花園の墓守 由為編 第二章『花園のために』

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 花園に貴海、ファレン、衛、きさら、由為、七日の六人が集まる。
 貴海以外は一列に並び、片手に如雨露を持っていた。如雨露は硬い材質でできていて触れると冷たい。胴体の縁には本体と同じ材質のものによって、花が彫刻されていた。人によって色は異なり、由為の如雨露は黄色だった。
 空に漂う霞が薄くなりだした時間になってから貴海は説明を始める。
「今日からこの六人で彼岸を動かしていく。業務の中心であり優先することは花園の管理だ。花園の水やりは全員で、巡回は七日と由為と衛さん。花の間引きは俺と七日、此岸への輸送は俺と衛さんがやり、薬作りは俺ときさらさんが担当する」
「待て。俺のすることがほとんどない」
 ファレンは挙手して言うが貴海の反応はそっけなかった。
「君はいるだけでいい」
 遠回しに何もしないのがよいと言われてしまったのではないかと、由為はファレンの様子をうかがう。ファレンは落胆など見せずにむしろ得意げだった。
 この人には気を配ってもあんまり意味がなさそうだ、と常にはないことを考えてしまう。何があってもそのままでいられる。たとえ世界中から拒絶されても悲壮することなどない人。
「今日のこれからだが、俺はきさらさんに調剤室の案内をする。衛さんと由為は七日とファレンから水やりの方法と花の状態を確認する説明を受けて、花園に慣れてもらいたい。解散」
 貴海は一度、手を打った。きさらは貴海に続いていく。残った由為と衛は七日のところへ行く。ファレンも七日がいる側ではなく、衛の斜め後ろに立っていた。
「どうして私が主に説明する雰囲気なのですか」
「いや、その」
「ファレンさんよりも頼りになりそうだから」
「正解だな」
 自分で言わないでください、と思うのだが不思議と悪感情によるものではなかった。ファレンはいざというときにも頼りにならないだろう。だけど、いてもらいたい。そんな気分にさせられる。
 七日は一度、息を吐いてから歩き出す。
「まずは水をくみにいきますが、その水はいつも使っているところとは別にあります。六か所あるから覚えてください。それで、じょうろに水をためたら土がゆるく湿るくらい、かけていく。彼岸の花は花びらの端、茎、と痛んでいくから、まず花が変色していたら私か貴海先輩に教えてください。以上です」
 七日の説明は慣れていた。由為は頭の中で気を付けることを記憶していく。
 そのあとは、七日とファレンが南の花壇から東へ、北から西へと一周し、衛と由為が北の花壇から東へ、南に向かって西へ戻ることに決まった。
 由為は担当の場所に着いてから花の様子を確かめる。
 彼岸の花は由為のふくらはぎくらいまでの高さで、黄緑色の茎は真っ直ぐ伸びていた。花びらは五枚から七枚のものが多く、風に揺れると密やかな話し声めいた音を立たせる。顔を寄せればふわりと風に乗って清い匂いを届かせた。
 一つ一つを細かく点検できるほど花は少なくない。由為はどのように花の具合の良さを効率よく確認できるか考える。
 隣で同様の作業をしていた衛が、如雨露を手に取った。
「衛、さん。もう花を見終えたんですか」
「うん。由為……くんはどこか困ってる?」
 正直に花を一覧して異常があるか判断できないと答えた。衛は頷いて丁寧に説明を始めてくれる。
「花の調子は七日さんが言ったようにまず花弁を見る。ここのは青いからまず白や薄く変色していないか、していたら茎の様子を確かめる。おかしかったら、七日さんたちに報告だけど、ほら」
 衛が一本の花の茎に指を添えて曲げると茎に字が記されていた。
「多分、この字を教えたらわかってくれると思うよ。彼岸にも大量の花の中から一本を照合する道具はあるだろうから」
「わかりました。でも、すごいですね。ここまで説明されていないのにもうそんなにわかっていて」
