君のためのエールを

 罪悪感が少しある。それは、誰が悪いといったものでもないからこそ厄介だった。
 一月六日。学校が始まった。
 いまだ寝ぼけている体と頭に活を入れながらの起床と身支度と登校を済ませて、カクヤが見たのは教室で単語帳と向き合っているサレトナだった。
 また罪悪感がじわり。腹の中心から広がっていく。
 カクヤは昨年の間に希望校への入学をすんなりと決めてしまった。ラーメン屋でねぎたまラーメンを注文して運ばれてくるくらいに流れは速かった。
 だが、恋人であるサレトナはこれからが本番だ。試験を何度も受けて結果を祈らなくてはならない。あと一ヶ月は受験の重圧から解放されない。
「おはよ」
 内心のもやを隠して声をかければ、サレトナは顔を上げて笑ってくれた。
「おはよう。今日は早いのね」
「起きるのが早かったからな。その。飲み物でもいるか?」
 首は緩やかに横に振られる。視線はまた単語帳に戻っていった。
 サレトナも自分の状況をよく分かっているようだ。付け焼き刃であっても幾枚も装備しなくてはならない、もしくは本当の実力にして余裕を手にしなくてはいけない。サレトナは決して頭が悪いのではなく、優秀だからこそ志望校は激戦区となっている。カクヤの入学が決まった大学との偏差値の違いは、見上げなくてはいけないくらいあった。
 そこに、気安く「がんばれ」や「サレトナならできるよ」などといった安易な励ましを持っていくのは躊躇われた。たかが受験、されど受験。特にサレトナはやりたいことを決めている。そのために妥協ができるはずもなかった。
 カクヤはサレトナから離れ、自分の席の椅子に鞄をかけると静かに出ていった。
 それもまた、大切な恋人を残して逃げているようで申し訳ない。戦うサレトナの傍に一番いたいのは自分だというのに。
 ホームルームまでどうしようと考え、結局は喫茶室に足を向けた。
「何してるんだ。ここで」
「ソレシカ」
 喫茶室には赤い髪が目立つ悪友がいた。チョコレートを食べている。教室では甘い香りをふりまいて目立つから、こちらに来たらしい。
 小さくパッケージされたチョコレートを差し出されたが、手を横に振った。食べる気分では無い。
 しばし、沈黙。
 カクヤは紙パックの苺ミルクを購入して、ちゅっと吸いながら黙ってソレシカの隣に腰を下ろす。ソレシカはもう一粒だけ食べて、チョコレートをしまった。
「お前はとりあえずの未来が決まっているのに、不安そうだな」
「俺はいいけどサレトナが」
「またサレトナかい」
 明らかに呆れられた。ソレシカは自分もとある少年に大変過保護でつれなくされているというのに、カクヤのサレトナへの甘さにも呆れている。
 どちらもどちらだった。
「過保護なのもいい加減にしとけよ。あいつ、プライド高いんだから」
 言われなくても分かっていることを言われたため、カクヤはつまるしかない。
 受験は受ける本人が一番がんばるしかないのはわかっているけれど。自分もそうしてきたけれど。
 それでも力になりたいとは思ってしまうじゃないか。
 反論したい気持ちはあった。とはいえ、言えない。ソレシカが正しい。
 とうのソレシカは伸びをする。気負わずにあっさりと言う。
「まあサレトナなら大丈夫だろ」
「そうだけどさ。やっぱり万に一があるじゃないか」
「万一より、万の九千九百九十九を信じてやれよ」
 正論だった。
「うぐ」
 思わず変な声を漏らし、紙パックを強く握る間にもソレシカは立ち去っていく。
 カクヤは紙パックの中身を飲み干して、教室に戻ろうとするが、その前にミルクティーを買った。あたたかいほうだ。
 教師が来るまでのあいだ、サレトナは勉強を続けていた。
 自分を見ない、その横顔。なだらかで清廉で、真っ直ぐだ。
 好きだなあと、その姿が、がんばっている姿が好きだと改めて実感してしまう。
「あら? どこに行っていたの」
「内緒。あとおみやげ」
 ミルクティーをとん、と机の上に置く。
 サレトナは笑った。
「ありがとう」
 その笑顔に、愛おしさと切なさが入り交じる感情を抱く。サレトナは、自分が思っているよりも強いのに、守ってやりたいのは我侭なのだろう。
 だけど、その我侭に素直になって言うしかできない。
「なあ、サレトナ。がんばれよ。俺はお前を信じているから」
「当然じゃない」
 がんばれ。君は君のために。



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