんだな」
「いや。まずは遅くなったから、本当にごめん。そしておめでとう」
「祝ってもらえるだけいいさ」
 ソレシカがそう言ったのは、ただの返しではない。
 食事も同席する仲間たちが減っていき、洗濯の瞬間もかちあうくらいに全員が忙しいことはソレシカも当然知っていた。そのようになると自分の誕生日を祝うことなど、どうでもいいのではなどと自棄になるのではなく放っておけた。理由があってできないことがあるのならば仕方が無い。人には、すべき時とできる時の巡りがあり、いくらやりたいと願っていてもできないことがある。眠っている時に舞踏することが不可能なように。
 だから、気にしなかった。全員が元気であれば結構だった。
 それでも無音の楽団という仲間たちは、いくら遅れようともソレシカの誕生日を祝おうとした。そうしていま、実行してくれている。
 そのことがソレシカには嬉しかった。
「で、何をくれるんだ?」
 期待を隠さない笑みと共に言われたら悪い気はしないので、タトエは鞄から三つの封筒を取り出した。
「はい。僕たちからのメッセージ」
「家宝にする」
「普通に引くな」
 一瞬の躊躇もなく言い切られた内容に淡々と言ったのは、レクィエだ。その冷淡さとは反対の調子でソレシカは熱弁する。
「想像してみろ。俺とタトエの仲睦まじい家庭に二人の軌跡を象徴する手紙が飾られているんだぞ。訪れた客はそれを見る度に『これはなんですかな』『いや、過去にですね』といったところから話が始まるんだ」
「やめてよ、昼間から幻覚を見るの」
「大丈夫か? 何かやっているのか?」
「違法な薬物は使わないでねって言ったじゃない」
 次々と出てくるタトエ、カクヤとサレトナの辛辣な優しい言葉たちの弾丸は、ソレシカの心を的確に撃ち貫いていった。
「信用のかけらもないんだな」
 そういったことではないのだが、話された内容は素直に受け止めようとしても、その前に正気を疑うという段階を挟まずにはいられなかった。タトエとソレシカが仲睦まじい家庭を築くなど、誰も信じない。いつかはそういう可能性が生まれることまでは否定しないが、今の段階ではソレシカがひたすらに一方通行の思いを寄せているだけだ。
 ソレシカは妄言を止めて、白い封筒から手紙を広げる。最初に出てきたのはスカイブルーの便箋だった。
『ソレシカへ
 いつだって元気でいてくれて、仲間たちが落ち込みそうなときも励ましてくれるから頼りにしている。
 俺はリーダーだから、サレトナ以外に肩入れはできないけれどいつも見守っているからな。これからも元気でいてくれ』
「温かい死亡フラグみたいな内容だな」
「カクヤは死なないわよ!」
 素直な感想に跳んできた怒りを片手で抑えこみながら、ソレシカは次の封筒を開く。今度はペパーミントの便箋だ。
『ソレシカ様へ
 冬霜の音響く頃、ご健勝でいられますか。
 日頃から無音の楽団でのご活躍を拝聴し、誠に嬉しく存じています。
 さて、成人を目前にしての誕生日ですが、どういった気持ちでお過ごしでしょうか。喜ばしく感じてくださればこちらも幸いです。
 これからのご活躍もお祈りしています』
「企業からの手紙?」
 あまりの丁寧さしか感じられない内容にはその一言しか浮かばなかった。手紙を書いたらしきサレトナは、うつむいて頬を赤くしている。
「どうせ手紙を書く友人なんていなかったわよ」
「いたでしょう」
「うるさい!」
 クレズニの言う通りなのだが、サレトナは妙に気合いを入れすぎて空回ったようだ。
 ソレシカは最後の一通、おそらくタトエからの手紙を開こうとするが、その前にタトエの足下にある箱を見やる。
「これは何だよ」
「開ければわかるさ」
 もっともでしかないことを言われて、ソレシカは箱のリボンを解いていく。開ける。
 階段。
「なにゆえ?」
 よく見なくとも、それは中央に穴が空いているので、ブックシェルフとして使えるのだろうが、一見すると全体が赤輝している主張の強い階段だった。
「レクィエが意味はないけれど捨てられない物を贈りたいと」
「止めろよ」
「まあまあ、カクヤ。部屋の飾りにはいいんじゃないかな。場所を取るけど」
「でも、それいるの?」
 ソレシカはごんごんと階段らしきものを叩く。音は思っていたよりも軽く響いた。
「コーサイトって無意味にいい材料を使ってんな。これ、部屋の飾りの階段としてはあれだけど他に流用していいか?」
「プレゼントだ。好きにしろ」
 素っ気ないレクィエの言葉によって、ソレシカは受け取ることを決めたらしい。その様子を見ていたサレトナは一種のツンデレの一つかと思わずにはいられなかった。相手を喜ばせはしないにせよ、完全に無意味ではない物を贈るということにより、祝いを示すという不器用に感心してしまう。
「純粋ないやがらせだろ」
 心を読んだようにカクヤに言われた。
「聞こえてんよ」
 短い幕間が挟まれたが、ソレシカにとって一番重要なタトエの手紙に行きつく。緊張で指先を震わせることはないが、口元を引き結びながら、ソレシカは封筒を開けた。
 ライトオレンジの便箋だった。
『いつも扱いが悪くてごめんね。まあ無理に止める必要もなさそうだけど。
 そして、もう一つだけごめん。僕はきっと永遠に君の気持ちには応えられない。だけど君といる時間は楽しいし、これからも良き友でありたい。
 ディア ソレシカ
 君にいつか僕以外の幸福が訪れんことを』
 手紙を閉じる。
 そして、ソレシカはテーブルに肘をついてその上に組んだ手の上に額を置いて、長く長い息を吐いた。
「な、何が書かれてたの?」
「愛の言葉」
 全員がタトエを見るが「そんなわけはないだろう」という冷めた顔でゆっくりと首を横に振られた。だが、ソレシカの勢いは治まらない。
「ディア、だぞ。ディア! それだけで俺はこの手紙を一生手放さない!」
「幸せな人だなあ」
 手紙を丁寧にたたみながらも力説するソレシカに予想外の反応を見せられたタトエの返答はつれなかった。だがそれはいつものことだ。
 全員の手紙を読み終えて、プレゼントも贈った。
 最後に出てきた店主特製のオペラを全員に切り分けてもらってから、無音の楽団はグラスを手にする。
「ソレシカ、誕生日おめでとう!」
「ああ!」
 呼応の声がちりんとグラスの鳴る音に重なって、響く。
 いまから始まるのは、華やかなる無音の調べだ。




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