「俺の此岸での仕事は花の管理とかもあったから。これくらいならね」
 言って、衛は水をくんだ如雨露を花に降り注いでいく。由為は衛に説明されたように花を観察していった。特に痛んでいる花はなさそうで、如雨露を手に取る。水がたまっている如雨露は意外と重く、衛のように片手では扱いきれない。
「由為君はいくつくらいなのかな」
 一区画に水をやり終えた衛が尋ねた。
「十五です。衛さんは?」
「二十。あと、よければ君の呼びたいやり方で俺も呼んでいいよ」
 見抜かれていた。少しの恥ずかしさを覚えながら由為は口にする。
「衛先輩」
「はい」
 ちょっと嬉しそうに見えたので、今後ともこう呼ぼう。
「衛先輩はどうして彼岸に来たんですか?」
「そうだね。彼岸を見てみたかった、からかな」
 嘘ではないが建前のようで由為はじっと衛を見つめた。如雨露を傾けて水が出るのを止める。その動作のあいだも目をそらさなかったからか、衛は恥じらいながら付け加えた。
「俺は此岸と彼岸の相互理解を手伝いたいんだ」
 抱かれている恥ずかしさには誇りが宿っていて簡単にからかえるものではない。衛という青年が長いあいだ大切にしている、自身を構成する一部を見せてもらえた。
 衛は如雨露を支絵直してから彼岸を眺める。遠くを見つめているが実際に浮かんでいる景色は由為には分からなかった。
「ばくじ、ってわかるかな」
 いきなりの単語に由為は首を横に振る。
「縛字というのは俺たちの身体の中で新字といわれるものが増殖していって。本来ある字である現字と混雑することなんだけど、俺は新字の抑制と絡まった字の修正をする仕事もしていた。でも、此岸で得られる知識には限界があるから、彼岸でもっと良い調和の方法を見つけたくて。ここにきたんだ」
 由為は昨日、ファレンが言っていたことを思いだす。
「彼岸の花はその、新字を消す働きがあるからですか?」
「それ以外にもあるけど、俺は純正な花を見たかった。此岸と彼岸はいまは相容れないからこんな方法で新字を食い止めているけれど、もっとお互いを理解して協力できたら。花を食す以上の解決策が見つかるかもしれない。字が身体を痛めつける不思議な現象の解決だってできる可能性がある」
 一片が見えた。今日になって初めて会った人だけれど、衛は真面目な大人できちんと世界に向き合っている。自分のできることで世界に貢献すると決めている人だ。
 反して自分はどうなのか。衛ほど真面目に考えて、七日のように悩みながら、ここにいるだろうか。答えは違う。そこまで自分以外のことを考えていない。思考の浅はかさが露見したようで恥ずかしくなった。
「由為君はどうして彼岸に来たの。十五になったら仕事は割り当てられるけれど、いきなり彼岸に来るなんてそうないよ」
「いやー。希望と面接の結果ですかね。『もしも明日世界が滅ぶとしたら』という冗談みたいな質問に、『違う空を見に行く』なんて答えたから。衛先輩みたいに立派じゃなくて恥ずかしいです」 
 赤くなる頬をうつむいて隠すようにしながら、早口で答えた。困ったような苦笑を返されるだろうと、如雨露にある模様をたどる。
「そんなことはないよ」
「でも」
「由為君の選択こそ、立派な理由だ」
 衛の言葉には顔を上げさせる響きがあって、由為はつられるように衛と視線を合わせる。微笑でもなく、嘲笑でもなく、衛は真剣な表情をしていた。
「由為君は自分の意思で、此岸では忌避される場所である彼岸に来てくれた。それが無知の選択だとしても、開拓を願える君と一緒に働けることが俺は嬉しいよ。大丈夫。一緒にがんばろう」
 由為は彼岸のことをほとんど意識したことがなかった。だから彼岸で働くことが決まっても特に怖いと思わず、止める両親の反対も気にしないで彼岸に行くことを選んだ。
 知らない世界を見たかった。
 その判断が間違っていないと、これからいろいろと知っていくであろう年上の人に言われて、ほっとした。
「はい! がんばります」
