花園の墓守 貴海編第三章『何が為の抗いか』

 此岸での、二日目の朝だ。
 貴海は慣れない台所に苦戦しながら朝食を作り終えた。機器を扱いながら、改めて彼岸の屋敷の贅沢さを思い知らされる。こちらの火といったら字を注がないとすぐにも消えてしまうのだから、目が離せない。
 借宿の台所に繋がっている一番広い部屋に食事を運んでいく。備蓄としてあった青い花を単純に煮込んだものと、わずかに火を通した赤い花を四人がけのテーブルに置いた。
「おはよう。由為」
「おはよう、ございます」
 先に席に着いているよう促した少年に声をかけると、硬い緊張が返ってきた。斜め向かいに座るファレンは由為には認識されないまま見上げてくる。心配しているのだと表情で分かった。
「食べよう」
 花への感謝を述べてから食事は始まった。ファレンは花を食べられないため貴海の隣に座ったまま、言いたいことがあるだろう由為と切り出さない貴海を眺めている。
 煮込まれた青い花の皿を空にした由為は、手にしていた食器を置いた。
「昨日の夜に弦さんが来ました」
「俺も道の途中で会ったよ」
「あなたが俺たちの障害になるというのは、冗談ですよね」
「本当だ」
 微笑みすら浮かべて答える。
 弦が何を語ったのか、騙ったのかは分からないが、由為の望みの芽は刈り取っておきたかった。残されて成長しただけ、咲けないまま首を落とす瞬間が無残になる。後々になって苛ませることにもなって欲しくない。恨んでいい。憎んでいい。仇として討つ意思が強くなるなら一層に煽りすらしよう。
 三年前の花園でされた由為の誓いはいまだ胸に響いている。定めに抗う意思を俺にも見せてくれたから、今度は俺が抗おう。そう決めた。
 ファレンと共にいられるように、此岸が安らかに滅ぶように、滅びに抗う少年と反対の場所に立つ。
「いやです」
「事実だ」
「それでも、いやです」
 意固地な態度に苦笑する。どうしてそこまで俺に好意を向けてくれるのかは三年経ってもわからないが、あえて理由を聞くことでもない。できるのは好いてくれている感情を受け取るだけだ。違う種類の好意しか、この手に返せるものがないのは申し訳ないが。
「ヴィオレッタの剣についても聞いたか」
「いまは俺の部屋にあります。やり方を間違えたとも聞きました」
「間違えたことに後悔は」
「ないです。俺はあのとき知る限りの、できることをやりました。それが悲劇に繋がってしまったことは謝りますが、自分のしたことに後悔はありません」
 顔を上げて真っ直ぐに答えてくれた。自分の選んだことを否定しない由為だから、貴海は信頼して相手にできる。
「今日、俺は此岸が滅ぶことを通告する」
「俺は絶対に止めますから」
「滅びをか」
「あなたが、滅ぼすこともです」
 此岸は幸いだった。まだ由為を初めとする、滅びを諦めない意思があるのだから。

 貴海は管理塔で水上に告げた。
 自ら滅びを受け入れるのか、貴海によって滅ぼされるか。
「一度、花影の件の時に此岸は滅びを受け入れると答えていましたが、それは目くらましだったのですね」
 返ってきた答えを聞いて貴海は微笑すら浮かべる。予想していたことだ。
 平然としている水上の隣に座るきさらは、結果として嘘を口にしたことを申し訳なく思っているようだった。生真面目だ。
 貴海以外の誰も話を振らないが、ファレンはいまも貴海の隣にいる。
「ごめんなさい」
「きさら、もう謝罪は結構」
「いえ。これから起こることを、謝らせてください」
 近づく足音から、そういうことかと貴海は納得する。
「言葉で解決しないのなら、暴力によってか。此岸も随分と殺伐するようになった」
 乱暴に扉が開かれる。姿を見せたのは是人、直、由為だった。見知った若い顔ばかりに出くわすな、とふと思い、気付いた。
 おそらく此岸で年を重ねた者たちはすでに行動を起こせなくなっている。由為も此岸の自宅に帰らなかったのではなく、帰るのを止められているのだろう。
「彼らが俺の相手を務められると考えているのなら、犠牲は広がるだけだ」
「やってみなくてはわからないでしょう」
 少年たちのあいだから、姿を見せたのは七日だった。彼岸にいるはずの妹分がいまここにいるということは。
「彼岸の花はどうなっている」
