花園の墓守由為編第十一章第二話『由為の選択、希望を託すこと』

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「この剣を抜いたらどうなると思うの」
「新字の浸食が始まる。だから、その前にヴィオレッタの剣に全ての新字を吸収させて、この鞘に収めさせる。もう新字を生まれさせない」
「そうなると代わりに私たちが出てくるわ」
 哀れみをもって言われ、聞かねばならない疑問で跳ね返す。
「あなたは、あなたたちはなんなんだ!」
 胸に手を添えて少女は応える。
「葬られた花。花影。此岸の為にもなり損ね、彼岸の養分にもなれなかったもの。ファレン様のようになれなかった存在」
「ファレン先輩になれなかった?」
 疑問を浮かべる由為に明らかな呆れを見せながら、気怠げに花影は息を吐いた。
「あなたはそもそも此岸と彼岸のつながりを知らないのね。いいわ、決断の前の暇つぶしに教えてあげましょう」
 そうして花影は語り出していくが、由為は語られる内容についていくので精一杯だった。
 花影は花に座ったまま指を動かして、空に円を刻んでいく。奇跡などではない。変革の一種だ。
「まず、物語がある。それは分解されて新字と化して、新字は此岸に運ばれていく。此岸で新字はさんざん利用されて現字になり、古字という廃棄物に変わり、廃棄物は此岸の端と繋がっている彼岸の花園へ運ばれる。古字は花園の養分へと変わりはて、また新たなる物語を再生していく。これが此岸と彼岸の循環の環よ。だけど全ての字が物語に昇華されることはなくて、そうならなかったものたちがここに残る。それが私たち。現し身を持たない、此岸や彼岸で形を持つことに焦がれるものたち。叶わないならせめて花園を生かす力になりたかったものたち」
「あなたたちは此岸に現れたいから。いま此岸にいる人たちを浸食して体を奪い取ろうとしている、ということかな」
「違うわ。入れ替わるのは新字。私たちは、新字たちに抑止させられている世界の影。字にすらなれなかったもの」
「新字には意思があるのか?」
「そんな明確なものではないわ。決められた働きのため、入れ替わろうとしているの」
 由為は言葉を止めることにした。
新字といま目の前にいる少女は異なる存在のようだ。会話の節々から、新字と少女は敵対関係にあるようだと読み取れるが、どちらもいま生きている人たちを脅かしているのは変わらない。
「俺はやっぱり剣を抜くよ。全ての滅びは鞘におさめる」
「そうしたら私たちが出ると言っているでしょう。結果はどうなると思うの?」
 急に提示された情報に戸惑いながら考えた。
 新字が収まると、目の前の花影と呼ばれる存在が出てくる。どうしてだ。新字を全て収めるのならば、花影たちも封じられるはずだ。
 由為の疑問を読んだように花影は話す。
「言っておくけれど私たちは字ではないわ。だから新字を封じてくれるなら好都合。代わりに滅んでいない世界でゆっくりじっくり、現し身を作れるの」
 混乱する頭を必死になって制御する。
 ヴィオレッタの剣を収めたら新字は此岸に流出することはなくなる。だが、代わりに目の前の花影が出てくるという。ならこのまま帰ればいいのか。新字が世界を侵していくのを止めないまま、彼岸に戻ることができるというのか。
 由為は改めて自分に問う。何のためにここまで来た。世界の滅びを止めるためだ。つまりは、いまの日常が続くことを願っている。
 それが儚い望みと本当は知っていたのに。
「字を封じて、あなたたちにもここにいてもらうことは、俺たちにとって都合が良すぎる話になるのか」
「そう。私たちはずっと待っていたわ。世界の循環を止めて、私たちを解放してくれる人たちが再び訪れることを。だからもう逃がさない」
 少女の目はひどく醒めていて感慨も感情もないのだが、貴海の覚悟に相当するほどの決意があった。手に落ちた獲物は逃がさない。それが、もしかすると最初にヴィオレッタの剣を刺した青年の可能性もあった。だから彼は物語に託した。
 由為は悟る。すでに逃げ場はなくて、いまさら誰に助けを乞うこともできやしない。此岸と彼岸の運命はいま自分の手の中にあってそれはなんて重いのだろう。
 長く、息を吐く。ふうっという音が耳に届いて消えていくが、心は落ち着いていた。
これからどうなるかは分からないけれど、いまやるべきことは決まっている。
「わかった。剣は抜くし、鞘に収める。ただ条件をつけさせてくれないかな」
「どうぞ」
