プロポーズアンサー

借りしました。
 三冠夏さん(@moru0101



 やっぱりこの人二枚目よね。
 いけめん、とかそういうのじゃないの。二枚目なの。物語の主人公ではなくて、助けてもらいたい、どうしようもない時に呼んでもいないのに勝手に来てくれる、怒ってくれる、優しい人。
 私の好みそのものじゃない。
 志乃川古蝶は三冠夏にホワイトデー、いわゆる三月十四日の夜に誘われて訪れた料亭で、海老の天ぷらを「あら美味しい」「そうですね」という会話を交わしつつ食事をしながら、そんなことを思っていた。
 古蝶にとって見合い相手の三冠夏という青年は、隙がない。そういった印象が強かった。
 最初に釣書として渡された写真に映っていた、真っ直ぐ前を見つめながらも冷めた、人を頼ることを知らない瞳が気になってはいた。
 次に直接顔を合わせた時の素っ気なさ。まるでハリネズミが必要以上に棘を尖らせているみたいだったので、余計に興味を持ち、自分のバディを始めとした面白いことを落ち着いて話していくと、ふと夏の表情が緩む一瞬があった。
 ときめきが始まったのはその瞬間だろう。
 そうしてホワイトデーでチョコレートを渡し、見合いを進めながら、下緒院で同僚として異動した夏に再開したときから。
 恋は薄紅色に目覚めていた。
 古蝶はこれまで二度しか恋はしておらず、どれも想いを告げなかった。秘めたまま閉じた蕾であったが、黄色い太陽に照らされた時に、咲く時が訪れた。自分の心に素直になりたいと初めて願ってしまった。
 だから。
 夏が手配してくれた「歌論邸」の食事を楽しみながら、目の前の夏の緊張を微笑ましく眺めていた。笑いながら相槌を打ってくれるがぎこちない。
「こちらの蕎麦は山葵と合いますね。私、辛いの苦手なんですけど、こちらはとても美味しいです」
「それはよかったです」
「あ、夏さん。お寿司はお醤油をつけないなんて粋ですね」
「え、あ。あはは……」
 夏は緊張でいたたまれないだろうが、古蝶はそれでも穏やかに待っていた。夏からの言葉が何であろうとも受け取ろうと決めていた。
 だから、笑える。これほど素直に微笑むことができる。
 食事も残すは蕎麦と添え物といったところで、古蝶が下緒院に来てからの話題を振る。友人もできたのを喜んでいると、夏が手を止めた。
「……俺は基本的に他人に興味がありません」
 そうね。
 古蝶は内心で深く夏の言葉に頷いた。
 それは、強くいられるからだと。強くあることを当然とする価値観で生きた人だから持ち得る視点だ。そうでなくては一段になど到底なれはしない。
 でも、それだけの人があれほどお友達を作れるものですか。
 私という存在を気にかけてくれるものですか。
 夏の話に耳を傾け続ける。黄色い太陽が抱える熱の裏にある影は、古蝶にはひどく愛おしいものだった。焼かれてもいい。愚かな蝶として近づきたい。
 そう願ってしまう。
 話は進んでいく。
「ですが、そのときはちゃんとこういった理由で怒ったのだと、都度俺に伝えてください」「俺は貴女との関係を大切にしていきたいです」
 そして、不器用な震える指で鞄から小さなベルベットの箱を取り出す。力を加えたら砕ける砂糖菓子を扱う手つきで、箱を開けた。
 ダイヤモンドに繊細なカットを幾重にも施した、蝶をあしらった指輪が古蝶の目の前で止まっていた。
「あ、いや迷惑ならいいんだ!」
「だが、そのめ、迷惑でないのなら受け取ってもらえると嬉しいのだが……どうだろうか……」
 普段は人の痛いところを暴きそうなほどに強い瞳だというのに。いまは伏せてまで、必死になって、自分を必要だと言ってくれる。
 ああ。
 この人は、本当に。どうしようもないほど鈍感ね。
 古蝶は震えたまま指輪を差し出す夏の指先に、そっと触れた。
「夏さん。顔を上げて。私を見て。……じゃないと、怒らなくてはいけなくなるかな」
 はっと顔が上がる。
 いま自分がどんな表情をしているかは知らないけれど、きっと太陽が落ち込んでいたのを見つけたときにどうにかしてあげたいと願う、そんな顔でいられたらいい。
「貴方が怒っていいと言ってくれたから。私はいま怒るわね。……迷惑じゃないなら受け取ってほしい、なんて言わないで」
「じゃ、じゃあなんて言えば……!」
「簡単よ。迷惑だなんて思わせないくらいに、三冠夏はいい男だから。それだけでいいの」
「そんな恥ずかしい上に過大評価なこと言えるわけがありませんよ」
 言語道断と言い切られてまたくすくすと笑ってしまう。
 その笑いを収めると一転、笑みを消す。
「私は、夏さんが好きだから受け取りたいです」
 貴方の弱さを受け止めたい。
 貴方の恥じ入る美点を大切にしたい。
 そして、貴方の強い背中を支えていたい。
「迷惑をかけるか不安なのは、私の方ですよ。いつも私は弱くて、前を歩けなくて、誰かの後ろに立って支えるしかできない。でも、それだけはできるから。夏さん」
 小箱からダイヤモンドの蝶を飛び立たせる。
 指輪を、受け取り、そっと左手の薬指に通して胸に手を当てた。
「私と一緒に幸せだと微笑みながら歩いてください。お願いします」
 ぽかんと。
 夏は青い瞳を丸くして、それから頭を抱えだした。
 え、やだ。そんなにいやだったの。これまでを思い出して恥ずかしくなるじゃない。
 しん。と静まりかえる中で夏は呟く。
「古蝶さん。貴女は……なんというか……俺がすごく情けないじゃないか……」
「とんでもない。壱段の方が何を言いますか」
「いや。いままでで受けた一撃で一番痛かった。死ぬかと思った……ああ、もう! 古蝶さん!」
「はい!」
 背筋を伸ばすと、手をつかまれる。机を挟みながら距離が縮まった。
「俺は貴女が好きです」
「……はい」
「だから貴女も自分を卑下しないでください。俺にとって貴女は優しい人です。それだけで、傍にいてくれるだけで、俺を笑わせてくれるなんて……貴女、だけです」
 指先が熱くて溶けてしまいそうで、それなのにずっとずっと触れていたい。
 いままで知ることのなかった、大切な、愛する人に触れたときだけに生まれる胡蝶の熱。だけど貴方はそれを永遠にしてくれるだろうから。
 胡蝶は微笑んで、小さく口を動かした。
「はい。嬉しい」
 夏もいま同じ笑みを浮かべてくれていると信じられる。

