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三冠夏さん(@moru0101)
古蝶はそうして、夏の話を聞き終えた。
小さな夏の抱えていた不安も分かる。怯えもわかる。それでも、それだからこそ強くなっていったことに敬意も払える。
だけれど、父母の愛を従兄弟に取られないか不安になるあまり全てを断絶するというのは、極端だ。夏の両親はきっと、期待に応えられないなどといって冷たい態度を取ることはしないで愛情を注いでくれていたというのに。
いつまでも小さな、同じことを繰り返そうとしている子どもがいる。竹刀を抱えて泣いている幼い幻影が見えるようだった。
「夏さん。どの結論が最適なのかはわかりません。だから、言います」
一度切ってから、言った。
「刀遣いをお休みしましょう」
三冠夏のアイデンティティーを崩してはいけない。だけれど、いまのまま刀遣いを続けていても良くはならない。
夏は一瞬、目を閉じる。
「はい」
そうして笑った。
違うのに、と古蝶は焦る。ここで自分の意見を通すのではなくて、夏がしたいことを見つけなくてはならない。
「あの。夏さん。刀遣いはあくまでお休みですからね? それと、剣道場を開くのもいいと言いましたけど、もう少し、そういうことから離れてもいいんじゃないかしらって」
「たとえば」
「……お店で働く、とか? きついですよ? 刀で斬りたくなるようなお客さんにも笑顔で優しく接しなくてはいけないんですから。……でも、私たちは、もっと外で生きることが必要だと思うんです」
自分と夏の世界はあまりにも狭かった。そのまま突き進めるのならば良いだろうが、いづれ二人では歩けないほど道のない道に行き当たる気がした。
可能性を広げること。世界の広さを知ること。
それが、いまの夏と古蝶には必要なことだと思えた。
「刀遣いでなくても生きていける。三冠夏にとってはもっと、刀を振るう以外にもできることがある。まずはそれを知らなくてはいけないんです。私は、夏さんのお話を聞いてそう思いました。夏さんは、どうします?」
向かい合って尋ねる。手は繋がない。いまはまだ繋ぐ時ではない。
夏は黙り、うつむき、唇を噛んだ。戦場では決して見せないであろう姿で、幼い夏がいくらも繰り返してきたことだ。
「それは、怖い」
「でしょうね。でも、沢山の人がそうしているんです。夏さんの守ってきた、沢山の人たちはそうして生きてきているんです。まずはそれを知ることから始めましょう。大丈夫ですよ」
古蝶は夏の手を取った。
「私がいますから」
これから取らなくてはならない手続きや、そもそも有給とか、傷病手当とかが天照から出るのかしらなど、考えることは沢山ある。
だけれどこれ以上、強くなることに追い込まれて傷つく夏は見たくなかった。
そして、自分もまた志乃川の家から離れられる時が来るとは思わなかった。
でも、そうする。いつか帰ってくるかもしれないが、いまはこの世界と別れを告げる。
一見すると、刀を振るって妖魔を倒すなどといった行為を続けるのは、終わらないアクション映画のように格好良いことなのかもしれないが、それもまた地獄だ。
傷つけることによって傷つかない人間などいない。優しければ、優しいほど。
夏がそっと、背中を包み込んでくる。古蝶もまた夏の背に手を回した。見上げた瞳は潤んでいて、彼がずっと抱えてきた弱さを愛おしく思う。
二つの影が一つになる。
「あ、夏さん。ここみたいですよ」
「ここか……思っていたより新しいな」
「まあ不浄なものを嫌う志乃川家が斡旋した場所ですからね。しばらくどこか遠くでほとぼりを冷ませ、とは言われましたし。ほら、向こうには」
海がある。
夏の瞳と、古蝶の髪と同じ色をした、希望の色だ。
「さて、ここから何を始めましょうか?」
悪戯っぽく笑う古蝶の左手の薬指が、陽光に当たって、青色にきらめいた。
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