「此岸にも彼岸にも頼れる人たちがいる。その人たちと話しあって、あなたたちもどう共に生きるか決めてもらえないか」
「話しあって、私たちかあなたたち。どちらしか存在できないと決まったらどうするの。あなたの願いも行動も全て無為になるわよ」
「かまわない」
 揺らがない花影の目を見据え、言いきった。
 いまここで由為ができることは新字を収めることしかない。自分は無力だから貴海に、衛に、きさらに、七日に、あらゆる此岸の人に未来を託すことだけが許されている。
 道をつないでくれると信じられる人たちがいるから。
 自分のできる由を為す。
 その答えに思い至り、自分の名前を由為と名付けてくれた父母に深く感謝した。
 由為はまた剣の柄を握る。触れるだけで生きるのに必要な力が吸い取られていくのを感じるが、ためらわずに少しずつ抜いていった。紫の剣が姿を現わしていく。模造品よりも透明で美しく、同時に残酷だった。
由為は無表情のままいまだ見下ろしている花影を見上げた。
自分だってまだまだ無力な存在だが、それ以上に現実に抗えない人たちがいる。その事実は純粋に悲しくて世界のままならなさに膝をつきそうになるけれど、いまはまだ諦める時ではない。
目の前の少女もただ生きたいだけなのだ。
「花影さん。大丈夫だよ。あなたたちも、俺の大切な人たちも一緒に生きていくことはできるから」
 自然と笑いかけると花影は初めて表情を変えた。理解できないと、困惑と侮蔑が可憐な少女の顔を彩っていく。
 由為は剣の先の先までを抜き終える。右手で高くヴィオレッタの剣を掲げると声の届く限り叫んだ。自分の懇願が届かないところなど、ないと傲慢に見えるほど堂々と声を上げる。
「新字よ! 俺の名は由為。いまここで変革を為そうとする、ある意味では世界を害する罪悪だ。罰を承知で希う。全ての字はここへ集い、少しのあいだ眠りについて、どうか和解の道を探ることを許してもらいたい。世界の滅びを防ぐ方法が見つかるまで、どうか!
……どうか!」
 自分の願いのままにヴィオレッタの剣を変革させていく。莫大な、到底一人では処理できるはずもない字が惹き寄せられて吸い込まれていき、剣の文字と絡み合っていく。その衝撃は言葉で例えられるものではなかった。圧され、押され、潰されそうだ。耐えきれない脆弱な体の先端にはひびが入っていき、由為の儚い肉体までも食らおうとしている。
 だからなんだ。
 苦しくて辛いけれど逃げたくはないから歯を食いしばり、耐えていると誰かの手が添えられた。ファレンかと思ったが、違う。とても近いけれどいま触れている誰かの手にはファレンほどの全てを受容する光はなかった。
 力が抜けて、由為はゆっくりと、剣を下ろしていく。いまだ字の吸収は止まっていない。明滅する透明な紫の剣を見つめながら、震える手で近くに置かれた鞘を掴む。鞘を、支えて剣の先を入れる。うまくいかない。押し寄せる字はすでに膨大な物語を紡ごうとしている。
 花影は眺めていた。頬杖をつきながら手助けのそぶりも見せずに、由為の抗いをそれしか見るものがない程度の興味で、けれど見ている。
 新字の源の左右を仕切る字たちは緩やかに揺れていた。いまは荒れ狂っていたのが嘘のように穏やかさを取りもどしていき。
 由為は剣を鞘に収めた。
 同時に、花影が花の上から服を膨らませるようにして下りてくる。剣を支えにしながらも立ち上がれない由為の前に立った。
「あなたは確かに、世界が滅びるのを食い止めたわ」
「っは、あぁ……はぁ……」
「だけど、次は私たちが現れる。彼岸の管理者たちは本当の役目を知ることになる。ここに閉じ込められながらあなたは、恨まれるでしょうね。いまどんな気分?」
「空が、みたい……かなぁ……」
 向けられた力のない、確かにやりきった笑顔に花影は冷たい視線を投げかけてから歩き出す。
 その後ろに黒い影がいくつも、いくつも生まれては付き従っていた。隠れ棲んでいたものたちが待ち望んでいた行進だ。静かな興奮を感じさせながらも、影は遠ざかって見えなくなる。
 由為はかすんだ目でもう一つの存在を見送ってから倒れた。剣は離さないが立ち上がる気力もない。帰らなくてはならないと分かっているのに体が動かない。
 いってらっしゃいと言われたのに。
 七日が彼岸で待っているのに。
 体を大きく三つに分けられたようなだるさだけが支配している。忍び寄ってくる意識の消失に抵抗できず、由為は目を閉じた。

エピローグ



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