「もう優雅に花のお世話ができる段階は終わっているのよ」
「滅びを選ぶのか」
 水上は緩やかに首を横に振る。
「衛、影生、きさら、是人、直、七日、由為。私が力を貸してもらえるのは彼らだけ。そのうち変革を使えるのは、影生さんと由為さん。そして私。さらに衛さんは現実を確認できる」
「つまり?」
「此岸の滅びは好きになさって。此岸の民は、生き残ります。此岸を捨てて彼岸をいただきに参りますから」
 上品に浮かべられた笑顔を、額面通りに受け取ることは貴海には出来なかった。
「乗るべきではなかったか」
 ファレンは小さな声で言った。その声は貴海以外誰一人として拾えない。
「彼岸にいてもおそらくこういった展開だったさ。いまあの場を荒らさないですむことが僥倖なんだ」
 貴海は立ち上がる。そのまま扉をくぐるような自然な動きを止めたのは七日だが、貴海は先に動き出すと廊下の奥へ七日を突き飛ばした。壁に矢が当たって落ちる。一気に貴海とファレン以外の空気は張り詰めた。
「僕の得物が、弓な理由はご存知ですよね。自分は損をせずに相手を妨害できる。そんな利己的な意味がしっくりきたからです」
 いつの間にか部屋の真ん中に弦がいた。大胆な変革を使われたものだと感心する前に貴海は一気に階段を駆け下りた。管理塔を出る。ファレンが無事についてきていることを確かめて、借宿への道を走ると弦と七日と由為が追いかけてきていた。他の人は見当たらない。
 弦が変革を解く。
「間一髪といったところでしょうか」
「助かった。だが、あれほどの人数を一気に連れていくなど無茶をしたな」
「そのお言葉が聞けただけで十三分のありがたさを越えます。で、彼らはどうするんです?」
 弦が示すのは七日と由為だ。二人だけがここまで追いかけてきた。七日は先ほど漂わせていた敵意をさっぱりと落としている。
「先輩。影生さんが『彼岸は俺に任せて先に行け!』なんて言うから来ました。由為くんから話も聞きました。そして私が聞きます。……お兄ちゃんの、滅ぼす範囲はどこまで?」
 水上までは誤解させられたが、七日を誤魔化すのは無理なようだ。貴海の滅びが此岸と彼岸の全滅を意味することではないと、分かっている。
 頼もしかった。かといって、大人が頼りにしてしまうのが十以上も年下の者たちだというのは申し訳ない。
「貴海。由為と七日は俺たちを信頼して事態を打開しようとしてくれる。好意に甘えるのは恥ではない」
 心を読んだようにファレンが言った。
「そうだな。ありがとう」
 七日は誰に向けたか分からない言葉に不思議そうな顔をしたが、続く貴海の話の内容を聞くと、また真剣な表情を浮かべた。
「此岸では花は育たず、字も生まれず。さらにもう私よりも年下の子が誕生することもありえないんですね」
「ああ。俺は本来、十七年前に此岸を滅ぼしていた」
 十九年前にファレンと出会い、恋をした。愛に落ちた。そして水上をはじめとする人たちにファレンと穏やかに暮らすためと彼岸を与えられたので、世界を滅ぼす役割を自制した。
 取引に応じたのは貴海で相手の事情に乗ったことを後悔はしていない。だが、正しかったのはファレンの父であるノクシスたちだったのではないかと考える瞬間は増えていた。
 滅びは定められたもの。無理に引き延ばして執行の時にさらなる苦痛を与えるのが慈悲になるのか。そんなわけがない。ノクシスは貴海の選択を尊重してくれたが、同時に辛いことが待っているとも教えてくれた。それがいまだ。
 此岸の人たちは貴海が此岸を滅ぼす者だと怖れている。恐怖を抱いている相手と交渉するのは不可能に近い。破れかぶれの相手が何をするかわからない危険がある。それでも貴海は此岸と彼岸の両方が同意できる滅びを諦めるわけにはいかなかった。罪に濡れた手ではファレンを抱きしめられない。
「弦はいいとして、七日と由為はこれからどうするんだ。君たちは此岸の味方だろう」
「俺は此岸の味方じゃありません。貴海さんの味方でもない。世界を滅ぼさないようにすることが、俺の目的です」
「第三の立場か」
 七日も由為の側に立つのだろう。
 これまで彼岸の管理者であった五人は、それぞれ違う目的を選んだ。
 由為と七日は滅びを止めて、衛ときさらは此岸の人を守り、俺はファレンと共にいられるようにする。
