花園の墓守 衛編第七章『花影のための葬礼』

 葬儀の日に、此岸の舟着き場で花影たちの到着を待つ。
 先に此岸で用意を済ませた衛ときさらと七日はいつもの制服を着ているが、色は黒に統一されている。葬儀のために用意されたものだ。
 舟着き場の周囲には衛、きさら、七日しかいない。普段は舟着き場周辺で働く人も、物々交換にいそしむ人たちも、葬儀を布告されてからは家で静かに息を潜めている。何十年ぶりか分からない儀式は興味よりも不安を与えたようだ。
 舟が近づいてくる。三つの舟に分けられて運ばれてきた十の花影たちは揃って此岸の地を踏みしめる。彼岸での現し身の儀は成功したらしい。花影たちからは以前に感じた、恐怖や嫌悪感はなく、此岸の人たちと変わらないように見えた。
 きさらが前に出る。花影たちの先頭にいるのは影君だ。
「花影の儀を執り行わせていただきます、今代の彼岸の管理者です」
「うん。よろしく頼むよ」
 握手は交わさずに、視線だけを交わした。
 七日が先導して花影たちを船着き場近くの建物まで案内する。屋敷とまではいかないが、壁に花の模様が刻まれていて他の家とは違っているのは明らかだった。きさらと七日が先に入り、花影が一つ続いていった。
 扉が閉まると衛はその前に立つ。花影の字の分解が完全に終わるまで誰も入らせず、出させないための門番役だ。
 直立しながら、これから滅びを迎える花影たちはどのような気分でいるのだろう。衛は不謹慎ながら耳をすまそうとするが、隣に誰かが並ぶ。見下ろすと花嬢がいた。
「そんな、真面目に徹しようとしなくても大丈夫よ。私たちは今日をずっと待ち望んできたのだから」
「滅ぶことをですか」
「ええ。生を実感してから、滅ぶことを」
 目の前の花影たちには確かに悲壮感がない。穏やかに話し、言葉を口にできることを喜びながら、空を見上げ、微笑んでいる。為すべきことを終えた花が枯れていくような静けさに満ちている。
 だが衛は花影たち以上に、滅びを目の当たりにすることを怖れていた。いま分解されている字たちを箱に詰めて此岸と彼岸を隔てている河に沈める。花影たちが穏やかであればあるほど、苦しい。
「あなたたちには言い忘れていたけれど、由為の未来にあたる青い花はきちんと七日さんに返してあるから。私がいなくなったら彼に戻しておいてね」
「あ、ありがとう……」
「礼はいらないわ。私たちだって厄介なものを一つ遺していくもの。でも、彼の存在はきっとあなたたちの、特に貴海さんの助けになると信じているから」
「影君さんか、影生さんはこちらに残るんですか」
 花影のための現し身の花は、最初の花盗人で一つ盗られたままだ。それは葬るための花ではないと花嬢は言った。
「残るのは影生よ。影君は私たちを河の底まで率いる役目があるから」
「本当に、滅ぶんですね」
「何をいまさら哀れんでいるの。あなたたちだって、いつか私たちと同じところへ流れていくのよ。彼岸の花園を生かすために」
 覚悟を決めている少女に安易な同意や感謝を伝えられるほど、器用ではない自分を衛は自覚している。だから、感謝した。様々な悶着はあったけれど、花影もこの世界を構成する一部だ。
 扉が叩かれる。次の花影が、呼ばれた。衛は扉を開けて花影が入っていくのを見送る。花嬢も扉が閉ざされるまで視線を外さない。橙色の光に迎えられた花影が静かに横たわるところまでで扉はまた閉められる。
 中で字の分解をしているきさらと七日の負担も大きいだろう。とはいえど衛にできるのは花影を見守り、事のあいだ扉を閉ざすだけだ。
 空の色が徐々に変わり始めた頃になると、残っている花影は影生と、花嬢だけになる。影生は明らかな不満を顔に浮かべていた。
「ったく、ほとんどの役目を俺に押しつけやがって」
「ごめんなさいね。あなたが適役だったから」
 悪気としゃれっ気のある花嬢の態度に怒るのを止めたらしい影生は、大きく息を吐いてから頭をかいた。
「どうせそっちに行くまで俺も遅かれ早かれだからな。やれることはしてやんよ」
「うん。ありがとう」
 仲間たちから一人遺されて生きていくのはどういった気持ちになるだろう。衛は想像してみるが、寂しいとしか思えない。此岸の人も滅んで、彼岸の管理者たちもいなかったら、どう生きれば良いのかわからなくなる。
 ただそれは衛の考えであり、影生に哀れみを向けると怒られる気がしたので心の内にしまっておく。
 扉が叩かれた。次、と呼ばれると花嬢は落ち着いて答え、優雅に扉の中まで歩いていった。締められる間際に微笑みを浮かべる。
「最後までよろしくね」
 そのときの気高さ。一本でも立つ花の強さ。少女でありながら欠片も弱さや儚さはなかった。これから滅びに向かうというのに、堂々と立ち向かう。自分の定めを受け入れている。衛は不意に手を伸ばして遠ざかる背中を止めたい衝動に駆られるが、必死になって抑えた。花影たちは確かに此岸に害をもたらす。だけど。
 決して悪ではなかった。
 衛は門の前に立つ。
「あの、影生さん。ごめんね」
「なんだよいきなり。辛くなったか」
「ああ。自分勝手だけど、俺はもっとあなたたちを知りたかった」
 共存は果たせなくともせめてもっと鋭い胸の痛みを抱いて、見送れる程度には花影のことを理解したかった。花影たちにも通じる言葉がある。それぞれ意思がある。それらを知らずに自分たちはこれから花影を河に投げ落とす。
「そう思ってくれてるだけで、もういいんだよ。俺たちが人にも物語にもなり損ねた残骸ってことに変わりは無い。どうあがいても此岸でも彼岸でも生きることはできないんだ。その中で残った俺が、せめてどう終わるか見届けるよ」
「ごめん」
「もう謝るなって」
 泣き出しそうな目をこすって、顔を上げると扉が開いた。七日が出てくる。
「葬られる花影、全ての字の分解が終わりました。衛さん。河まで運びましょう」
 建物の奥に、手の平に乗る程度の大きさの箱が積まれているのが見えた。
「二人とも疲れているだろうから、あとは俺がやるよ」
 日が高い内から暮れるまで、字の分解を続けてしていた二人の顔には疲れが見えた。七日は「まだ大丈夫」と言いはるが、止める。無理をさせたくなかった。
「影生さん、二人を守ってくれないかな」
「お前すっかり俺を信用してんな」
「だって、もうきさらさんたちを傷つける理由なんてないでしょう?」
「言うとおりだ。行けよ、衛。その目で俺の仲間たちを見送ってくれ」
 衛は二つの篭に丁寧に箱を詰めていく。そうして、河へ向かっていった。
 階段を昇り緩やかな流れの河を見つめる。様々な字が混濁して色も時々によって変わっていた。いまは昏い紺色だ。舟着き場に膝を着いて、河に箱を沈めていく。長い間、封じられていた文字たちは徐々に解けていって、彼岸へと流れ着くのだろう。
 一、二、三、四、五。六、七、八。九。
 十。
 最後の花影の字が衛の手から離れた。抵抗なく、全ての字が沈んでいく。見えなくなる最後まで、見送ってから、此岸の舟着き場から離れた。落ち着いたのか、落ち込んでいるのかわからないまま歩く。
 葬儀は終わった。

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