 会計を済ませて料亭の外に出た。
 風が涼しい。春でまだ肌寒いはずだというのに、つないでいる指先から伝わる熱が全身を必要以上に加熱してくれる。
 言葉はなかった。
「遅くなってしまいましたね」
「ですね。すごく楽しい一日でした」
「そうですね。俺も、楽しかったです。あ。タクシー」
 夏は手を挙げて呼び止めてくれた。空車のマークがついたタクシーが近づいてくる。それでも手を離すのを名残惜しく思いながら、離れていく指先を眺めた。
「失礼します」
「え?」
 夏は古蝶の手をかいがいしく持ち上げると、指先。手の甲に唇を、二秒ほど触れさせる。決して長くはない時間なのに、荒れのない乾いた灯火が、びりびりと。
 身を灼くように走り抜けた。
 きゅっと、音が鳴る。タクシーが止まった。
「ほら、乗ってください」
「あ……はい」
 促されるまま後部座席に古蝶は座らせられて、夏は運転手に古蝶の家までの道を告げる。財布を取り出してからしまうあいだも、夏の横顔は冷静なままだ。
「それでは古蝶さん。今日はありがとうございました。また。天照で会いましょう」
 言って、夏は闇夜へ姿を消していき、熟す前の葡萄色の目に焼き付いたのは柔らかな微笑だけ。
 正直言うと、古蝶は倒れないでいる自分を誰かに褒めてもらいたかった。
 勝手に思い出して火照る頬を隠すように左手の薬指に触れる。
 そこには確かに、蝶が留まっていた。

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