「先輩、俺はあなたと協力することはできますか?」
「衛やきさらとのがいいんじゃないか。目的は近いだろう」
「確かに、此岸を守る目的は同じです。でも手段が違う。俺はそれを認められない」
 先ほどの水上のやり口を暗に言っていた。嘘を吐いて油断させて、隙をつくのは戦略としては正しかったが由為の真っ直ぐさに対する戦術としては不味かったようだ。それが貴海に味方している。
 貴海が此岸を滅ぼさないのならば、由為が味方でいてくれるのは心強い。七日もいるのだから暴漢による被害を案じなくても済む。
 昨夜まで貴海は、自分が由為の仇になって、此岸に納得する滅びを与えるか被害者のまま終わらせようかと決めていた。だが、いまの由為は貴海の味方ではなくとも協力者だ。事情を打ち明けられるのと、場合によっては後を託せる。かつて由為がしたように。
 貴海は微笑んで手を差し出すと由為は強くつかんだ。
「で、貴海さんの一番の味方である僕は一体どうなるんですか」
 あいだに弦が割って入った。七日が目で追い出すか尋ねてくるが、いまはかまわないとまた目で応える。
「あなたは俺の一番の味方じゃないけれど、俺を裏切らないことに関しては信用している。まずはヴィオレッタの剣と鞘、七日の得物を確保しよう」
「俺たちの宿舎はもう押さえられています」
「私のはある程度長かったらそれでいいよ」
 由為と七日の声が重なったが、貴海は二人がそれぞれ言った内容から対応を組み立てる。「弦、影生に七日の得物と一緒に此岸へ来て俺と合流するように手配してくれ。由為と七日はヴィオレッタの剣と鞘を取りにいこう」
 貴海は自分とファレンはもう彼岸に帰れないと決めた。隣に立って様子を見守っているファレンに言うと、うん、と小さく頷かれた。申し訳なさとかわいらしさで胸が痛い。突然、胸を手で押さえたので弦と由為に心配されたが、適当にはぐらかした。
 本来の目的に意識を戻す。
「さて、俺のあくどいと定評がある笑顔にどこまで効果があるかな」
「やっぱりお兄ちゃんはろくなこと考えないね」
 すでに企てている内容を予想できているようだ。
 呆れている七日の頭を撫でると、思いきりはたかれて警戒される。昔は無邪気に笑ってくれていた少女が成長したのだと安心した。
 これから七日は、俺たちとではなく由為たちと生きなくてはならない。
 頼られたくなかった。甘えられたくなかった。
 強くなってほしかった。

 七日と由為を引き連れて借宿に戻ると直立している衛がいた。
 近づく人たちに気付くと「来るだろうな」と分かっていたことを伝える柔らかな表情を浮かべた。相手が衛ならばあくどい笑顔の出番はなさそうだ。
「ヴィオレッタの剣と鞘、荷物などはこちらで回収させていただきました」
「返してもらえませんか」
「剣と鞘は少しかかりますね。いくら壊れているといっても、これまで此岸を守って来た剣。いま必死になって修復にとりかかっています」
 貴海は一度カードを切る。
「衛。いま此岸には何人残っているんだ。名前と一緒に教えてくれ」
「それに何の意味が」
「君たちを救える可能性だ」
 何事もなさそうに衛は、ヴィオレッタの剣と鞘の修復をしていると言ったが、此岸の静まりから考えてそれほどの技術を持つ者はいない。加えてまだ南東から北西を探索できてはいないが、人の気配が薄すぎる。
 此岸は滅びかけている。貴海の手によるものではなく。だから水上は彼岸への強制移住に踏み切ろうとしている。
 愛着ある土地を荒らされることは辛いが、水上が強制移住を口にしたときに、貴海は思いついた。その方法を実現するには名前が欠かせない。一人残らず此岸の住人の名前を全て教えてもらわなくてはならない。
「滅ぼす側から救う、なんて言葉が出たら怪しいものですが、貴海さんでしたら聞くに値しますね。交換条件です。名前を教える必要性を教えてください」
「彼岸をそちらに渡すことを前提にして、彼岸に移住する方法を提示する」
 衛は動揺しなかった。都合の良い話だと分かっているだろうが、反発も恭順も見せない。言われたことが正しく此岸の益になることか吟味している。
「俺は、彼岸でたった一人の統括管理者だ。俺の決断を反対や妨害することはできても、止めることは誰にもできない。その俺が言う。彼岸を譲り渡そう。条件はいまここで、衛が偽りなく全ての住人の名を述べること。二度の機会は与えない」