 由為の笑顔に衛も真剣な表情から一転して、優しい笑顔を浮かべてくれた。


 七日とファレンも花の確認と水やりを終えたようだった。
 由為が手を振ると七日は少し足を速めて、ファレンは相変わらず自分の調子を乱さずに合流する。七日が由為の半歩後ろにつくとファレンは七日と由為を追い越して衛の近くにいることにしたらしい。
 全員が如雨露を下げながら屋敷まで歩いていく。先を歩いている衛はファレンに話しかけられて、何事かを返しているようだった。やりとりには多少のぎこちなさがあっても互いが譲り合って打ち消している。衛の口にした言葉にファレンは笑みを見せ、その笑顔を謙虚に受け取ってから衛はファレンに話題を振っていた。
 由為は「すぐに仲良くなれてすごいな」と思っていたが、隣の七日を見たらその考えも吹き飛んだ。
 七日は衛とファレンを憎むように見ている。その怒りの矛先も主にファレンに向かっているようだった。
「……盗られた気分?」
「うん」
 素直に頷かれた。
「ファレンお姉ちゃんは、貴海お兄ちゃんのものなのに」
 由為はそこまで貴海とファレンの会話などを見ていない。だから二人が互いを所有とするような関係とまで思い至らなかった。七日がファレンを不貞の女性だと怒っているのも新鮮だ。
 此岸には明確に関係を規定する方法は存在していない。言ってしまえば合意の上で子どもが誕生しても、父親と母親は必ず結ばれなくてはならないことが、ない。由為の両親は珍しく仲睦まじく同じ家で暮らしているが、そうではない友人も結構いた。
 いまの七日の怒りは此岸で由為が目にしたことがないものだ。貴海とファレンを不可分として結びつけている。
「ファレンさんに自分は貴海さんのものって自覚はあるの?」
「あるぞー」
 小声で七日に尋ねるが答えは当人が持ってきた。衛は驚いて、七日は当然といった様子だ。
 ファレンは癖なのか己のふくよかな胸に手を当てて、屋敷を背にしながらうたう。
「俺の唯一は貴海で貴海の唯一も俺だけだから。たとえ何があろうとも裏切ることもしないさ。七日、安心しろ」
「わかっていますよ」
 七日が由為の隣から先へ歩き出す。
「衛さん。あんまりファレン先輩の相手しないほうがいいですよ」
「それは難しいね。俺たちはみんなでこの彼岸を守らなくてはいけないだろう? 俺はファレンさんにいまのところ好感以上の印象はないけど、話はしたい。知りたいことがたくさんあるんだ」
「衛先輩、それは何を知りたいか明らかにしないとまずいやつ!」
 慌ててフォローを入れた。衛は七日の目が据わりかけているのに気づき、苦笑する。
「俺が知りたいのは彼岸の花についてだよ」
「なら私が説明します。ファレンお姉ちゃんは説明下手きわまりないから!」
「ひどいな。その通りだが」
 うふふ、と笑うファレン先輩と火花を散らす七日さんに困っている衛先輩。なんだかおそろしいことになりそうな気がするのは自分だけだろうか。
 由為はまず屋敷に戻ろうと提案した。
 採用された。


 由為は「すみません、ちょっと疲れたので」と言って自室へ戻っていった。
 彼岸の花の管理はそれほど難しくはないが集中力はいる仕事で、加えて初日。緊張して疲弊するのも当然なことで、必要な休息もとれるときにとるべきだ。全員が由為をそっとしておこうと同意した。
 だから。
 七日はいまきさらを隣にして、屋敷の三階にある道場で膝を抱えている。手には木製の槍を持っていて物騒極まりない。服も襟や意匠を統一させた彼岸の制服ではなく、無地の動きやすい伸縮性のあるものに着替えた。薄青色をした長袖の上着と長い丈の下着だ。
 七日はきさらにちらりと目をやる。きさらも七日とほぼ同じだが、色は薄紅の運動着に着替えていた。視線に気付かれると微笑まれたので目を伏せる。理由は不明だが七日はきさらに由為や衛以上の苦手意識を抱いていた。
 配慮ができて優しい此岸の女性。どこが苦手の糸として引っかかっているのかはわからない。