「俺一人で判断し、責任を背負えということですね。いいでしょう」
 是非の判断はまだ口にしていないが、衛の視線が由為に向けられたときに答えは全て明らかになった。向けられた由為はきょとんとしていて、意味がわかっていない。それほど由為がしたことは本人にとっては当然のことで、衛にとっては許せないことだった。
 一人で此岸と彼岸全ての命を背負う判断をしたことは、そういうことだ。
「……衛、火右、きさら、圭、是人、公知、沙良、直、墨来、地左、広兼、風下、水上、由為、由架。此岸の生き残りは以上で、彼岸に七日さんと影生さん。合わせると十七人です」「随分と減ったんだ」
 三年前に由為が此岸に一時帰宅をしたときの半分以下だろう。貴海が昨日に治療した人たちにも、もしかしたら衛やきさらと字が繋がっている人がいたかもしれない。
 滅びは間近だ。
「それで、どうやって此岸の人たちを移住させるんですか」
「書館を使う」
 三人には首をかしげられたが、ファレンは合点がいった様子だ。
「書館を、書棺にするのか」
「そうだ。ファレンは聡いな」
「いまは俺よりも衛たちだろう。ほら」
 背中を叩かれて顔を上げると「また何かしていた」という雰囲気が漂っていた。寂しいことにファレンは認識されなくても、貴海の挙動が怪しいのはよく分かるらしい。咳払いを一つして、貴海は説明する。
「彼岸には書館があるが、あれは字を変えるとそのまま棺になる。滅びた彼岸の書棺に此岸の住人を眠らせて、俺と影生でいまの彼岸へと変革させれば、此岸の住人は彼岸で目を覚ます」
「その場合、貴海さんと影生さんはどうなるんですか?」
「考えるな。自分たちが無事なら良いと判断して、水上さんは移住を決断したんだろう。君もそれに乗ることにした。後のことなど気にするな」
 納得いかないだろうが衛は問いを重ねることはしなかった。口にされなかった答えをまた、暗に察したのだろう。衛は誠実なのに裏を読むこともできるようになったから、さらに苦労している。
 衛たちが自分の提示した方法を選んだならば、棺の蓋を閉ざす役割として影生たちは此岸に残ることになる。まだ俺が滅ぼすことになるかは不確定だが、此岸の未来は滅びしかない。決まったことだ。
「由為君。七日さん。君たちはどうするんだい」
「滅びを止めます」
「たとえできないことだとしても、諦めたくないんです。だから私たちは書館には行きません」
「君たちは本当にもう。……すごく止めたいし、三年前なら確実に止めてた。だけどもう、十八才と十七才だから。君たちはしたことに、自分で責任を取るんだよね」
 無言のまま由為と七日は頷く。水色と灰色の目には決意しかなかった。衛も同じ目をしているから分かっている。
「ヴィオレッタの剣と鞘があるのは中心の管理塔ですよね」
「そうだけど、どうするの」
「剣を持って新字の源に行きます」
 由為の答えは簡潔だった。示された道に従うのではなく、自分がやるべきことを見つけている。
「由為が管理塔へ行くとしたら、衛はどうする」
「ここにいても仕方がないですからね。貴海さんの提案を水上さんたちへ説得しにいきます。おそらく、西の管理塔ですね」
「仮宿が空くなら俺たちは休ませてもらう。影生たちが来たら詰めないといけないこともあるからな」
 それぞれ、行く場所は決まった。
 三年前に集まった管理者たちはおそらく明後日にはもう集まれない。
「衛、七日。由為。此岸が滅ぶか滅ばないかは不明だが、いま起きていることは明日で終わる。……そう、世界が明日滅ぶとしたら?」
「違う空を見に行きます」
「滅びに従います。大切な人の傍にいながら」
 最初と変わらない答えが心強かった。
 由為が拳を突き出す。見上げられて、粋なことを考えつく少年だと貴海は笑った。衛と貴海はこつりと拳同士で触れる。
「七日さんはいいの」
「きさらさんが仲間外れになるから。私はいいよ」
 一歩離れた七日に見守られながら、由為を初めに覚悟を述べる。
「世界を救いに」
「此岸の人を守りに」
「安らかな滅びのために」
 明日を迎えに行こう。

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