 かあん、と小気味良い音が響いた。七日は顔を上げる。
 振り上げたのは木剣を手にしていた衛で受け止めたのは花の剣を扱っている貴海だ。衛は振り上げたままの木剣を斜め下に振り下ろす。貴海はしなる花の茎で再度、防ぐと薙いだ。距離を取られる。
 七日は一連のやりとりに集中することにした。
 此岸から離れた彼岸であっても花の強奪や盗難の可能性がありえるため、彼岸の管理者は暴漢に備えた基礎的な体力作りと武闘の実践練習もしなくてはならない。貴海、七日、衛、きさらの四人だけが午後の花の水やりのあとに稽古をすることが決まった。今日はその初日だ。
 由為とファレンが省かれたのには理由がある。由為は貴海が「あの子は剣を持てない」と判断し、ファレンは何者にも気付かれない存在だから、と訓練を免除されることになった。
 この中では最も年少である七日は衛の実力に目を見張った。姿勢には芯があり動きには柔軟性がある。貴海も本気を出してはいないが衛の相手をまともにしていた。
「すごいわね、二人とも」
「はい。貴海先輩は目が怖いくらいにいいんだけど、衛さんは完全に読まれる前の一歩を踏み出すことを、まだ許されている」
「そこまでわかるなんて七日さんもすごいわね。私は追いつくのに精一杯」
「きさらさんは何を使うんですか?」
 流れで聞いてみるときさらはことさら優しい目をした。横に転がしていた花と長い茎を手にして七日に見せる。
 両端に力をこめたら簡単に折れそうな細く長いものだ。きさらは立ち上がり、それを床にたたきつける。ぴん、とたった甲高い音は当たったときの苦痛を思いおこさせた。
 初めてみる武器に唖然とする。七日はまた聞いた。
「何を使ってるんですか」
「鞭というものよ」
 にっこり微笑まれるが手にしているものが威圧的なものだからか、怖い。
 七日は背中に冷たい汗が流れたような錯覚を覚えるが、きん、かん、きん、と音に気を戻される。再び衛と貴海の手合わせに注目することにした。
 一の打ち合い、二の衝突。押された衛を追撃する貴海の三つ目の突き。それをかがんでかわして、衛は貴海の足に四の打撃をくらわせる。貴海は花の剣でしのいだが、厳しい体勢にまた衛の真っ直ぐな振り下ろしが五つめの攻撃。貴海はあえて攻撃を受けた。さらに打ち込まれていく、六と七。衛が優位に立っていると不安になれば、八の受け手になっていた貴海が直下の反撃を食らわせる。真っ直ぐに飛び上がって、衛をかすめたあとに十の斬撃が衛の手にたたき込まれた。武器が、はじかれる。
 衛は徒手になった自分の手を見てから、花の剣を構えたままの貴海へ頭を下げる。
「参りました」
「こちらこそ」
 手が差し出されると衛も握り返した。力強い握手が交わされる。
「友情の芽生えかしら」
「そんな簡単に友達になれるんですか?」
 模擬訓練とはいえ打ち合い、相手から一本を取ろうと敵意に近いがそうではない感情をぶつけあう。貴海と衛はまだその関わりしかしていないはずだ。
 七日の疑問にきさらは微笑んで答えた。
「なれるの。お友達になるきっかけは、意外で些細なことだから」
 きさらもそうして此岸で友達を作り、人のつながりを広げていったのだろう。
 純粋にうらやましかった。彼岸に置いてかれた少女として。
「七日、やれるか」
「はい」
 貴海に呼ばれて立ち上がる。きさらが「がんばってね」と手を振ったので、首を小さく縦に動かした。
 七日は構える。思い出すのは先ほどの衛と貴海の無言の攻防だ。
 負けたくない。
 貴海先輩と競りあった衛さんに、初日だというのに自然な振る舞いで接するきさらさん。どうして簡単に他人と空気を合わせられるのかと、不思議で恐ろしくなる人たち。
 このままでは由為さんやファレン先輩も自分ではなく、衛さんときさらさんと仲良くなっていって一人になってしまう。
 負けられない。

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